2017年04月05日13:52
過積載な僕!!!(笑)
悪い(危険な)見本のようなもので恐縮ですが、当時はこの状態に近い有様で「アイヌモシリ(≒北海道)」も「東北6県」も北陸(金沢)、琵琶湖、長野(白樺湖)、静岡県内等々へもキャンプツーリングに平気で出かけていましたが、かなり頑丈にゴムバンド等を大量に使用して縛っていたので荷崩れトラブルは1度もなかったのでご安心くだされ(笑)。
タワーの如くあまりに高く荷物を積み上げた為に、走行中は後ろから見ると僕のヘルメットが頂上にわずかに見えるくらいでした(笑)。
高級な舶来のパニアケースなんて代物は憧れても手が届かないので、DIY店で780円で買ったプラ製の大型「収納ボックス」を積んでいました。
本人曰く「完全防水だぜい。しかもバイクから下せば簡易テーブルに早変わりで便利だろ?」と“貧者のパニアケースもどき”を自慢気に周囲にのたまっていたそうです(笑)。
写真は2000年8月10日の山形県「湯殿山」に朝8時半に到着したところです。8月9日に東京を出発して、その夜は月山湖(貯水ダム目的の人造湖だろうな)の畔の駐車場の葭津張りの東屋に勝手に野宿していました(笑)。
小雨も降っていたので屋根がある場所を選んで居を決めたようです。テーブルや長椅子とかあって便利だったしね(笑)。
この荷物の量ですから、しっかりCDプレーヤーなんかも積んでいて、夕食の準備は大好きな「上々颱風」の曲をBGMに行っていたようです。
松尾芭蕉の句に「雪の峰いくつ崩れて月の山」という月山を詠んだ句があった気がしますが、この国の美意識の中には山端にかかる月の姿が脈々と流れている気がします。といっても、この夜は山間の雲間にボウッと浮かぶ月と湖面に微かに反射する月明りを肴にバーボン片手に静かに1人でちびちび一杯やっておりました。
既に飲酒していれば、例え野暮な地元のパトカーが来ても「酔っぱらっているので移動できません。それでも移動しろと仰るならば移動しますが宜しいのでしょうか?」とゴネられますからね(笑)。これは僕のツーリング先の野宿での常套手段のひとつです(笑)。
それにしても、バイク乗りでもある小説家の斎藤純さんの作品の一節ではありませんが「現代社会において、自由は、孤独と引き換えにしか手に入れることはできない」ってのを改めて嚙み締めるような夜でした。
月山の麓での寝覚めは朝5時半に駐車場のトイレに滑り込んできた三重ナンバーのCB400SFの大学生君の排気音でした(笑)。テントも寝袋もマットも持たない軽装備の彼は「雨具」を寝巻にして道の駅の駐車場でゴロ寝を続けながらの5日間の旅を2000キロも続けてきたそうです。無茶というか無謀というか、それでも若さっていいよね(笑)。元気でいるかな?
ここは月山に連なる出羽三山の“奥の院”ですが、昔から「語るなかれ、聞くなかれ」とか「筆をとどめてしるさず」と戒められてきた場所なので敢えて語るのは止めておきますね(笑)。松尾芭蕉も『奥の細道』で「語られぬ湯殿を濡らす袂(たもと)かな」と一句残していたはずです。
それにしても「奥」という概念は、中心ではなく、その中心から少し外れた場所という意味でも興味深い考え方のような気がします。
僕もお祓いを受け、人形(ひとがた)の紙を流して厄払いをして神主さんのお許しを得てご神体にロープを頼りに素足で登らせてもらいましたが、何故か道東の「カムイワッカの湯」の沢登りをしたことを思い出しました(笑)。
なんでそんなに記憶が良いのかというと、翌年に某バイク雑誌で全8頁に渡ってこの夏の東北6県ツーリングレポートを掲載してもらった経緯があるのです(笑)。
湯殿山を後にした僕はこの日は庄内平野の「黒川能」の地と羽黒山に向かったようです。ちゃんちゃん♪
2017年04月05日10:13
エンジンも花瓶に化ける!?
これは2000年8月8日に東京・宝生能楽堂で催された第8回飛天双○能『翁付五流五番能』(大倉正之助・松岡正剛プロデュース)会場内ロビーに設えてあった当時の国内市販車最大排気量車のXV1600の心臓ユニットを花瓶に「見立て」た作品です。(江戸の文化って「見立て」の要素が多いですしね)
当日の能楽堂入口には同系のエンジンを搭載したヤマハ『鼓動MT-01』も鎮座していて能楽堂とは思えぬ新鮮で刺激的な空間を演出していました。
ロビー内にはステンレスの鈍い光で茶室も設けられていたのを憶えています。
この斬新な空間創出は『GKダイナミクス』の石山篤さんたちデザイナー集団が手掛けられたものだと思います。
ヤマハのバイクの官能的でエレガンスな“人機一体”のデザインが同社デザインによるものだというのはバイク乗りの間ではあまりに有名な話ですよね。
そもそもこの日の『翁付五流五番能』という能楽の設定が珍しいものでした。
観世流・宝生流・金春流・金剛流・喜多流という能楽の5つの流派が一同に会し、朝8時から夜8時まで行われるのですから、さながら能の「12時間耐久戦」でした。
その全演目(1番能「養老」、2番能「清経」、3番能「井筒」、4番能「張良」、5番能「船弁慶」))を裂帛の気合で大鼓を素手(普通は手のひらは鹿革製の「あて」や、指は和紙を固めた「指皮」でプロテクトするそうです)で敲き続けた大倉さんの指を終演後に拝見させてもらったところ皮が裂けて血が滲んでいました。
恐らく江戸時代か明治時代以降は絶えて久しかったと思われる「五番能」の世界を覗き見ることが出来た稀有で幽玄な体験の一日でした。
▼大倉正之助・大鼓奏者 http://www.hiten-jp.com/
▼松岡正剛 千夜千冊 http://1000ya.isis.ne.jp/top/
▼GKダイナミクス
http://www.gk-design.co.jp/dynamics/index.html