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まつろわぬバイク乗り『RIDING-HIGH』の伝説(Vol.05)


▼まつろわぬバイク乗り『RIDING-HIGH』の伝説(Vol.05)

昔々、「バイク乗りの乱」がありました……。その忘備録です。

■快挙!日本初の『バイクデモ』実現!

僕の書斎の本棚に1冊の本があります。
1981年暮れに出版された『バイク讃歌~ いつもバイクと友達だった/そして今、若いライダーの未来は』(茂木光男著/PMC出版)という本です。僕がバイクに乗り始めた頃に出会った本で、町のバイク屋のおやじさんの書いた本ですが、その視点で戦後の日本のオートバイ史を描いたといっても過言ではない1冊で、名著とか貴重な生き証言といって間違いない内容です。僕にとってのバイブルのような本です。ペンで線を引き引き繰り返し読んだ記憶があります。

戦前の昭和7年生まれの宮城県出身の茂木さんは東京練馬区内で「茂木モータース」を営んでいました。店に集まる若者たちと1980年(昭和55年)に『二輪を考える会』を結成され、様々なバイクへの不当規制の問題解決に向けて「バイクデモ」の実現に乗り出した矢先に警視庁に徹底的にダメ出しをされて苦悩します。

1980年11月中旬、彼らの呼びかけで集まった200台以上のバイクは駒沢公園で集会することさえ許されず、数台ずつ寒風吹きすさぶ荒川土手に移動を余儀なくされます。
追い詰められた果ての結論は「徒歩によるデモ」でした。日本最初のライダーによるデモは1981年5月17日、約100人が雨の中を芝公園からヘルメットを被り、レインウェアを着て、ブーツ姿のライダーたちが手にプラカードを、身体にはスローガンを書いたゼッケンをまとい出発しました。
この涙ぐましい努力と無念さを想像するだけでも僕は泣けてきました。

日本国憲法・第21条には「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」とあります。
デモ行為は「表現の自由」として保証されたものです。ところが、こと「バイクデモ」となると茂木モータースの例のように「絶対バイクデモなどやらせない」というくらいの剣幕で警察側は高圧的な態度で接してきたそうです。主催者としては逮捕者が出ることまでを覚悟してのバイクデモなんて実施できないのも道理です。

バイクデモの実現には「東京都公安条例」(集団行進及び集団示威運動に関する条例)や暴走族対策の道交法・第68条の「共同危険行為」といった厄介な代物をクリアーする必要があります。

さて、前回の投稿で触れたように私たちライディング・ハイ連絡会は1985年3月30日に高速道路料金の問題で「不当に高いバイク料金を半分にしろ」との思いから裁判に訴えています。
ところが同年夏に「嘘だろ?悪い冗談としか思えないよな」という、とんでもない新聞報道を目にしました。
それは日本道路公団による「高速料金の値上げ申請」でした(笑)。

参考までに下記に当時の新聞記事のひとつを書き起こしておきます。

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★≪出典≫東京タイムス 
昭和60年(1985年)8月7日(水曜日)
【タイトル】高速料金10%前後値上げ/日本道路公団料金検討委、来週にも申請/今秋実施の公算大
【本文】日本道路公団の料金検討委員会(委員長・増島健一慶大名誉教授)は、七日に同公団管理の全国の高速道路通行料金について、全車種平均11.4%の引き上げが適正との意見書をまとめ、高橋国一郎日本道路公団総裁に提出する。道路公団は意見書に沿って、来週中にも木部建設、山下運輸両相に11.4%料金引き上げの申請をする見通し。
 引き上げの実施時期について、同公団は9月16日からを希望しているが、建設、運輸両相の審査や物価問題を主管する経企庁などとの調整で、10月1日実施にずれ込む公算が大きい。引き上げ率も今後の調整でも最終的には10%前後に落ち着くとみられる。
 料金検討委員会の意見書提出で、今秋の高速料金引き上げは確実となったわけで、10月実施となれば前回(57年6月実施)以来、約3年4カ月ぶりの引き上げとなる。
 日本自動車連盟や利用者から出ていたオートバイの別料金化など車種区分の細分化や、車種間の料金比率の見直しなどについては、現行のパンチカード方式による料金徴収システムから磁気カードシステムへの切り替えが十分進んでいないなどの判断から今回は見送られた。
 11.4%の引き上げ率を普通自動車の1キロ当たりの料率に置き換えると、現行1キロ当たり19円60銭が約22円になる。料金所通貨の際の手数料に当たるターミナルチャージ(固定費)百円は、そのまま据え置きとなる。
【コメント】私たちへの挑戦だ/乗用車などとオートバイの高速料金が同じなのは不公平と料金返還訴訟を起こしているライディングハイ連絡会・小池事務局長の話
 値上げには反対だ。あくまでオートバイ料金を下げろと裁判で争ってゆきたい。値上げは、私たちに対する挑戦と受け止めている。現在、第二次訴訟に向けて原告募集を行っているが、秋ごろをめどに、値上げへの抗議の意味を含めて、バイクデモも計画している。

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この事態を受けて短気で瞬間湯沸かし沸騰機
みたいで知られる私ですが、普段なら「何だとぉ?ふざけんなよ」と激昂しそうなものですが、この時は不思議と不敵にヘラヘラと笑っていました。
この男が薄気味悪い笑みを浮かべている時の方がよっぽど危険なのです(笑)。頭や腹の中ではまったく別のことを考えていて独りで悦に入っている証拠です(笑)。
つまり「こっちがさぁ、値下げしろって言ってる最中に、あっちから値上げするって言ってんだから、コレって普通なら喧嘩を売ってきてるようなものじゃん。それなら売られた喧嘩なら買いますかね。上等だよ。まったくもって面白い奴らだなぁ」とニヤニヤしていました。

実はこの頃、既にライディング・ハイの中では「日本初のバイクデモ実現」に向けた腹案もあったんだと思います。
それは実験的に「原告団集め」と称して、数百台で高速道路を集団走行するなどのパフォーマンスをして経験を積んでいたのです。
それは裁判を維持する上でも「原告団集め」の正当な活動ですし、制限速度や安全な車間距離を守った順法闘争でもあり、見た目には大きなバイククラブによるマスツーリングと大差ありません。ここに警察権力の介入する余地はありませんでした。
無論、バイク雑誌等の媒体を利用しての告知イベントですから警察も気にして交機隊のパトカーを出して様子を伺いにはきてはいましたがお互いのトラブルは一切ありませんでした。統率のとれた集団でツーリングを楽しむことまでをも阻害することは誰にも出来ませんからね。

桜田門の警視庁本庁には弁護士さんと一緒に訪問しています。
警視正さんクラスを前に独り言ですが「あれ?日本って憲法でデモって禁止されていたっけなぁ?憲法学の授業で“表現の自由”って保証されているって風に教わった気がするんだけどなぁ~。もしもバイクデモが禁止なら、その問題でも裁判を起こそうかなぁ。そうなると憲法論争になるからどっちが勝っても負けても上告して確実に最高裁まで行きそうな気がするんだよなぁ。そうなればことが憲法論議だからマスコミも注目するだろうし、俺は負ける気がしないんだよなぁ」みたいなことを相手に聞こえるか聞こえないかくらいの小声で呟いたような気がします(笑)。

結局、これまで絶対に許されなかった「バイクデモ」の許可はすんなりあっさりと下りました。
次は集会場所というかデモの出発点の公園を確保しなければなりません。都内の公園でも車両乗り入れの出来る公園は限られていますし、そこが別の催し物がない日で場所が空いてなければ借りることも出来ませんし、東京の中心部でなければデモとして沿道の通行人の方々にアピールすることも出来ません。田んぼの中の畦道をデモしても蛙さんやドジョウさんくらいしかギャラリーがいないとしたら悲しいですしね(笑)。
無論、こちらの様々な準備も必要です。
東京都の公園を管理する部署に打診して原宿駅からも近い「明治公園」を規模と予算の関係と相談して平米単位で半分のスペースを借りました。(今は明治公園はオリンピックの新国立競技場の建設用地として消えてしまいましたけどね)
私は四谷警察にデモ申請とデモコースの打ち合わせ等でもお邪魔した記憶があります。
デモといっても実際には様々な制約はあります。ましてそれが≪日本初のバイクデモ≫という試みですからお互いにトラブルのないように条件と要望のすり合わせが求められます。目標はノントラブルでの「バイクデモの実現」です。1車線2列の千鳥走行で、1梯団のMAXを50台にするとか、各梯団の先頭に街宣車というか先導の四輪車をつけるとか、そんなことのすり合わせです。

そして遂に1985年10月13日、記念すべき≪日本初のバイクデモ≫がライディング・ハイの手で勝ち取られたのです。バイクの交通安全パレードとは意味的にも違いますよ(笑)。

私はこの成果を何よりも「前例を作った」ことだとも思っています。
警察組織もお役所とすれだ、役所は「前例があるかないか」に非常に影響されるような気がします。「前例がない」ものはなかなか認められませんが、過去に「前例がある」ものには時に弱い気がします。
そんなわけで、将来、何かの理由と目的でバイク乗り達がバイクデモを欲した時は、「1985年10月13日の日曜に、東京の明治公園から日比谷公園までを時速30キロで150台のバイクで許可をとって整然とデモした人たちがいますよ」と堂々と言ってあげてみてくださいな。
必要があれば「バイクデモ」は実施可能なのです。

【文責】小池延幸(57)/ZRX1200 DAEG
明治学院大MC『井戸端会議』初代総長

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【出典】東京タイムズ NEWSクリップ
昭和60年(1985年)10月14日(月曜日)

【タイトル】
初のバイクデモ/高速料金値上げ反対/全国からライダー150人が都内走行

【本文】
 「バイクの高速料金が29人乗りのマイクロバスと同額なのは納得できない」として、日本道路公団など3社を相手に高速料金返還訴訟を提訴中の「バイク差別と闘うライディング・ハイ連絡会」(小池延幸事務局長)の会員らバイク愛好家が、13日午後、都内で「10月1日の高速料金値上げに抗議する10・13バイクデモ」を行った。
 バイクによる正式なデモは国内では今回が初めての試み。
 今回、デモに参加したのは東京地区を中心に福岡、京都、宮城など全国から集まった約150人のライダーたち。
 この日、参加者たちは昼過ぎに東京・渋谷区千駄ヶ谷の明治公園に集合。1時間集会を行ったあと、午後3時、街宣車を先頭に50台ずつの隊列を組んで同公園を出発。青山通り→赤坂見附→虎ノ門→外務省前→日比谷公園のコースを約30分にわたってデモ走行した。この日は4週間ぶりに好天気にめぐまれた日曜日とあって、沿道には休日を楽しむ人も多く、初のバイクデモに「何事か?」と足をとめて見物していた。
 京都から参加した■■■さん(23)は「高速料金はやっぱり高い。きょうも高速で来たかったけど1万円もかかってしまう。国道1号で1日がかりで走ってきました。初のデモに参加できてうれしい」と言い、同会会員で原告団の1人・■■■■さん(29)は「遠方からの参加者もあり非常によかった。次回はさらに台数を増やし、もっとアピールしていきたい」と話していた。

【写真キャプション】
2列走行で初のバイクデモを行ったライダーたち=港区・赤坂見附交差点

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≪過去投稿リンク先≫
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遥か昔の1980年代中期のささやかな「バイク乗りたちの乱」ではありますが、皆さんの記憶に残ることが前世紀の遺物みたいな私たちへのレクイエムだとでも思ってさっ!(笑)
おっと、当時の大半の仲間たちはまだまだ元気にバイクで走り回ってはいますからご安心を♪(笑)

▼まつろわぬバイク乗り『RIDING-HIGH』の伝説(Vol.04)→第1波提訴報道/毎日新聞
https://www.facebook.com/halumotoride/posts/745295015631446
▼まつろわぬバイク乗り『RIDING-HIGH』の伝説(Vol.03)→第1波提訴報道/朝日新聞
https://www.facebook.com/halumotoride/posts/744797609014520
▼まつろわぬバイク乗り『RIDING-HIGH』の伝説(Vol.02)→結成報告/読売新聞
https://www.facebook.com/halumotoride/posts/744155279078753
▼まつろわぬバイク乗り『RIDING-HIGH』の伝説(Vol.01)
https://www.facebook.com/halumotoride/posts/743835959110685





  • ライディング・ハイの乱(その4)


    ▼まつろわぬバイク乗り『RIDING-HIGH』の伝説(Vol.04)

    その昔、バイク乗りたちの叛乱の季節がありました……。



    ■「大義の春」来る!東京地裁にバイク部隊で突入!?

    仮にも全国紙の一面にデカデカと写真付きでバイクの記事が掲載されるなんてこと自体が春の珍事だったかもね。
    これで不当に高いバイクの料金に関心もなかっただろうドライバーにも市民の皆さんにも「何事だ!?何が起きているんだ?」と思っていただけたかもしれませんよね。
    バイク雑誌って実は読者の範囲も限られたものなので、他のマスメディアも上手く利用しないとね。これで僕らの怒りも少しは「可視化」出来たのかもです。

    そもそも東京・霞が関の官庁街の裁判所の構内にバイク集団が雪崩れ込むなんてケースは見たことも聞いたこともなかったと思いますからマスメディア的には絵面的にも美味しいというか注目していたんだろうなぁ。

    この日は提訴後に司法記者クラブで会見して、帰ってアパートでゴミ捨て場から拾ってきたテレビを見ていたら、裁判所構内に乗り入れるシーンをどこかのテレビ局の夕方のニュースで見た記憶があります。まだVHSさえ高嶺の花だったのか貧乏学生には普及していないような時代ですから残念ながら当時の映像なんて残っていないしね(笑)。

    閉鎖的とも批判される日本の記者クラブ制度の問題もあって、そこに加盟できない雑誌協会やフリーランスなどは当日の取材にも入れなくて苦労したのか、夜になって部屋の電話が鳴ると週刊誌の記者から電話取材でコメントを求めてきたのも今でも覚えています。(携帯なんて無い時代ですからね)

    写真ではわかりづらいとは思うけれど、隊列の先頭で“髑髏ヘル”とか呼ばれてい白いシンプソンのヘルメットにマットブラック塗装のGPZ400は当時の私です(笑)。あのヘルには黒マジックで「事務局」って“ゲバ字”よろしく大書してありましたっけね(笑)。

    【文責】小池延幸(57)/ZRX1200 DAEG
    明治学院大学MC『井戸端会議』

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    《出典》毎日新聞 
    1985年(昭和60年)3月30日(土曜日)夕刊

    【タイトル】高速料金の半額を返せ/ライダー集団提訴

    【本文】
    「普通車と同じ高速道路料金をとるのはおかしい」と、全国各地のオートバイ愛好家ら総勢六百九十一人が、三十日午前、日本道路公団、首都高速道路公団、阪神高速道路公団の三者を相手取り、これまでに支払った料金の半額にあたる総額七十八万六千五十円の返還を求める集団訴訟を東京簡裁に起こした。
     訴えたのは北海道から九州・鹿児島県まで全国の二十歳から五十九歳までの会社員、公務員、医師、学生らで、いずれも「バイク差別と闘うライディング・ハイ連絡会」(小池延幸事務局長、会員百二十人)の呼びかけに賛同したマニアたち。映画監督の高橋伴明さんやシナリオ作家の戸井十月さんも加わっている。
     訴えによると、オートバイは高速道路での二人乗りが禁止され、最高速度も時速八十キロに制限されているのに料金だけは「普通車」扱いで、総重量八トン未満のトラックや定員二十九人のマイクロバス、乗用車などと同額。これは道路の損傷度や運送効果を全く無視した料金体系で、公正妥当な料金を設定するよう求めた道路整備特別措置法にも違反する、としている。
     請求額は、手元に残っている領収書で確認できるものだけで、一人当たり百五十円から一万円まで。

    【写真キャプション】
    提訴のため集まったライダーたち=東京霞が関の合同裁判庁舎前で30日 午前10時35分

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    ≪過去記事リンク先≫
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    遥か昔の1980年代中期の「バイク乗りたちの乱」ではありますが、皆さんの記憶に残ることが前世紀の遺物みたいな私たちへの供養だと思って!(笑)
    おっと、まだ当時の大半の仲間たちは元気にバイクで走り回ってはいますからご安心を♪

    ▼まつろわぬバイク乗り『RIDING-HIGH』の伝説(Vol.03)
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    ▼まつろわぬバイク乗り『RIDING-HIGH』の伝説(Vol.02)
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    ▼まつろわぬバイク乗り『RIDING-HIGH』の伝説(Vol.01)
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