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横浜中華街で「チューシュー丼」のルーツを探る!?


横浜中華街で「チューシュー丼」のルーツを探る!?





チャーシュー丼・・・大袈裟ですが、それは中国4000年の味の結晶のひとつかもしれません(笑)。

例えば炊き立ての温かいご飯の上に、トロトロの豚の角煮とか焦がした豚バラとかを乗せて食べたとしたら想像するまでもなく美味いと思うよね?
その発想でいえば、ご飯の上に叉焼(チャーシュー)を乗っけても間違いなく美味いはずだ。もしかしたら誰でも昔から忙しい時の賄い飯的に自然にやっていたことかも知れません。僕も時間がない時にご飯の上にロースハムとか乗っけてよく食べることがありますが、どこか似ているような気もします。

横浜中華街といえば日本どころか東アジア最大級と言われ、あの狭いエリアに約500店がひしめく中華街です。なんと江戸時代末期の横浜新田慰留地にルーツを持つ長い歴史がある街です。
一説によると、横浜中華街で最初に「チャーシュー丼」をメニューとして登場させたのは1960年創業の『興昌』ではないかという噂があります。
この逸話は、1983年頃の『週刊プレイボーイ』誌上でも紹介されたという未確認情報もありますが、さすがに今となっては当時の掲載誌は僕も入手は不可能で真偽のほどの確認は困難です(笑)。

今でこそ「崎陽軒」のしゅうまいと並び称される程にかどうかは別にしても、すっかりヨコハマ名物どころか全国津々浦々の家庭まで浸透しつつある「チャーシュー丼」ですが、ラーメン屋『興昌』の長男だった朱武さんが、それを「発明」したのは、1980年代の前半、店の定休日に中華街の友人たちと麻雀をやっていた時だとされています。
武(たけ)さんが「大三元」で上がった瞬間、何かが閃いて、逃げるように慌てて雀荘を走り出て、店の調理場に直行して5分で完成させたのが現在の興昌の「チャーシュー丼」とされています。
とりあえず愛犬に食べさせてみると尻尾を振ってガツガツと平らげてしまったのを見て気を良くした武さんは、次にお母さんに食べてもらったそうです。
ところが「中華料理は元来、こってりとした油っこいもの。こんなあっさりとしたものは邪道。すぐに捨てなさい!」と烈火のごとく怒られたそうです。
でも、あったかいご飯の上にチャーシューを乗せ、きざみネギに甘ずっぱい秘伝のタレをかけたチャーシュー丼こそ、「こってりさ」と「あっさりさ」がほどよくマッチングした天が与えてくれた理想のどんぶりと腹を括り、なんと「チャーシュー丼Tシャツ」まで作り、それを着て、警察署や暴力団事務所にまで岡持ちを提げて出前に出かけていたとされています。

実は僕も今から約35年前に、改装前の『興昌』で、このチャーシュー丼をバイク(Z400FXorGPz400F?)で乗りつけて食べた記憶があります(笑)。まだ店構えは普通のラーメン屋の佇まいでした。
当時、その白いTシャツは3500円でチャーシュー丼が1杯付でした(笑)。
3500円でTシャツを買うとチャーシュー丼がついてくるのか、3500円のチャーシュー丼にTシャツが付いてくるのか不思議な感覚ですが、どうでもいいことです。1983年当時、チャーシュー丼単品では確か430円でしたから、Tシャツは実質3070円?
ちなみに現在の興昌チャーシュー丼は・・・幾らでしたっけ?(昔の値段は覚えていても最近のことには割と無頓着な俺なのです!)

チャーシュー丼Tシャツの存在が公になったのは記憶の範囲では1983年8月発行の某バイクメディアの広告欄だったと思います。翌月の広告には早くも「売り切れ間近」と告知がありましたから一部マニアの間ではその優れたアートワークも含めて評判になっていたと思われます。

ヨコハマ観光で中華街に寄ったとしても、圧倒的な店舗数で手始めに何処で何を食べたらいいか迷った際は、騙されたと思って関帝廟の並びで名物料理のワタリガニが目印の「KOHSHO」というお店を探してみてはいかがですか?
B級グルメとしてチャーシュー丼は話のネタになりますよ。
店主の朱武さんも恐らく筋金入りのバイク好きな1人な気がしますしね。
何はともあれ、今日もまた35年ぶりのチャーシュー丼を注文する私です(笑)。

ランチなら麺類とミニチャーシュー丼とのセットもあります。チャーシュー丼のお試し食いとしてはいいかも。

横浜中華街で「こうしょう」という同じ発音では2006年6月末に60年の歴史に幕を閉じた名店『鴻昌(こうしょう)』がありますが、こちらは1960年代のGSブームの火付け役となったR&B色が濃かったバンド『ザ・ゴールデンカップス』のギタリスト、エディ藩さんのお店です。





▼創作中華料理『興昌(KOHSHO)』(横浜中華街関帝廟通り)
横浜市中区山下町139 TEL 045-681-1293  正午~PM9
http://www.kanteibyo.com/prog/shop.html?id=26
https://chinatown80.sakura.ne.jp/gourmet/detail/79

▼横浜中華街公式サイト
http://www.chinatown.or.jp/

▽関帝廟(横浜中華街)
http://www.yokohama-kanteibyo.com/info/info.html
▽中華街パーキング http://www.chukagai.or.jp/






  • 暑いじゃないですかぁ~。だから装備(武装?)改編♪


    暑いじゃないですかぁ~。だから装備(武装?)改編♪





    いまどきは夏向けの通気性の優れたメッシュ素材のジャケットやパンチングした革ジャケ類もあるとは百も承知なんですが、性格がM体質なのか、瘦せ我慢好きなのか、そもそも苦行と勘違いでもしているのか、初老年齢なので熱中症に鈍感なのか、女房が涼し気にそんな今風のジャケットを羽織ってバイクで走っていてもそれを横目に無関心を決め込む私です(笑)。

    そもそもが真夏に焼け火鉢みたいなエンジンを股下に挟んで走っていること自体がバイク乗りってその時点でかなりおかしい人種ですからね(笑)。

    しかしそろそろ暑さも我慢の限界というわけで、「同じカドヤ製品だし、肩や肘パッドの造形が革ジャンと同じデザインなら女房も気がつくまい」という甘い考えでいたら、途中の第三京浜・保土ヶ谷PAで休憩した時に「朝からなんか変だと思ったんだわ」としっかりバレてました(笑)。そりゃ、さすがに気づくわな(笑)。
    革の光沢とウォッシュアウトしたようなデニム地の質感じゃ違いがあり過ぎだもんな。
    しかしデニム地とはいえ、これが結構重いし、おまけに・・・暑い!
    バイクで走っている時はまだしも、こんなの羽織って炎天下の横浜中華街を歩いていたら汗かくどころか立ち眩みがしそうで、思わず関帝廟では脱ぎ捨てる始末(笑)。

    それでも裏地はメッシュで直接肌にはベタつかない気がするし、ポケット類のチャックを開ければ一応はダクト替わりに風は入ってくるような気もするし、革ジャンと比べれば快適なんだろうけど、背中のパッドって冬は暖かくて頼もしいけど夏は暑いよね(笑)。

    女房のツッコミでは「なんで暑いのにわざわざチョッキみたいのを重ね着なんてしているわけ?余計、暑いし重いじゃん」となりますが、これは「スタイル」や「スタンス」の問題であって、ファッションやブームと違って流行り廃りの問題ではないのでどうにもしょうがないんだよね(笑)。










  • バイク乗りにとっての聖地訪問♪


    バイク乗りの「聖地巡礼」?
    単車が似合うハマのJAZZ喫茶?
    逆≪600マイルブレンド≫の世界か?















































    ここ暫く言葉を探していました。
    昔、何処かで目にした筈のテキストの在り処を忘れてしまって彷徨っていたようなものです。
    それが誰の文章で、おおまかな内容までは覚えていても、それがどの本で読んだのかをすっかり忘れていたのです。

    それは2009年に他界されたジャズ評論等で有名だった平岡正明さんが2006年に公開された映画『ヨコハマメリー』パンフレットに寄せた≪港のメリー、噂にあらず、幻にあらず≫という推薦文でした。
    書籍からばかり探していたので道理で見つからなかった訳です。

    それは、≪ここ十年来の横浜の映像のなかでいいものは、一つは崎陽軒のシューマイ弁当のテレビCMだ。中華街はずれ、三軒の葬儀屋にかこまれたジャズ喫茶「ミントンハウス」の店主オイドンが、ほの暗い店内から毛筋ほど細かい雨の降る戸外を見て、「町も店も古いのがいいなあ」と言う。逆光でとられたカラーが、モノクロに近く、鈴木清順がとらえた昭和初年のカフェの感じだ。≫で始まる書き出しでした。
    平岡正明さんといえば本年5月末に『平岡正明論』という大書が出たばかりです。

    バイク乗りたちのバイブルのひとつに週刊プレイボーイで連載された劇画『ケンタウロスの伝説』(オサム原作/御厨さと美画 1981年刊)があると思います。
    実在のモーターサイクルクラブの逸話をベースにした硬派な世界に当時魅了されたのは僕だけではないはずです。
    作品中、度々登場するのが『MINTON HOUSE』(ミントンハウス)という実在の横浜のジャズ喫茶でのシーンです。劇画の中では横浜の喫茶店から神戸の喫茶店「路地」までコーヒーを飲む為に日帰りの高速ツーリングをするエピソードを「600マイルブレンド」として描いています。神戸の喫茶店のモデルとなったのが三宮の「茜谷珈琲店」とされていますが、横浜の喫茶店は『MINTON HOUSE』としてきっちり登場しています。
    つまり、このジャズ喫茶はブームを呼んだ劇画に登場する実在のお店でもあったのです。
    その意味では僕にとっては憧れと畏敬の聖地のひとつでもあります。
    ぶ厚く重い木の扉の向こうの暗がりは、異形の騎士たちの群れる場所でもあるのです。魔窟とまでは云いませんが、それに近い“異界への扉”のようなものでしょうか。
    まぁ、十人十色で好き嫌いは別れるとは思いますが、僕は好きな世界です(笑)。

    横浜のミントンハウスのOPENは1975年ですから、この地で早43年目の歴史があります。やや不愛想にも見える名物マスターと壁を埋め尽くす3500枚のLPレコードと背丈ほどありそうなスピーカーから流れる大音量のジャズがもてなしてくれます。
    僕みたいな田舎の少年にとって都会の「ロック喫茶」や「ジャズ喫茶」は半ば憧れの空間でもありました。
    半世紀近く前のジャズ喫茶なら「私語禁止」なんて店も多かったそうですが、最近はジャズバー的な業態に移行する場合も多く、ここ横浜のミントンもお喋りは可能なのでご心配なくです。
    「ジャズ喫茶とは何か」という命題や定義には難しい問題もありますが、現代的な感覚や解釈ではBGMよりは明らかに大きな音量で客にジャズを主にレコードで聴かせることを主目的とした店というアバウトな捉え方でも僕はよいと思っています。

    子供の頃、家にあるのはお粗末な卓上プレイヤーくらいでした。
    夜間部の学生として上京して働きだして冬のボーナスで秋葉原でコンポを組みましたが、4畳半1間の木造モルタルアパート暮らしでは隣との壁も薄くて大枚叩いて手にいれたオーディオも蚊の鳴くような音量でしか鳴らせないのが現実でした。
    そんな貧乏学生の都会暮らしですからレコードを大きな音でかけてくれるジャズ喫茶やロック喫茶がオアシスだったのです。
    有象無象が集まるそこが≪文化の拠点≫でもあった時代が存在しました。

    最近は「ライダーズカフェ」の類が全国的にブームですが、昭和な世代の僕みたいな時代遅れで初老の小汚い冴えないおっさんには流行の人気スポットとかはキラキラ眩しく見えてどうにも気恥ずかしくて訪問するにもとっても勇気が要ります(笑)。洗練されたファッションに颯爽と身を包んだスマートなライダーが溜まっていると「俺なんて場違いでしかないよな」と小心者の性格も相まってついつい気後れというのか躊躇しちゃうんですよね。
    そんなわけで、安心して入れるのは昭和レトロな純喫茶や街の洋食屋さんや路地裏や場末といっては失礼ですが嗅覚が頼りのそんな場所の店ばかりを好む傾向にあります。
    それに僕自身が無類の音楽好きでもあるので、それなりに店主の音楽へのこだわりといったものにも魅かれます。

    さて、横浜の「ミントンハウス」に話を戻すと、この店が売れっ子作家の推理小説に登場したことがあります。
    しかしこれには落ちがつきます(笑)。
    後世「ミントンハウス・異邦の騎士事件」と語られるようになるかもしれません(笑)。

    島田荘司さんというミステリー系の作家さんに“御手洗潔(みたらいきよし)シリーズ”というのがありまして、1988年に出た『異邦の騎士』という作品を随分と昔に文庫本でたまたま読んだことがあります。
    作品中にも「ミントンハウス」が登場しますが、笑ってしまったのは作者の後書き「異邦の扉の前に立った頃」の中でこんな記述を発見したことがありました。

    曰く、「吉祥寺のジャズ喫茶やロック喫茶で時を過ごし、マージャンに逃避する友人たちからは遠く離れて、やるせない思いを抱いたまま、横浜へ一人ドライブした。石川町の運河のほとりに、今はもうなくなったがミントンハウスというジャズ喫茶があった。今ならとても考えられないような真っ暗な店内で、ここが気に入り、表の道に停めた車が駐車違反のステッカーを貼られないかと終始怯えながら、店内で何時間も過ごした。」という件です。

    僕はこれを読んだ時に思わず「えっ~!まぢ!?ミントンが過去のものにされちゃってるよ」と驚きました。
    でも大丈夫、ミントンは今も同じ場所も相変わらず営業中です。
    先日(6月9日)も女房の誕生日ってこともあって、昼は都内某所のロックなDJ付タコスパーティーにお邪魔してランチ、その足で横浜のダークなスポット観光の流れで、中華街「興昌」でチャーシュー丼を食べた後でミントンでコーヒーをお替りした記憶がありますので、やっぱりミントンはそこに確かにありました。

    通常、大きな出版社なら「校閲部」って部署がありますし、大作家先生の記述であっても担当編集者がチェックすればそのお店が今も営業中かどうかはインターネットが普及する前の時代とはいえ、電話帖と電話1本で確認作業が出来たはずなのでちょっと軽いショックを受けました。通常なら起こり得ないミスのような気がしたのです。ちなみに、この後書きは文庫本化に際して1991年に書かれたもののようです。

    当時の文庫本は棄ててしまったのか見つからなかったので、1997年に出た【改定完全版】の同作を開いてみました。
    本文中で「ミントンハウス」のことはこんな風に描かれていました。

    「歩くうち、陽が落ちていく。よどんだ水の色が、真っ先に夜の色に変わっていく。そろそろ引き返そうかと迷っているうち、ミントンハウスというジャズ喫茶を見つけた。たそがれ時の住宅街に、ポツンと明かりがともっていた。重い木の扉を押して入ると、板張りの床がわずかに鳴る。天井の、蛍光灯の入ったアクリル乳板のボックスが茶色のスプレーで汚されていて、店内は倉庫の中のように薄暗かった。枯れたジャズギターが鳴っていた。音とセピア色をした暗さをかき分けるようにして奥へ進み、空いた席を見つけて腰を降ろす。そしてジャズが、体になじんでくるのを待った。スポットライトが壁の一点を照らし、そこに今演奏中のレコードのジャケットがかかげられている。黒人の顔写真が見える。そのレコードが終わり、次のものが始まる。これもギターだ。アップテンポ、精いっぱい陽気な感じ。ジャケットがさしかえられる。黒っぽかった絵柄がピンクに変わった。このリズム、録音の状態などから、初期のジャズと解る。チャーリー・クリスチャン---?ジャケットの文字がそう読めた。」

    とあります。どう読んでも僕が知っている山下町のミントンハウスの描写です。
    しかも小説内ではお店で流れている設定のLPが明らかに『ミントン・ハウスのチャーリー・クリスチャン』(1941年録音)なんですからアルバムタイトルと店名を引っかけてくれてもいます。
    ミントンを小説の後書きで過去のものにしてしまったというあり得ない初歩的な確認ミスから、どうやらこの作家さんは心を痛めていたようです。そりゃそうだよね(笑)。

    2004年に「島田荘司 『異邦』の扉に還る時」(原書房)という日記のような変わった本が出版されました。
    もしかするとミントンへのお詫びのつもりだった気がします。
    収録された書き下ろし小説『海と毒薬』は、『異邦の騎士』のスピンオフ作品に位置付けられると思いますが、この中でこんな件があります。

    ≪最近、「異邦の騎士」事件の頃に何度か行った、ジャズ喫茶の「ミントンハウス」に入りました。辛い思い出を導きかねない場所だけれど、読者からの一通の手紙が、ぼくに一年発起をさせたのです。なくなったとばかり思っていたあの店ですが、まだあるらしいと知り、ぼくにとってはなかなかの決断でしたが、散歩気分でぶらぶら行って、思いがけなくぽんと店の前に出たので、あ、やっぱりまだあったんだ、前と同じだと思い、入ることにそんなに躊躇せずにすみました。こんなに近くだったのに、訪ねたのは本当に久しぶりで、あの頃以来です。あのあたりは、なんとなく歩かないようにしていましたから。君もきっとそう思って、あの店のある小路は、散歩のおりには避けていてくれたのでしょう。(中略)少し暗い店内は見事にあの頃のまま、蛍光灯の入った天井のボックスを汚す茶色のスプレーも、木造りのスピーカー・ボックスも、カウンターに付属した合板性の椅子も、すべて当時のままでした。まるきり時間が停まっていたみたいで、なんだかすっかり感動してしまいました。≫と更にまだまだ長々とミントンについての記述が続くのです。

    しかもこの本では作家とマスターのおいどんも交えて「横浜ミントンハウスで、ジャズと時代を語る」というタイトルで興味深い6ページ物の鼎談も組まれていました。
    本の表紙も思いっきりミントンハウスのまんまでした(笑)。
    以前、この本は出版当時にミントンハウスの入口近くの壁のラックに立てかけたあったのを見かけた記憶があります。
     
    実は私はこの島田荘司って作家さんが苦手意識なのか『眩暈』と『異邦の騎士』の2冊しか手にしたことがない気がします。この作家さんもバイク乗りらしく第三京浜を飛ばしてはよく山下公園辺りに出没していたそうです。でも、同じ島田姓の作家なら島田雅彦の方が個人的にはまだ好みかなぁ~(笑)。

    そもそも現存する日本最古のジャズ喫茶「ちぐさ」にしても横浜の店ですし、戦前の1933年からあり、横浜大空襲で焼失していますが戦後も場所を移して再建されています。横浜は海外に開かれた港町ですから大正時代には既にジャズらしいものが文化として入ってきたとされています。定説では横浜を出航したアメリカ航路の客船「地洋丸」上で演奏されたともされていますが、これは明治時代の1912年ですから、横浜とジャズの関係は優に100年以上に渡ることになります。やっぱり横浜はジャズと親和性の高い土地なんですよね。

    仕事の休みがとれなかったり、休日なのに雨だったりと、どうにもテンションが上がらず、もっぱら「晴耕雨読」じゃないけれど「晴RIDE雨READ」?ん?「晴駆雨読」?「晴行雨読」?「晴征雨読」?
    まっ、なんでもいいんですけど、こんな季節は読書に限るかもね。
    もうすぐ梅雨も明ける。

    ミントンハウスの斜め前には「恵びす温泉」なんて銭湯みたいな場所もあります。ここで汗を流してノンアルコールビールを片手にJAZZとヨコハマの夜の冷気に酔うなんてのは一興かもね。

    ▼ジャズ喫茶 愛されて39年
    MINTON HOUSE「崎陽軒」CMでも話題に
    https://www.townnews.co.jp/0113/2014/05/22/237024.html
    ▼朝日新聞 2016年04月28日付
    企画特集 3【ヨコハマJAZZストーリー】
    ジャズ喫茶 重い扉の先
    http://www.asahi.com/area/kanagawa/articles/MTW20160428150280001.html
    ▼YOKOHAMA JAZZ BAR MINTON HOUSE
    https://www.youtube.com/watch?v=WaV9irodmpI
    ▼『ミントンハウス』 横浜市中区山下町276
    https://www.facebook.com/pages/ミントンハウス/150968594925501

    ▼『平岡正明論』大谷能生著(ele-king books)
    http://www.ele-king.net/books/006286/

    ▼島田荘司「異邦」の扉に還る時
    http://www.harashobo.co.jp/
    ▼異邦の騎士 島田荘司著(講談社文庫)
    http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000197855

    ▼映画『ヨコハマメリー』(中村高寛監督/2005年)
    http://hitohito.jp/index.html
    ▼『ヨコハマメリー かつて白化粧の老娼婦がいた』中村高寛著/河出書房新社 2017年8月末日刊
    http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309025933/

    ▽恵びす温泉 横浜市中区山下町161
    https://k-o-i.jp/koten/ebisuonsen/





  • 夏のキャンプツーリングの必需品?


    夏のキャンプツーリングの必需品?













    好きな色の組み合わせのビーチサンダルをオーダーする!?

    横浜中華街の魔窟散歩にて「関帝廟」から出てきて真正面の「横濱バザール」という雑居ビルが目に入った瞬間に、己の嗅覚で「ここ、なんか、怪しい、面白そう♪」と3Fまでトコトコ階段を上がって出会ったのがオーソドックスなスタイルのビーチサンダルでした。
    といっても、ここではサイズごとのカラフルなウレタンソールとカラフルな天然ゴムの鼻緒(ストラップ)を自由に組み合わせることが出来、その場で「ソールはこの色で、鼻緒はこの色にして」とお願いすればその場で作ってくれます。
    商品名はそのまんまの『B-san』というそうです。
    しかも値段も安いしね。
    お店の人によれば、履き心地こそが自慢なんだそうです。

    キャンプツーリングでも現地に着けば重いライディングブーツを脱いだ時に必要なのが手軽なサンダルの類ですし、これなら軽いから荷物ネットに適当に挟み込んでいけて便利だし、何より自分の好みの色のサンダルでお出かけってのが嬉しいかもね。

    それにしても朝霧高原での「道楽」ラストキャンプは寒かった。
    あの時も持っていかなきゃならなかった忘れ物としてサンダルがあったけど、あの極寒ではビーチサンダルがあっても使えなかったよな(笑)。



    ▼ビーチサンダル専門店「B-san」(ビーサン)  http://b-san.com/
    https://www.facebook.com/ビーチサンダル専門店B-san-139787962818302/
    https://www.instagram.com/enjoyyourbsanlife/

    ▼服飾雑貨MAN 横浜市中区山下町166 横浜バザール内305
    http://www.furugiya-man.com/
    ▽横濱バザール
    http://yokohamabazaar.com/

    ▼横浜中華街公式サイト
    http://www.chinatown.or.jp/
    ▽関帝廟(横浜中華街)
    http://www.yokohama-kanteibyo.com/info/info.html

    ▼創作中華料理『興昌(KOHSHO)』(横浜中華街関帝廟通り)
    横浜市中区山下町139 TEL 045-681-1293  正午~PM9
    http://www.kanteibyo.com/prog/shop.html?id=26
    https://chinatown80.sakura.ne.jp/gourmet/detail/79





  • 偶然でもやっぱり出会っちゃうとヤバいよね(笑)。


    偶然でもやっぱり出会っちゃうとヤバいよね(笑)。

    Tシャツなんて夏場の汗取り用に限らず何枚あっても困ることないので、ついつい気に入ったデザインに出くわすと散財してしまいます(笑)。

    雨も昼前には上がったので「そうだ、横浜中華街で何か食べよう♪」と思い立ちエンジン始動。
    関帝廟の並びの『興昌』で、名物のチューシュー丼と酢豚と海老とニラの包み焼で昼飯。
    ご飯の後は「三国志」の英雄、関羽様にお詣りして、なんとなく正面の雑居ビルが気になって階段を3階まで上がってみると、こんなZ1-RのバックプリントのバイクTシャツがありました(笑)。
    このブランドの系列では姐御風女性とエレキギターを絡めたピークドイエローのスカジャンやTシャツは持っていたので知ってはいましたが、こんな場所でバッタリ出くわすのも何かの縁というかもしかすると関羽公のお導きってものなのかもね(笑)。

    まだジャズ喫茶『ミントンハウス』が開くまでには時間があるので諦めて、「興昌」のオーナーさんに教えてもらった煙草の吸えるミントンハウスからも近いレイトンハウスの1Fの喫茶店に移動。
    ラストはミントンハウスの前のベンチで一服して横浜観光もせずに日没前には帰宅(笑)。

    しかし中華街のバイク駐車場の料金は車と同じという不合理さなので、近くて便利は便利だけど少し遠くても公共駐車場を探したほうが得かもね。





























    ▼服飾雑貨MAN 横浜市中区山下町166 横浜バザール内305
    http://www.furugiya-man.com/
    ▽横濱バザール
    http://yokohamabazaar.com/

    ▼エフ商会  http://www.tedman.co.jp/
    ▽Peak'd Yellow
    http://www.tedman.co.jp/index_peaked.html
    ▽カミナリ
    http://www.tedman.co.jp/index_peaked.html

    ▼創作中華料理『興昌(KOHSHO)』(横浜中華街関帝廟通り)
    横浜市中区山下町139 TEL 045-681-1293  正午~PM9
    http://www.kanteibyo.com/prog/shop.html?id=26
    https://chinatown80.sakura.ne.jp/gourmet/detail/79

    ▼横浜中華街公式サイト
    http://www.chinatown.or.jp/

    ▽関帝廟(横浜中華街)
    http://www.yokohama-kanteibyo.com/info/info.html
    ▽中華街パーキング http://www.chukagai.or.jp/
    ▽横浜市中区の時間貸しバイク駐車場
    https://www.jmpsa.or.jp/society/parking/area14/横浜市中区-1.html

    ▽CAFE168  神奈川県横浜市中区山下町168-1 レイトンハウス横浜1F
    http://www.chinatown.or.jp/shop/cafe168/
    ▽ミントンハウス  横浜市中区山下町276





  • 売れっ子作家の推理小説に登場した横派のジャズ喫茶「ミントンハウス」♪












    売れっ子作家の推理小説に登場した「ミントンハウス」♪

    古いネタなので、恐らく大半の皆さんがご承知の話かとは思われますが、笑ってお許しください。
    後世「ミントンハウス異邦の騎士事件」と語られるようになるのかなぁ?
    島田荘司さんというミステリー系の作家さんに“御手洗潔(みたらいきよし)シリーズ”というのがありまして、1988年に出た『異邦の騎士』という作品を随分と昔に文庫本でたまたま読んだことがあります。

    作品中にも「ミントンハウス」が登場しますが、笑ってしまったのは作者の後書き「異邦の扉の前に立った頃」の中でこんな記述を発見したことがありました。

    曰く「吉祥寺のジャズ喫茶やロック喫茶で時を過ごし、マージャンに逃避する友人たちからは遠く離れて、やるせない思いを抱いたまま、横浜へ一人ドライヴした。石川町の運河のほとりに、今はもうなくなったがミントンハウスというジャズ喫茶があった。今ならとても考えられないような真っ暗な店内で、ここが気に入り、表の道に停めた車が駐車違反のステッカーを貼られないかと終始怯えながら、店内で何時間も過ごした。」という件です。

    私はこれを読んだ時に思わず「えっ~!まぢ!?ミントンが過去のものにされちゃってるよ」と驚きました。
    でも大丈夫、ミントンは今もしっかり営業中なんですもん♪

    過日も女房の誕生日ってこともあって、昼は都内某所のタコスパーティーにお邪魔してランチ、横浜のダークな観光の流れで、中華街「興昌」でチャーシュー丼を食べた後でミントンでコーヒーをお替りした記憶がありますので、やっぱりミントンはそこにありましたもん。
    通常、大きな出版社なら「校閲部」って部署がありますし、大作家先生の記述であっても担当編集者がチェックすればそのお店が今も営業中かどうかはインターネットが普及する前の時代とはいえ、電話帖と電話1本で確認作業が出来たはずなのでちょっと軽いショックを受けました。通常なら起こり得ないミスのような気がしたのです。ちなみに、この後書きは文庫本化に際して1991年に書かれたもののようです。
    当時の文庫本は棄ててしまったのか見つからなかったので、1997年に出た【改定完全版】の同作を開いてみました。
    本文中で「ミントンハウス」のことはこんな風に描かれていました。

    「歩くうち、陽が落ちていく。よどんだ水の色が、真っ先に夜の色に変わっていく。そろそろ引き返そうかと迷っているうち、ミントンハウスというジャズ喫茶を見つけた。たそがれ時の住宅街に、ポツンと明かりがともっていた。重い木の扉を押して入ると、板張りの床がわずかに鳴る。天井の、蛍光灯の入ったアクリル乳板のボックスが茶色のスプレーで汚されていて、店内は倉庫の中のように薄暗かった。枯れたジャズギターが鳴っていた。音とセピア色をした暗さをかき分けるようにして奥へ進み、空いた席を見つけて腰を降ろす。そしてジャズが、体になじんでくるのを待った。スポットライトが壁の一点を照らし、そこに今演奏中のレコードのジャケットがかかげられている。黒人の顔写真が見える。そのレコードが終わり、次のものが始まる。これもギターだ。アップテンポ、精いっぱい陽気な感じ。ジャケットがさしかえられる。黒っぽかった絵柄がピンクに変わった。このリズム、録音の状態などから、初期のジャズと解る。チャーリー・クリスチャン---?ジャケットの文字がそう読めた。」
    とあります。どう読んでも皆さんが知っているミントンの描写ですよね。

    しかも小説内ではお店で流れている設定のLPが明らかに『ミントン・ハウスのチャーリー・クリスチャン』(1941年録音)なんですからアルバムタイトルと店名を引っかけてくれてもいます。
    ミントンを小説の後書きで過去のものにしてしまったというあり得ない初歩的な確認ミスから、どうやらこの作家さんは心を痛めていたようです。そりゃそうだよね(笑)。

    2004年に「島田荘司 『異邦』の扉に還る時」(原書房)という日記のような変わった本が出版されました。
    もしかするとミントンへのお詫びのつもりだった気がします。
    収録された書き下ろし小説『海と毒薬』は、『異邦の騎士』のスピンオフ作品に位置付けられると思いますが、この中でこんな件があります。

    ≪最近、「異邦の騎士」事件の頃に何度か行った、ジャズ喫茶の「ミントンハウス」に入りました。辛い思い出を導きかねない場所だけれど、読者からの一通の手紙が、ぼくに一年発起をさせたのです。なくなったとばかり思っていたあの店ですが、まだあるらしいと知り、ぼくにとってはなかなかの決断でしたが、散歩気分でぶらぶら行って、思いがけなくぽんと店の前に出たので、あ、やっぱりまだあったんだ、前と同じだと思い、入ることにそんなに躊躇せずにすみました。≫と更に長々とミントンについての記述が続くのです。

    しかもこの本では作家とおいどんさんも交えて「横浜ミントンハウスで、ジャズと時代を語る」というタイトルで興味深い6ページ物の鼎談も組まれていました。
    本の表紙も思いっきり皆さんのよく知るミントンハウスのまんまです(笑)。
    以前、この本は出版当時にミントン内で見かけた気がします。
     
    実は私はこの島田荘司って作家が苦手なのか『眩暈』と『異邦の騎士』の2冊しか手にしたことがない気がします。同じ島田なら島田雅彦の方が好みかな(笑)。

    ちなみに、このジャズ喫茶ミントンハウスって、バイク乗りにとっては劇画「ケンタウロスの伝説」の中で度々シーンとして登場するお店ですよね。

    ▼島田荘司「異邦」の扉に還る時
    http://www.harashobo.co.jp/
    ▼異邦の騎士 島田荘司著(講談社文庫)
    http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000197855





  • 絶賛大傑作!


    絶賛大傑作!

    1959年というと僕が生まれた年です。
    そんな年に生まれた僕は既に59歳で初老の年代です。
    1959年生まれの凄腕ミュージシャンたちが作ったトリオだから、どうやら初老クラブならぬSHORO CLUB(ショローCLUB)となるのだろう。
    が、老いて(彼らは老いてないと思うけど)ますます盛んでアバンギャルドぶりが快感だ。
    「地底レコード」レーベル発売のアルバムは外れがないんだよね。



    ▼『from 1959』 SHORO CLUB(ショローCLUB)
    http://diskunion.net/jazz/ct/detail/1007393994
    http://metacompany.jp/shop/index.php?main_page=product_info&cPath=1_17_347&products_id=1161

    渋さ知らズを率いる不破大輔、ROVOやアルタード・ステイツ等で強靭なリズムを支えてきた芳垣安洋、フリージャズ/即興音楽界の鬼才であり「あまちゃん」でも一躍時の人となった大友良英。1959年生まれのこの3人が最強のトリオ・バンドを結成。その名も「ショローCLUB」!!ゲストに山本精一も加わった圧倒的な大傑作がここに誕生!

    ■演奏
    芳垣安洋:Drums & Percussions
    大友良英:Electric Guitar
    不破大輔:Contra Bass & Electric Bass
    ★ゲストミュージシャン
    山本精一(Vocal & Electric Guitar)

    アルバムには2016年11月に名古屋・今池tokuzoで行われたライブより全6曲を収録。
    大友良英と山本精一のギターの応酬で幕を開けるオーネット・コールマンの名曲「Lonely Woman」から始まり、幽幻な前半からグルーヴィーな後半へと展開するブリジット・フォンテーヌの「ラジオのように」、山本精一を再び迎え4人での圧巻のフリーセッションを繰り広げた「session -2016-」、一転して切ないメロディーが胸を打つチャーリー・ヘイデンの「First Song」。そして石川啄木の詩に不破大輔が曲をつけた「ひこうき雲」、山本精一と大友良英による共作「SORA」のラスト2曲では山本精一がヴォーカリストとして参加、ショローCLUBをバックに歌い上げます。
    ディストーションとノイズで切り裂くようなギターと、グルーヴィーかつ緩急自在なリズム&ベースでストレートに疾走する様はまさに最強のトリオ!この3人に鬼才・山本精一が参加する事でさらに空間をねじ曲げるような奥行きを加えています。バラエティに富みながら一貫してフリージャズ精神と歌心に貫かれた「ショローCLUB」の圧倒的な大傑作!

    ショローCLUB: from 1959 (2016, 地底レコード)
    1. Lonely Woman(Ornette Coleman)
    2. ラジオのように(Belkacem Areski)
    3. Session -2016-(芳垣・大友・不破, 山本)
    4. First Song (Charlie Haden)
    5. ひこうき (作詞: 石川啄木, 作曲: 不破大輔)
    6. SORA (作詞: 山本精一, 作曲:大友良英)
    大友良英(el-g) , 不破大輔(b,el-b), 芳垣安洋(ds,per)
    ゲスト:山本精一(el-g, vo on 1, 3, 5, 6)
    2016年11月, 名古屋・今池tokuzo

    プロフィール:
    ■大友良英
    1959年8月1日生まれ、神奈川県横浜市出身。ターンテーブル、ギター、エレクトロニクスを駆使するフリー・ジャズ/即興音楽界の鬼才。 インディペンデントなスタンスを貫き、世界的な活動を繰り広げる。中国・香港映画を中心に数多くのサントラ作品を手掛けるほか、 ポスト・サンプリング指向を強めて、ノイズやカット・アップなどを多用した表現を示している。 大友良英ニュー・ジャズ・クインテットやグランド・ゼロなどグループ録音多数。
    2013年、NHK連続テレビ小説『あまちゃん』のサントラを担当、 その劇伴を演奏するバンド“大友良英あまちゃんスペシャル・ビッグバンド"を結成した。

    ■芳垣安洋
    Drums,Percussion,Trumpet,Compose 関西のジャズエリアでキャリアをスタートさせ、モダン・チョキチョキズ、ベツニ・ナンモ・クレズマー・オーケストラ、渋さ知らズなどに参加後上京。 現在、ROVO、大友良英ニュー・ジャズ・オーケストラ、南博GO THERE、アルタード・ステイツや 自己のバンドVincent Atmicus、Emergency!、Orquesta Nudge!Nudge!等のライブ活動の他、蜷川幸雄や文学座などの演劇や、映画の音楽制作も手掛ける。

    ■不破大輔
    1959年札幌生まれ フリージャズのベーシスト。 1980年代に「のなか悟空人間国宝」「フェダイン」に参加。 1989年「渋さ知らズ」結成。国内海外様々な場所で演奏する。 2016年はイギリス?ポーランドを旅する予定。 「風煉ダンス」「翠羅臼」「呉一郎」「発見の会」「戌井昭人」などのアングラ芝居の劇伴作曲多数。 「佐々木彩子」「南波トモ子」「玉井夕海」のアルバムのプロデュースも務める。

    ■山本精一
    1986年から2001年まで「BOREDOMS」に参加。以後、「ROVO」「羅針盤」「想い出波止場」「PARA」「MOST」「TEEM」「ya-to-i」「NOVO-TONO」「CHAOS JOCKEY」他、多数のバンド/ユニットやソロワーク、内外の音楽家とのセッション等で、プレイヤー/ソングライター/コンポーザー/プロデューサーとして、ワールドワイドに活動を展開。 また、映画音楽では、湯浅政明監督のアニメーション「マインド・ゲーム」(2004年)、三池崇史監督の「殺し屋1」(2001年)、矢口史靖監督の「アドレナリンドライブ」(1999年)等を手がけている。






  • 梅雨時なので・・・


    梅雨時なので・・・



    仕事も建て込み中で休みも満足にないし、ジトジト模様では遠出する気力も萎えて、バイク用品店でヒマつぶしと洒落込んでいたら、女房が嬉々として「アンタにドンピシャの似合いのモノがあったよ♪」と言って指さしたのが、このゲバラのスカーフ!(笑)
    防風や防塵用のフェイスマスクとかネックウォーマーみたいな類かね?
    アンディー・ウォホールの有名なポップアート然とはしているが、どことなく本物の作品とは違う辺りが安っぽくて笑える。どうやら輸入品らしい。

    これまでは三角巾にもなるOD色の特大バンダナを愛用してきましたが、経年変化と煙草で焦がしたりして穴は開くしボロボロ状態(笑)。
    新しいこれは吸湿性はどうなんだろうな?




  • 大事件!ますむらひろし「北斎画集」改定版が都内企画展で発売!!!


    大事件!ますむらひろし「北斎画集」改定版発売!!!



    なんとっ、なんとなんと、6月26日から始まる「ますむらひろしの北斎展」に合わせ、ますむらひろし「北斎画集」改訂版(アカ版)が販売されるそうです。初版(アオ版)は完売で現在入手不可能だったので朗報です。
    この企画展の為に描きおろした新作1点「漁師図」と著者解説が追加されているのも嬉しい♪再販に際しての著者あとがきも追加されているみたいだよ、
    「冨嶽三十六景」「諸国瀧廻り」など江戸時代の風景をますむらひろしさん的アタゴオル化した全53点を本人の詳細な解説と共に紹介されているらしい。
    「すみだ北斎美術館」1階ミュージアムショップで販売されるようですが、「風呂猫マーケット」http://furonekomarket.ocnk.net/product/215
    でも部数限定ながら販売されるようです。



    ▼ますむらひろしの北斎展 ATAGOAL × HOKUSAI
    http://hokusai-museum.jp/modules/Exhibition/exhibitions/next

    2018年6月26日(火) 〜 2018年8月26日(日)
    猫と人との理想郷を描いた漫画「アタゴオル」シリーズで知られる ますむらひろし。「アタゴオル×北斎」は、同シリーズに登場するキャラクターが北斎の浮世絵に入り込んだ異色の作品です。本展では北斎の版画にますむら流のユーモアが加わった「アタゴオル×北斎」を中心に、「アタゴオル」シリーズの漫画原稿やイラスト作品、そしてますむらのイメージの源泉となった北斎の作品も一部紹介いたします。
    会期
    2018年6月26日(火)~8月26日(日)
    開館時間
    9:30-17:30(入館は17:00まで)
    休館日
    毎週月曜日(祝日の場合は翌平日)
    主催
    墨田区・すみだ北斎美術館
    協力
    有限会社風呂猫
    企画協力
    株式会社アドシステム


    すみだ北斎美術館では、ますむらひろしの漫画「アタゴオル」シリーズのキャラクターと葛飾北斎の浮世絵が合体した異色のイラスト作品「アタゴオル×北斎」の展覧会を開催します。ますむらひろしは宮沢賢治の童話作品の漫画化やアニメーション『銀河鉄道の夜』(杉井ギサブロー監督)の漫画原作者としてその名を知られていますが、漫画「アタゴオル」シリーズは氏が作家活動の中で最も長く付き合い培ってきた空想の世界です。
    この「アタゴオル」の世界と、北斎の浮世絵が合体した「アタゴオル×北斎」作品の面白さはなんと言っても猫のヒデヨシをはじめとする「アタゴオル」の住人たちが北斎の描く日本の美しい風景に違和感なく溶け込んでいるところでしょう。しかし、氏はこれらを単に人物をキャラクターに置き換えた北斎のパロディとして描いたわけではありません。この作品の一つ一つには氏による文が付けられ、そこには北斎の浮世絵を模写し「アタゴオル」の要素を加える際の考えや姿勢、そのプロセス、そして、北斎の画業についての自身の見解等が北斎への尊敬と畏敬の念を持って語られています。「アタゴオル×北斎」はいわば氏の解釈による絵と文が一体となった北斎の研究作品でもあるのです。
    本展の最大の見どころは、「アタゴオル×北斎」と、葛飾北斎の「冨嶽三十六景」シリーズをはじめとした浮世絵(オリジナルと復刻版画やパネル)を比較しながら、北斎との違いや氏の解釈を体感できることです。また、当館のために描き下ろした新作「漁師図」を含む約140点を前後期一部展示替えをしながら展示します。その他、「アタゴオル」シリーズの漫画原稿やイラスト作品など貴重な資料も紹介します。ますむら流ユーモアと解釈が加わった新しい北斎の世界をお楽しみください。
    ※今回「アタゴオル×北斎」の比較展示として、当館貯蔵の江戸時代の北斎の浮世絵、前後期あわせて24点(版画9点、版本15点)と、それ以外は、公益財団法人アダチ伝統木版画技術保存財団にご協力いただき、アダチ版画研究所制作の複製版画を展示しています。

    ATAGOAL
    ますむらひろしの代表的なシリーズ作品。現在までに『アタゴオル物語』『アタゴオル玉手箱』『アタゴオル』『アタゴオルは猫の森』の4つのシリーズが発表され、主に読み切りの短編が作品の中心となっている。「アタゴオル」と呼ばれる世界を舞台に、立って歩くユーモラスな猫ヒデヨシと個性豊かなその住人達を中心に物語が展開する。また、ヒデヨシが起こす数々の騒動をきっかけに新しい発見が「アタゴオル」の世界にもたらされる点は本シリーズの特徴の一つとなっている。
    ※アタゴオルは作者(千葉県野田市在住)地元の最寄り駅東武野田線愛宕駅から名付けられた。

    ますむらひろし
    1952年山形県米沢市生まれ。20歳から漫画を描きはじめ、1973年にデビュー作『霧にむせぶ夜』で「少年ジャンプ」第5回手塚賞準入選。同年「月刊ガロ」で『1975』が入選し、1975年には同誌で『ヨネザアド物語』を発表。1976年からは初期代表作『アタゴオル物語』を「月刊マンガ少年」に発表。同作の「アタゴオル」は宮沢賢治の心象世界「イーハトーブ」に呼応してつくられ、その世界で繰り広げられるユーモラスな猫ヒデヨシと個性豊かなキャラクターの物語は人気を呼び、以後「アタゴオル」の作品は長期に渡ってシリーズ化される。キャラクターは大手メーカーのCMにもたびたび起用され、1997年には同シリーズの『アタゴオル玉手箱』で日本漫画家協会賞大賞を受賞している。また、2006年からは故郷である米沢市の「おしょうしな観光大使」を務めているほか、米沢市内では「アタゴオル」のキャラクターたちが描かれた米沢市街地循環バス、愛称「ヨネザアド号」が走っている。一方で、自身に多大な影響を与えた宮沢賢治の作品も1983年から数多く漫画化。1985年には氏の漫画原作をもとにアニメーション映画『銀河鉄道の夜』がつくられ、2001年には宮沢賢治学会イーハトーブ賞を受賞している。近年の宮沢賢治作品としては『やまなし』『虔十公園林』『オツベルと象』『ひかりの素足』などがある。

    関連イベント
    •DAY1:白崎映美&東北6県ろ~るショー!! +ますむらひろし LIVE AT THE SUMIDA HOKUSAI MUSEUM 
    •スライドトーク「ますむらひろしの北斎展」(7/7)
    •ますむらひろしトークイベント ーアタゴオル×北斎ー
    •ますむらひろしのサイン会(7/22)
    •DAY2:最上川ブラザーズ!! LIVE AT THE SUMIDA HOKUSAI MUSEUM 
    •夏休みミュージアムシネマ「銀河鉄道の夜」(1985年、杉井ギザブロー監督、KADOKAWA)
    •ますむらひろしのサイン会(8/11)
    •スライドトーク「ますむらひろしの北斎展」(8/18)
    •DAY3 猫町ブルースブラザーズ LIVE AT THE SUMIDA HOKUSAI MUSEUM

    ▼風呂猫マーケット ますむらひろし北斎画集 改訂版(アカ版) [BM-HG2]
    http://furonekomarket.ocnk.net/product/215

    ▼『アタゴオルは猫の森』予告編
    https://www.youtube.com/watch?v=ifvCzBoWiQo
    ▼グスコーブドリの伝記 (予告編)
    https://www.youtube.com/watch?v=wmV5zavd_iA
    ▼素晴らしき紅マグロの世界
    https://www.youtube.com/watch?v=FYGsrNesnDw
    ▼不思議世界アタゴオル・パイロットムービー
    https://www.youtube.com/watch?v=cKcldX4hv1I






  • バイク乗りにとっては「晴RIDE雨読」「晴乗雨読」といった風情かもね。


    バイク乗りにとっては「晴RIDE雨読」「晴乗雨読」といった風情かもね。

    今読んでいる『ヨコハマメリー かつて白化粧の老娼婦がいた』(中村高寛著/河出書房社)http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309025933/
    も3分の2は読み終えて読破も先が見えてきたので、次の本をチョイス。
    出版されたばかりの『平岡正明論』と、今年出た『記者襲撃』かな。
    奇しくも2冊とも装丁は真っ黒みたいなもので、意味なく脳裏に浮かぶのは「Starless and bible black」みたいな有名な歌詞フレーズ(笑)。

    それにしても2冊ともテーマも含めてハードな内容だなぁ~(笑)。
    こんな時代ですから、炭鉱のカナリア的に警鐘を鳴らしている悠長な雰囲気じゃなくて、いずれジャーナリストや言論人や表現者の類は権力に圧殺されうる暗黒の時代が再び到来するいうか現にそうなってきているよな。くわばらくわばら。



    ▼『平岡正明論』大谷能生著(ele-king books)
    http://www.ele-king.net/books/006286/


    ▼『記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実』樋田 毅 著(岩波書店)
    https://www.iwanami.co.jp/book/b345420.html


    ▽「平岡正明論」の再設定――大谷能生×後藤護×吉田雅史 鼎談 – ecrit-o
    http://ecrito.fever.jp/20180616222616

    ▽大谷能生×速水健朗 「<俺による永久革命>の復活ーー『平岡正明論』刊行記念イベント」@ootany @gotanda6
    https://peatix.com/event/395664

    ▽『記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実』記事を書くことではなく、犯人を追うこと
    http://honz.jp/articles/-/44724


    ▽「日本の闇」に踏み込んだ 記者襲撃
    https://www.j-cast.com/bookwatch/2018/03/03007009.html

    ▽赤報隊の影を追う「覚悟と矜持」
    https://facta.co.jp/article/201804023.html