たまりば

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月は


4月9日のことです。書いたのもその新月の夜でした。

今夜は新月ということもあり…

ぼんくらコイケなので「満月には野生を!新月には知性を!」なぁ~んて勇ましくも賢いわけでもないのですが、「月」という天体に関する僕の知識は“ケンタ”のボスに「松岡正剛くらい読んでおけ」みたいな教えを受けて読んだ『ルナティックス 月を遊学する』(作品社)から軽く30年以上は更新していないことに最近になって気がつきました(笑)。
そもそも頼みの松岡正剛著の『ルナティックス』にしても約30年も昔の1993年に出た本ですから、最近の研究経過も踏まえなければいけませんしね。

ということで「月」に関する知識の再確認の意味で『月はすごい 資源・開発・移住』(佐伯和人著/中公新書)でも読み始めるとするかなぁ~。
それでも『ルナティックス』のある一章のタイトルである「月は今宵も遠ざかっている」というフレーズがこの数十年も僕の頭の中でリフレインを続けているのも事実でありまして、それはこれからも同じなんだろうなぁ~。
もしも月が数センチ単位でも地球から遠ざかっているとしたら、いつか地球の重力から逃れた月はどこへ行ってしまうのだろうと考えると、あ~今夜も眠れない…こともないけどそれでも少し気が遠くなりそうです(笑)。
で、今夜のBGMはピンク・フロイドの『狂気』とは思ったものの、ミック・ロンソンのギターが冴えわたるボウイの『月世界の白昼夢』かなぁ~?

▼Pink Floyd - The Dark Side Of The Moon
https://www.youtube.com/watch?v=k9ynZnEBtvw

▼David Bowie 「Moonage Daydream」
https://www.youtube.com/watch?v=RPUAldgS7Sg







  • 冬休み読書?


    冬備え?(笑)

    出不精な小生ですから冬となるとコタツ(そんなものは実は持ってもいないけれど…)にぬくぬくと潜り込んでミカンでも食べて過ごしたい性格です。
    大晦日と元旦に仕事依頼の打診が編集部からありましたが、予定もあったのでさすがにお断りしちゃいました。

    映画『福田村事件』の関連書籍として読み始めた「虐殺のスイッチ」もなんとかそろそろ読み終わりそうなので、次の読書準備です。
    まぁ、寒いのでバイクで遊びに行く機会も減る季節ですしね。

    間違っても反知性主義や歴史修正主義やネット上に溢れるような陰謀論史観や単純で感情的な「政治的正しさ(ポリティカル・コネクトネス)への反発」には陥りたくはないのでね。



    ▼岩波ブックレット1080
    検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?
    小野寺 拓也 著 , 田野大輔   2023/07/05
    https://www.iwanami.co.jp/book/b628046.html

    ▼「草の根のファシズム 日本民衆の戦争体験」吉見 義明 著/岩波文庫
    https://www.iwanami.co.jp/book/b611144.html

    ▼ヒトラーとナチ・ドイツ
    石田勇治著 講談社現代新書2318(2015年)  
    ttps://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000210804

    ▼「虐殺のスイッチ」森達也著/ちくま文庫
    https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480438812/

    ▼新書の役割――「ナチスは良いこともした」と主張したがる人たち  DIG 現代新書クラシックス(7)
    田野 大輔 甲南大学教授
    https://gendai.media/articles/-/84256







  • 今だから読むべき本かもね。


    リアルで今読むべき1冊かもね。

    カミュの再評価だわ。



    ▼『ペスト』カミュ著/新潮社
    https://www.shinchosha.co.jp/book/211403/

    アルジェリアのオラン市で、ある朝、医師のリウーは鼠の死体をいくつか発見する。ついで原因不明の熱病者が続出、ペストの発生である。外部と遮断された孤立状態のなかで、必死に「悪」と闘う市民たちの姿を年代記風に淡々と描くことで、人間性を蝕む「不条理」と直面した時に示される人間の諸相や、過ぎ去ったばかりの対ナチス闘争での体験を寓意的に描き込み圧倒的共感を呼んだ長編。


    ▼2020年3月29日付
    コロナ危機の深刻な課題を見通した、カミュ『ペスト』の凄み 自由がなくとも安全があればいいのか
    https://news.livedoor.com/article/detail/18038258/

    コロナも、経済の動揺も、いつかはおさまる。しかし、カミュがペスト菌によって喩えた全体主義体制は死なない。「自由がなくても安全であればよいのか?」という問いから顔をそむけることはできない。
    カミュの『ペスト』がいまの日本と重なる
    3月11日公開の「新型コロナウイルス不況、世界の経済活動はどこまで落ち込むのか?」で述べたように、中国から広がった新型コロナウィルスの感染が、日本を含む世界各国に拡大し、予断を許さない状況になっている。
    この状況の中で、多くの人が、アルベール・カミュの『ペスト』を思い出したようだ。この小説は、日本で突然ベストセラーになって、品切れになってしまった。
    あらすじを紹介すると、つぎのとおりだ。
     
    小説の舞台は、アルジェリアのオラン。そこで突然ペストが発生し、つぎつぎと人命が奪われていく。市は外界から遮断される。あらゆる試みは挫折し、ペストは拡大の一途をたどる。
    小説『ペスト』が突然ベストセラーになってしまったのは、オランの町の状況がコロナウィルスの感染が広がるいまの日本と重なってしまうからだろう。
    確かに、後手後手に回る行政の状況は、いまの日本とそっくりだ。しかし、この小説の目的は、行政の対応の鈍さを批判することではない。
    アルベール・カミュ/photo by Gettyimages
     
    自分の職務を果たすこと
    この小説を読んで感動する第1の理由は、人々の連帯だ。
    極限状況の中で、「誠実さ」と「自分の職務を果たすこと」を支えとして、敢然と疫病に立ち向かっていく人々が現れる。
    医師リウーは、志願の保健隊を結成し、あらゆる努力を傾けて、ペストとの絶望的な闘いを続ける。友人タルー、役人グラン、脱出を断念した新聞記者ランベールも協力する。
    彼らを支えたのは、人と人とをつなぐ連帯の感情であり、自分の職務を果たすことへの義務感だ。
     
    タルーは、リウーに「なぜ、あなた自身はそんなに献身的にやるんですか?神を、信じていないと云われるのに?」と問う。リウーはそれに対して「僕は自分としてできるだけ彼らを護ってやる、ただそれだけです」と答える。
    リウーはまた、ランベールに対して、「ペストと闘う唯一の方法は誠実さということです」「つまり自分の責務を果たすことだと心得ています」と答える。
    もう1つは、「神によらずして聖者たりうるか」という深遠な問いである。
    血清が作られて、予審判事オトンの幼子に試される。しかし、それは病状を改善させることなく、苦悶の中での死をもたらした。
    罪なき子の死に直面した神父パヌルーは動揺。医師リウーは、「罪なき子どもが死ぬような世界を自分は愛せない。私はそれと闘い続ける」と宣言する。これは、ドストエフスキイ『カラマーゾフの兄弟』でイヴァンが発したのと、寸分変わらぬ宣言だ。
    ここで「人は神という存在なしに倫理を貫き、人間の尊厳を守り続けることができるのか?」という極限の問いが突きつけられる。
    世界は、「不条理」としかいいようのない出来事に満ち溢れている。私たちは、それから逃れることができない。『ペスト』は、このことを改めて思い起こさせてくれる。
    「ペスト菌」はナチズムの暗喩
    猖獗を極めたペストは、突然、潮が退いたように終息した。
    この小説の最後は、その祝賀祭が開かれる晩の風景だ。遠くに花火が打ち上げられるのが見え、人々の楽しいざわめきが伝わってくる。
    この場面は大変感動的だ。少し長くなるが、宮崎峯雄訳(「カミュ著作集」2,1958年、新潮社)を引用しよう。
    「しかし、彼はそれにしてもこの記録が決定的な勝利の記録ではありえないことを知っていた。それはただ、恐怖とその飽くなき武器に対して、やり遂げねばならなかったこと、そして恐らく、すべての人々―聖者たりえず、天災を受け入れることを拒みながら、しかも医者となろうと努めるすべての人々が、彼等の個人的な分裂にも拘わらず、更にまたやり遂げねばならなくなるであろうこと、についての証言でありえたに過ぎないのである。
    事実、市中から立ち上る喜悦の叫びに耳を傾けながら、リウーはこの喜悦がつねに脅やかされていることを思い出していた。なぜなら、彼はこの歓喜する群衆の知らないでいることを知っており、そして書物のなかに読まれうることを知っていたからである―ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないものであり、数十年の間、家具や下着類のなかに眠りつつ生存することができ、部屋や穴倉やトランクやハンカチや反古のなかに、辛抱強く待ち続けていて、そしておそらくはいつか、人間に不幸と教訓をもたらすために、ペストがふたたびその鼠どもを呼びさまし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差向ける日が来るであろうということを。」
    『ペスト』は、第2次世界大戦時にドイツ軍に占領されたフランスの隠喩だといわれる。
    「ペスト菌が決して死ぬことも消滅することもない」というのは、ナチスが崩壊しても、それと同じようなものが再び現れることへの警告なのだ。
    コロナウィルスが提起した問題の本質
    コロナウィルスの感染がいつ終息するのか、現時点では見通しがつかない。しかし、疫病は、いつかは止まる。人類は、何度もパンデミックに見舞われたが、それらは、必ず終息した。スペイン風邪ですらそうだ。多数の人が犠牲になったのは事実だが、人間の社会が全体としてウィルスによって崩壊してしまうことはない。
    経済に対する影響は、暫くの間は残る。人によっては、きわめて大きな損害を受けるだろう。だが、その影響もいずれは元に戻る。
    先述の「新型コロナウイルス不況、世界の経済活動はどこまで落ち込むのか?」で述べたように、中国経済に体する影響は甚大だろうが、中国の長期的成長がこれによって影響されることはない。
    しかし、コロナウィルスの問題は、「国家体制と疫病」という重大な問題をわれわれに突きつけたのだ。
    管理国家だから封じ込められるのか?
    2月23日公開の「新型コロナ、医師の警告を活かせなかった『中国国家体制』の重大欠陥」で、医師の警告を活かせなかったのは、中国の国家体制の重大な問題点だと述べた。そして、「この問題を契機として、中国でも言論の自由化が進まないか」と言った。
    しかし、残念なことに、現在までのところ、その兆候はない。それどころか、まったく逆の方向に進んでいると考えざるをえない。
    SNSで見られる世論には、微妙な変化が見られると言われる(「日本経済新聞」3月6日)。当初は対策への不手際を指摘する声もあったが、その後は、対策の有効性を礼賛する書き込みが急増しているという。そして、政府の対応ぶりを賞賛する声が多くなっているという。
    また、日本、韓国、イタリアなど、外国での感染拡大を伝える記事が目立つという。「世界的な感染拡大は、諸外国の失敗だ。中国は感染封じ込め策に成功したが、日韓は拡大防止に失敗した」と強調しているわけだ。
    また、人口が1000万人の大都市を閉鎖したり、わずか10日間で病院を作ってしまうようなことは、中国だからこそできる、といった声が増えているという。
    プライバシーより安全な管理社会のほうがよいのか?
    上で述べたことは、政府のプロパガンダだと解釈することが可能だ。しかし、この問題は、それだけでは片付けられない、極めて難しい面を持っている。
    それを示したのが、感染の可能性がスマートフォンでわかるアプリだ。これは「密接接触者測量儀」と呼ばれ、中国国家衛生健康委員会が2月10日に発表したものだ。
    アリペイかWeChat(微信)、あるいはテンセントQQを用いて、QRコードを読み取る。すると、政府のサーバーに接続されるので、電話番号、氏名、身分証明書番号を打ち込む。
    ユーザーが、コロナウイルス感染患者と接触した可能性があると、警告文が表示される。知人など2名までを調べることもできる。公開されてから3時間にならないうちに、500万件のアクセス数があったそうだ。
    患者の居所とアプリユーザーの居所を割り出すには、国家衛生健康委員会の医療データーや、鉄道、航空機の乗客に関するデータなどが用いられる。つまり、ビッグデーターが利用されているのである。これこそ、中国が築きつつある世界最先端の情報システムだ。
    個人の行動がこれほど詳細に分かってしまうのは、恐ろしいことだ。しかし、「では、感染状況が分からないのと、どちらが良いのか?」と問われれば、答えに窮してしまう。これは、非常に難しい問題だ。
    この問題は、12月1日公開の「ビッグデータが切り開く、中国の『超先進IT社会』と『超監視社会』」などで述べてきた問題とまったく同じものである。
    これまでは信用がないからできなかった取引が、信用スコアリングによってできるようになった。これは、明らかに望ましいことだ。
    国家信用システムでは、善行を積む人のスコアが高くなるから、社会をよくするのだと言われる。顔認証によって個人が特定されても、捕まえられるのは悪い人なのだから、社会の治安を高めるのだと言われる。
    それはその通りだろう。しかし、それは、国家による管理の裏腹なのだ。「密接接触者測量儀」も、まったく同じだ。
    この問題は、決して簡単に答えが出るものではない。
    しかし、自由と安全のどちらを取るのかというきわめて困難な問題から、われわれは顔をそむけることはできない。





  • 晴走雨読~民俗学者の大真面目なナウシカ論


    晴走雨読~民俗学者の大真面目なナウシカ論



    僕はバイク乗りなので、お世辞にも賢くはないし、どちらかといえば大バカを地で行く類です。
    赤坂憲雄さんという気鋭の民俗学者の存在を知ったのは20年以上前の「東北学」でした。
    以来、このお方の本をかなり読み続けいます。過去にも赤坂先生には『ゴジラとナウシカ 海の彼方より訪れしものたち』という試論もありました。

    今回も赤坂さんの思惑と解題の旅は深すぎて1回くらい読んでも凡人のオイラにはちんぷんかんぷんです。
    でも同時にかなり興味深い。これはもはや修羅の書かな。

    ▼『ナウシカ考 風の谷の黙示録』赤坂憲雄著/岩波書店
    https://www.iwanami.co.jp/book/b482341.html
    多くの人に愛読されてきた宮崎駿の長編マンガ『風の谷のナウシカ』を,思想の書として徹底的読解

    一九八二年から雑誌『アニメージュ』に連載され,映画版の制作を挟み九四年に完結した,宮崎駿の長編マンガ,『風の谷のナウシカ』.この作品の可能性の種子は,時代の喘ぎのなか,いま,芽生えと育ちの季節を迎えようとしているのかもしれない――.多くの人に愛読されてきたこのマンガを,二十余年の考察のもと,一篇の思想の書として徹底的に読み解く.

    ≪出典≫読売新聞2020年1月22日付
    ナウシカ考 風の谷の黙示録…赤坂憲雄著 岩波書店
    https://www.bookbang.jp/review/article/604297

    [レビュアー] 栩木伸明(アイルランド文学者・早稲田大教授)
     アニメ映画『風の谷のナウシカ』(1984年劇場公開)は多くの人の無意識にすみついている。ぼくなどもナウシカと聞いただけで、シーンや音楽が回りはじめる。監督の宮崎駿は映画を公開する前からマンガ版を書きはじめ、94年に全7巻を完結させた。マンガ版を「バイブル」のように読み込んだ世代もあると聞く。
     民俗学と日本文化論で知られる赤坂憲雄は長年、宮崎駿のマンガや映画に親しみ、大学の授業でもとりあげてきた。本書は、マンガ版『風の谷のナウシカ』を思想書として読解するためのノートから生まれた研究書だ。ぼくは正月休みに7巻の原典を参照しながら精読し、考えながらマンガとつきあう醍醐(だいご)味を楽しんだ。
     ナウシカは変容するヒロインである。巨大産業文明が滅びた後の「永いたそがれの時代」に、族長の娘として生まれた彼女は、敵対しあう部族や国家の境界を越え、異質なもの同士をつなぐ媒介者へと成長する。母の愛を受けなかった彼女は自らが母を演じ、混沌(こんとん)を抱えながら鎮める力と荒ぶる力をふるう存在になるのだ。
     『ナウシカ』は難解なマンガである。だが、赤坂が差し出す手堅い解釈にしばしば助けられ、「そういうことだったのか!」と得心しつつ、全7巻を制覇した。やがて見えてくるのは、敵と味方を安易に分けようとする二元論に潜む罠(わな)をするどく察知し、あてがわれた未来を拒み、運命を自分で決めようとするナウシカの姿である。赤坂はこのマンガを、世界の終わりを描く黙示文学の系譜の中に位置づけた上で、その流れに抗(あらが)う「反アポカリプス」だと結論づける。
     本書を読み終えたとき、「古典」ということばが頭に浮かんだ。繰り返し読まれるテクストは、毎回違う姿を読者に見せることによって、読者を成長させる。他方、その同じテクストは、読者によって繰り返し論じられることで「古典」へと成長していく。どうやら、『ナウシカ』という名の「古典」が生まれかけているらしい。


    ▼出典: 週刊読書人 2019年12月6日付
    赤坂憲雄×切通理作 対談
    豊饒で深淵な思索の旅へ
    『ナウシカ考 風の谷の黙示録』(岩波書店)刊行を機に
    https://dokushojin.com/article.html?i=6307






  • 小説版は読了。


    小説版は読了。


    それなりに刺さる。というか何度も泣いてしまった(笑)。映画のテンポでは泣けない箇所も小説だと逆にジワッとくる。
    あの頃、夢見た未来とは異なる場所に佇んでいる私も含め、そんな感慨のある全ての人には伝わる何かはありそうです。

    ▼小説 空の青さを知る人よ  著者 額賀 澪  原作 超平和バスターズ  角川文庫
    https://www.kadokawa.co.jp/product/321905000448/

    ▼映画「空の青さを知る人よ」公式サイト
    https://soraaoproject.jp/



    ▼映画『空の青さを知る人よ』予告2【10月11日(金)公開】
    https://www.youtube.com/watch?v=xhBQyCoE-dg

    ▼映画『空の青さを知る人よ』予告【10月11日(金)公開】
    https://www.youtube.com/watch?v=Px1htzPeYCc



    ▼あいみょん –空の青さを知る人よ【movie ver.】
    https://www.youtube.com/watch?v=e5pr9vcMh9g

    ▽映画「空の青さを知る人よ」特集 長井龍雪(監督)×岡田麿里(脚本)×田中将賀(キャラクター・デザイン).
    https://natalie.mu/comic/pp/soraao

    ▽空の青さを知る人よ:「あの花」「ここさけ」の超平和バスターズだからできたこと 長井龍雪監督に聞く
    https://mantan-web.jp/article/20191011dog00m200029000c.html

    ▽「とらドラ!」に「あの花」『ここさけ』も!最新作『空青』公開中の長井龍雪作品の魅力をひも解く!
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191012-00208194-mvwalk-movi

    ▽アニメファンでなくとも楽しめる?:この秋注目のアニメ映画「空の青さを知る人よ」とは
    https://news.yahoo.co.jp/byline/koarairyo/20191015-00146878/

    ▽長井龍幸監督『空の青さを知る人よ』公開によせて――『心がさけびたがってるんだ。』論
    https://news.yahoo.co.jp/byline/iidaichishi/20191014-00146134/

    ▽秩父市報表紙に初のアニメ作品 11日公開「空の青さを知る人よ」
    https://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/list/201910/CK2019100902000156.html?ref=rank

    ▼アニメ「あの花」「ここさけ」「空青」聖地秩父情報!
    https://navi.city.chichibu.lg.jp/anime/2019/09/2586/

    ▼アニメ「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」 公式サイト http://www.anohana.jp
    ▼映画 「心が叫びたがってるんだ。」 公式サイト http://www.kokosake.jp/






  • 読書の秋ってことで


    読書の秋ですから



    僕は本来は出不精でインドア派なので、本と珈琲と煙草と音楽があれば事足りる人種でありまして、今週末は天気が良ければ北関東方面に軽くツーリングでもとは思っていましたが、どうやら強烈な台風が接近らしくとてもバイクで出かけられるどころか駐車場のバイクをロープで固定して強風で倒されないようにしなくちゃならない雰囲気です。

    さて、時代に爪を立て続ける作家、木村友祐さんの新作小説が文芸誌『すばる』11月号に発表となれば、これは是非読んでみたいのも当然です。
    友祐さんを見ていると、何事にも真摯で優しい態度といい、恐らくは身体も神経も削って執筆に向かう姿も想像できる気がして、そんな方の全身全霊の作品に触れられる幸せや興味が俄然湧きます。

    今回はどんな仕掛けなのかなぁ~?
    楽しみ楽しみ。

    ▼月刊文芸誌 すばる
    http://subaru.shueisha.co.jp/
    ▼木村友祐
    https://www.facebook.com/yusuke.kimura.794





  • 《自宅にあるお宝バイクアイテム?》募集終了後編


    《自宅にあるお宝バイクアイテム?》募集終了後編

    「宝物」って、ピカピカとかキラキラしているイメージがありますよね。

    そんな思いつきで本棚から出してきた本は「浅間ミーティング」の立役者の中沖満さんの著書『ぼくのキラキラ星』と、『がむしゃら1500キロ』『オートバイと初恋と』の著書もある伝説のレーサー、浮谷東次郎さんの『俺様の宝石さ』です。
    1957年に15歳の少年が、千葉県市川から大阪往復の1500キロを50ccのバイクでやり遂げているんですから、ツーリングの先達ですよね。

    お気に入りの真鍮のバックルも随分と経年変化で汚れてくすんでいたので、試しに台所のクレンザーで磨いてみたらピカピカにはなったけれど、こりゃくすんでいた方が渋くて正解でした(笑)。このバックルも今は市販されていないからレアかもね。
















  • 《自宅にあるお宝バイクアイテム?》締切後編


    《自宅にあるお宝バイクアイテム?》締切後編

    これも“心の宝物”になるかもなぁ~。

    片岡義男さんの『彼のオートバイ、彼女の島』は1977年に出た本ですから、多くのライダーが魅了された作品として、今や「オートバイ小説」の古典的名作と呼んでも差支えないかも知れません。
    この銀塩写真がなんともいえぬ味があって好きでたまりません。

    文庫版の解説は評論家の室謙二さんが書かれていますが、ハードカバー版は片岡義男さんご自身があとがきを担当されています。
    琴線に響く表紙のキャッチコピー「夏はただ単なる季節ではない。それは心の状態だ。」という主題が立ち上がってきた経緯や意味を知ることが出来ます。

    この有名なフレーズの生まれた経緯は片岡さんの『限りなき夏1』(1981年)の文庫本のあとがきでも触れていました。
    私には、映画『エンドレス・サマー(終わりなき夏)』(1966年)、或いはビーチボーイズの名曲『オール・サマー・ロング』(1964年)といった名前を思わず想起させてくれます。



















  • 今やお宝写真集


    お宝バイクパーツ等ではありませんが・・・(苦笑)。



    バイクはノーマル車なので「お宝」パーツなどは一切持ってないんですわ。
    で、1984年にCBS・ソニー出版から出たバイク乗りたちに関連するお宝写真集です。
    撮影は写真家の十文字美信さん。

    1964年の設立以来、オートバイ乗り達に有形無形の大きな影響を与え続けてきた横浜の伝説のモーターサイクルクラブの姿を追った作品です。
    以前、十文字先生が「実は、この写真集は俺も1冊も持っていないんだよ。ネットオークションで見たら10万円くらいの値段がついていて驚いたよ。俺の写真集の中でコレが一番高いかも」と笑っておられました。
    まぁ、僕の手持ちのコレはボロボロで値段なんてつかないと思います。

    この写真集に納められた作品の何点かは、下記の写真集でも出会えると思います。

    ▼写真集『感性のバケモノになりたい』十文字美信:2007年/求龍堂
    http://www.kyuryudo.co.jp/shop/shopdetail.html?brandcode=050000000049&search=%BD%BD%CA%B8%BB%FA&sort



    現在、十文字美信先生は2019年1月31日~2月23日までの日程で、パリのマレ地区にある「ピエール・イヴ・カーエギャラリー」で『WABI』(わび)という個展を開催中です。初日には木寺駐仏大使もお見えになったそうです。

    十文字さんは鎌倉の閑静な路地裏のギャラリー併設の「CAFÉ Bee」もやっておられます。“十文字ブレンド”のハードなコーヒーも楽しめます。若い頃はモダンジャズとオートバイに明け暮れたお方で、「暴力写真家」なんて異名もあったそうです。ちなみにカフェに駐車場はないので先生に許可をいただき駐車させていただきました(笑)。




  • 某誌の読投「お題」提出忘れ(笑)。


    某誌の読投「お題」提出忘れ(笑)。









    誰かが「“今年の抱負”と“今年の豆腐”はよく似ている」みたいなことを言っていたけど、まぁ、それはさておき、旧暦だと旧正月はこれからなので、こんなタイミングでも新年の希望的目標や抱負はありなのかもねぇ~♪(笑)

    ★今年こそ三好礼子さんの『ペレファカフェ』を訪問してみたい♪

    ……と、「単車倶楽部」連載の楽しそうな「ペレファ・カフェ通信」を毎回眺めながら思うのですが、確か1年前も同じようなことを考えていました(笑)。出不精で根性無しなので今だ実現ならずです(笑)。

    僕らみたいなロートルライダーにとって、堀ひろ子さんや三好礼子さんって存在は“女性ライダーの草分け”としても、その行動力にしても、バイク雑誌等で目にする憧れの存在であったと思います。

    部屋の本棚を整理していたら、1983年刊のムック本『バイクパッキングで風の中~バイク&アウトドアライフのすすめ』(講談社)の巻頭カラ―ページで三好礼子さんがモデルをされていました。他にも2冊、三好礼子さんの著作本が発掘されました。

    角川文庫から出ていた片岡義男さんの一連の「バイク小説」でも、表紙カバーのモデルとして三好礼子さんは多用されていましたよね。版にもよりますが、三好さんがモデルとクレジットされた赤背表紙の文庫本を本棚から取り出してみました。恐らく皆さんの中にも慣れ親しんだ見覚えのある1冊があるのではないでしょうか。『彼のオートバイ、彼女の島』『俺のハートがNOと言う』『幸せは白いTシャツ』『美人物語』『メインテーマ』、片岡さんのエッセイ集『アップルサイダーと彼女』で見てとれます。

    僕がまだ20代で駆けだしの取材記者だった頃に、スーパークロスだったかインドアトライアルだったか忘れたけれど、何かのバイクイベントの関係者席で三好礼子さんの生お姿を発見して「うわっ、本物だよ!雑誌で見てたのと同じだ!」と感動しましたが、シャイな性格の私なので三好さんの後ろの席にいた宮城光さんの方にコメントを求めたような記憶があります(笑)。

    そ~いえば、「ペレファカフェ」で販売しているマグカップの可愛らしい山羊ちゃんのイラストは中山蛙さんの素案なんだと思いますが、あれも欲しいなぁ~。蛙さんといえば日付では30年前になりますが、江古田にあった知人の店で偶然お会いした時に『蛙とBIKEとヨーロッパ』って著作にサインしてもらった記憶があります。そんな本も僕の部屋に眠っていました(笑)。

    故郷の仲良しの幼馴染に学生時代SR400に乗っていたT君がいて、彼との会話。

    T「小池さぁ~、三好礼子さんってお前も知ってるら?昔、よくミスターバイクとかに載ってた“けっこい”女(ひと)いたじゃんね。うんと前にこっちのテレビで見たんだけど、あの人って今は御殿場とか富士山の辺りに住んでいるだらね?」
    俺「最近は、長野県の松本の近くで、旦那さんとカフェやってるらしいよ」
    T「えっ~、そうなの。行けば会えるだか?いいなぁ~。行ってみたい」

    注)静岡県浜松市では美人や別嬪さん、つまり綺麗な女性のことを「けっこい」人と表現します。

    と話をしたのですが、どうやら彼もまだペレファ未訪問の様子なので、同級生との松本訪問レース勝負はこれからです(笑)。
    多分、来年も同じようなことを言い合ってるかもな(笑)。

    かつて三好礼子さんは著書の中で夢として「森の中に、バイク屋を作りたい」と書かれていましたが、形態はバイク屋さんであれカフェであれ、緑の風が吹き渡る小道を抜けた先に色んな人が笑顔で出入りできるお店を構えられたことは、またひとつ夢の実現をされたのだと思います。


    ▼ペレファ・カフェ(ペースケとレイコのカフェ)
    https://www.facebook.com/perefa.cafe/