たまりば

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リアルで今読むべき1冊かもね。

カミュの再評価だわ。



▼『ペスト』カミュ著/新潮社
https://www.shinchosha.co.jp/book/211403/

アルジェリアのオラン市で、ある朝、医師のリウーは鼠の死体をいくつか発見する。ついで原因不明の熱病者が続出、ペストの発生である。外部と遮断された孤立状態のなかで、必死に「悪」と闘う市民たちの姿を年代記風に淡々と描くことで、人間性を蝕む「不条理」と直面した時に示される人間の諸相や、過ぎ去ったばかりの対ナチス闘争での体験を寓意的に描き込み圧倒的共感を呼んだ長編。


▼2020年3月29日付
コロナ危機の深刻な課題を見通した、カミュ『ペスト』の凄み 自由がなくとも安全があればいいのか
https://news.livedoor.com/article/detail/18038258/

コロナも、経済の動揺も、いつかはおさまる。しかし、カミュがペスト菌によって喩えた全体主義体制は死なない。「自由がなくても安全であればよいのか?」という問いから顔をそむけることはできない。
カミュの『ペスト』がいまの日本と重なる
3月11日公開の「新型コロナウイルス不況、世界の経済活動はどこまで落ち込むのか?」で述べたように、中国から広がった新型コロナウィルスの感染が、日本を含む世界各国に拡大し、予断を許さない状況になっている。
この状況の中で、多くの人が、アルベール・カミュの『ペスト』を思い出したようだ。この小説は、日本で突然ベストセラーになって、品切れになってしまった。
あらすじを紹介すると、つぎのとおりだ。
 
小説の舞台は、アルジェリアのオラン。そこで突然ペストが発生し、つぎつぎと人命が奪われていく。市は外界から遮断される。あらゆる試みは挫折し、ペストは拡大の一途をたどる。
小説『ペスト』が突然ベストセラーになってしまったのは、オランの町の状況がコロナウィルスの感染が広がるいまの日本と重なってしまうからだろう。
確かに、後手後手に回る行政の状況は、いまの日本とそっくりだ。しかし、この小説の目的は、行政の対応の鈍さを批判することではない。
アルベール・カミュ/photo by Gettyimages
 
自分の職務を果たすこと
この小説を読んで感動する第1の理由は、人々の連帯だ。
極限状況の中で、「誠実さ」と「自分の職務を果たすこと」を支えとして、敢然と疫病に立ち向かっていく人々が現れる。
医師リウーは、志願の保健隊を結成し、あらゆる努力を傾けて、ペストとの絶望的な闘いを続ける。友人タルー、役人グラン、脱出を断念した新聞記者ランベールも協力する。
彼らを支えたのは、人と人とをつなぐ連帯の感情であり、自分の職務を果たすことへの義務感だ。
 
タルーは、リウーに「なぜ、あなた自身はそんなに献身的にやるんですか?神を、信じていないと云われるのに?」と問う。リウーはそれに対して「僕は自分としてできるだけ彼らを護ってやる、ただそれだけです」と答える。
リウーはまた、ランベールに対して、「ペストと闘う唯一の方法は誠実さということです」「つまり自分の責務を果たすことだと心得ています」と答える。
もう1つは、「神によらずして聖者たりうるか」という深遠な問いである。
血清が作られて、予審判事オトンの幼子に試される。しかし、それは病状を改善させることなく、苦悶の中での死をもたらした。
罪なき子の死に直面した神父パヌルーは動揺。医師リウーは、「罪なき子どもが死ぬような世界を自分は愛せない。私はそれと闘い続ける」と宣言する。これは、ドストエフスキイ『カラマーゾフの兄弟』でイヴァンが発したのと、寸分変わらぬ宣言だ。
ここで「人は神という存在なしに倫理を貫き、人間の尊厳を守り続けることができるのか?」という極限の問いが突きつけられる。
世界は、「不条理」としかいいようのない出来事に満ち溢れている。私たちは、それから逃れることができない。『ペスト』は、このことを改めて思い起こさせてくれる。
「ペスト菌」はナチズムの暗喩
猖獗を極めたペストは、突然、潮が退いたように終息した。
この小説の最後は、その祝賀祭が開かれる晩の風景だ。遠くに花火が打ち上げられるのが見え、人々の楽しいざわめきが伝わってくる。
この場面は大変感動的だ。少し長くなるが、宮崎峯雄訳(「カミュ著作集」2,1958年、新潮社)を引用しよう。
「しかし、彼はそれにしてもこの記録が決定的な勝利の記録ではありえないことを知っていた。それはただ、恐怖とその飽くなき武器に対して、やり遂げねばならなかったこと、そして恐らく、すべての人々―聖者たりえず、天災を受け入れることを拒みながら、しかも医者となろうと努めるすべての人々が、彼等の個人的な分裂にも拘わらず、更にまたやり遂げねばならなくなるであろうこと、についての証言でありえたに過ぎないのである。
事実、市中から立ち上る喜悦の叫びに耳を傾けながら、リウーはこの喜悦がつねに脅やかされていることを思い出していた。なぜなら、彼はこの歓喜する群衆の知らないでいることを知っており、そして書物のなかに読まれうることを知っていたからである―ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないものであり、数十年の間、家具や下着類のなかに眠りつつ生存することができ、部屋や穴倉やトランクやハンカチや反古のなかに、辛抱強く待ち続けていて、そしておそらくはいつか、人間に不幸と教訓をもたらすために、ペストがふたたびその鼠どもを呼びさまし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差向ける日が来るであろうということを。」
『ペスト』は、第2次世界大戦時にドイツ軍に占領されたフランスの隠喩だといわれる。
「ペスト菌が決して死ぬことも消滅することもない」というのは、ナチスが崩壊しても、それと同じようなものが再び現れることへの警告なのだ。
コロナウィルスが提起した問題の本質
コロナウィルスの感染がいつ終息するのか、現時点では見通しがつかない。しかし、疫病は、いつかは止まる。人類は、何度もパンデミックに見舞われたが、それらは、必ず終息した。スペイン風邪ですらそうだ。多数の人が犠牲になったのは事実だが、人間の社会が全体としてウィルスによって崩壊してしまうことはない。
経済に対する影響は、暫くの間は残る。人によっては、きわめて大きな損害を受けるだろう。だが、その影響もいずれは元に戻る。
先述の「新型コロナウイルス不況、世界の経済活動はどこまで落ち込むのか?」で述べたように、中国経済に体する影響は甚大だろうが、中国の長期的成長がこれによって影響されることはない。
しかし、コロナウィルスの問題は、「国家体制と疫病」という重大な問題をわれわれに突きつけたのだ。
管理国家だから封じ込められるのか?
2月23日公開の「新型コロナ、医師の警告を活かせなかった『中国国家体制』の重大欠陥」で、医師の警告を活かせなかったのは、中国の国家体制の重大な問題点だと述べた。そして、「この問題を契機として、中国でも言論の自由化が進まないか」と言った。
しかし、残念なことに、現在までのところ、その兆候はない。それどころか、まったく逆の方向に進んでいると考えざるをえない。
SNSで見られる世論には、微妙な変化が見られると言われる(「日本経済新聞」3月6日)。当初は対策への不手際を指摘する声もあったが、その後は、対策の有効性を礼賛する書き込みが急増しているという。そして、政府の対応ぶりを賞賛する声が多くなっているという。
また、日本、韓国、イタリアなど、外国での感染拡大を伝える記事が目立つという。「世界的な感染拡大は、諸外国の失敗だ。中国は感染封じ込め策に成功したが、日韓は拡大防止に失敗した」と強調しているわけだ。
また、人口が1000万人の大都市を閉鎖したり、わずか10日間で病院を作ってしまうようなことは、中国だからこそできる、といった声が増えているという。
プライバシーより安全な管理社会のほうがよいのか?
上で述べたことは、政府のプロパガンダだと解釈することが可能だ。しかし、この問題は、それだけでは片付けられない、極めて難しい面を持っている。
それを示したのが、感染の可能性がスマートフォンでわかるアプリだ。これは「密接接触者測量儀」と呼ばれ、中国国家衛生健康委員会が2月10日に発表したものだ。
アリペイかWeChat(微信)、あるいはテンセントQQを用いて、QRコードを読み取る。すると、政府のサーバーに接続されるので、電話番号、氏名、身分証明書番号を打ち込む。
ユーザーが、コロナウイルス感染患者と接触した可能性があると、警告文が表示される。知人など2名までを調べることもできる。公開されてから3時間にならないうちに、500万件のアクセス数があったそうだ。
患者の居所とアプリユーザーの居所を割り出すには、国家衛生健康委員会の医療データーや、鉄道、航空機の乗客に関するデータなどが用いられる。つまり、ビッグデーターが利用されているのである。これこそ、中国が築きつつある世界最先端の情報システムだ。
個人の行動がこれほど詳細に分かってしまうのは、恐ろしいことだ。しかし、「では、感染状況が分からないのと、どちらが良いのか?」と問われれば、答えに窮してしまう。これは、非常に難しい問題だ。
この問題は、12月1日公開の「ビッグデータが切り開く、中国の『超先進IT社会』と『超監視社会』」などで述べてきた問題とまったく同じものである。
これまでは信用がないからできなかった取引が、信用スコアリングによってできるようになった。これは、明らかに望ましいことだ。
国家信用システムでは、善行を積む人のスコアが高くなるから、社会をよくするのだと言われる。顔認証によって個人が特定されても、捕まえられるのは悪い人なのだから、社会の治安を高めるのだと言われる。
それはその通りだろう。しかし、それは、国家による管理の裏腹なのだ。「密接接触者測量儀」も、まったく同じだ。
この問題は、決して簡単に答えが出るものではない。
しかし、自由と安全のどちらを取るのかというきわめて困難な問題から、われわれは顔をそむけることはできない。
  


  • Posted by 放課後倶楽部♪DX  at 12:53Comments(0)本棚
    晴走雨読~民俗学者の大真面目なナウシカ論



    僕はバイク乗りなので、お世辞にも賢くはないし、どちらかといえば大バカを地で行く類です。
    赤坂憲雄さんという気鋭の民俗学者の存在を知ったのは20年以上前の「東北学」でした。
    以来、このお方の本をかなり読み続けいます。過去にも赤坂先生には『ゴジラとナウシカ 海の彼方より訪れしものたち』という試論もありました。

    今回も赤坂さんの思惑と解題の旅は深すぎて1回くらい読んでも凡人のオイラにはちんぷんかんぷんです。
    でも同時にかなり興味深い。これはもはや修羅の書かな。

    ▼『ナウシカ考 風の谷の黙示録』赤坂憲雄著/岩波書店
    https://www.iwanami.co.jp/book/b482341.html
    多くの人に愛読されてきた宮崎駿の長編マンガ『風の谷のナウシカ』を,思想の書として徹底的読解

    一九八二年から雑誌『アニメージュ』に連載され,映画版の制作を挟み九四年に完結した,宮崎駿の長編マンガ,『風の谷のナウシカ』.この作品の可能性の種子は,時代の喘ぎのなか,いま,芽生えと育ちの季節を迎えようとしているのかもしれない――.多くの人に愛読されてきたこのマンガを,二十余年の考察のもと,一篇の思想の書として徹底的に読み解く.

    ≪出典≫読売新聞2020年1月22日付
    ナウシカ考 風の谷の黙示録…赤坂憲雄著 岩波書店
    https://www.bookbang.jp/review/article/604297

    [レビュアー] 栩木伸明(アイルランド文学者・早稲田大教授)
     アニメ映画『風の谷のナウシカ』(1984年劇場公開)は多くの人の無意識にすみついている。ぼくなどもナウシカと聞いただけで、シーンや音楽が回りはじめる。監督の宮崎駿は映画を公開する前からマンガ版を書きはじめ、94年に全7巻を完結させた。マンガ版を「バイブル」のように読み込んだ世代もあると聞く。
     民俗学と日本文化論で知られる赤坂憲雄は長年、宮崎駿のマンガや映画に親しみ、大学の授業でもとりあげてきた。本書は、マンガ版『風の谷のナウシカ』を思想書として読解するためのノートから生まれた研究書だ。ぼくは正月休みに7巻の原典を参照しながら精読し、考えながらマンガとつきあう醍醐(だいご)味を楽しんだ。
     ナウシカは変容するヒロインである。巨大産業文明が滅びた後の「永いたそがれの時代」に、族長の娘として生まれた彼女は、敵対しあう部族や国家の境界を越え、異質なもの同士をつなぐ媒介者へと成長する。母の愛を受けなかった彼女は自らが母を演じ、混沌(こんとん)を抱えながら鎮める力と荒ぶる力をふるう存在になるのだ。
     『ナウシカ』は難解なマンガである。だが、赤坂が差し出す手堅い解釈にしばしば助けられ、「そういうことだったのか!」と得心しつつ、全7巻を制覇した。やがて見えてくるのは、敵と味方を安易に分けようとする二元論に潜む罠(わな)をするどく察知し、あてがわれた未来を拒み、運命を自分で決めようとするナウシカの姿である。赤坂はこのマンガを、世界の終わりを描く黙示文学の系譜の中に位置づけた上で、その流れに抗(あらが)う「反アポカリプス」だと結論づける。
     本書を読み終えたとき、「古典」ということばが頭に浮かんだ。繰り返し読まれるテクストは、毎回違う姿を読者に見せることによって、読者を成長させる。他方、その同じテクストは、読者によって繰り返し論じられることで「古典」へと成長していく。どうやら、『ナウシカ』という名の「古典」が生まれかけているらしい。


    ▼出典: 週刊読書人 2019年12月6日付
    赤坂憲雄×切通理作 対談
    豊饒で深淵な思索の旅へ
    『ナウシカ考 風の谷の黙示録』(岩波書店)刊行を機に
    https://dokushojin.com/article.html?i=6307

      


  • Posted by 放課後倶楽部♪DX  at 18:14Comments(0)本棚

    2019年10月21日

    小説版は読了。

    小説版は読了。


    それなりに刺さる。というか何度も泣いてしまった(笑)。映画のテンポでは泣けない箇所も小説だと逆にジワッとくる。
    あの頃、夢見た未来とは異なる場所に佇んでいる私も含め、そんな感慨のある全ての人には伝わる何かはありそうです。

    ▼小説 空の青さを知る人よ  著者 額賀 澪  原作 超平和バスターズ  角川文庫
    https://www.kadokawa.co.jp/product/321905000448/

    ▼映画「空の青さを知る人よ」公式サイト
    https://soraaoproject.jp/



    ▼映画『空の青さを知る人よ』予告2【10月11日(金)公開】
    https://www.youtube.com/watch?v=xhBQyCoE-dg

    ▼映画『空の青さを知る人よ』予告【10月11日(金)公開】
    https://www.youtube.com/watch?v=Px1htzPeYCc



    ▼あいみょん –空の青さを知る人よ【movie ver.】
    https://www.youtube.com/watch?v=e5pr9vcMh9g

    ▽映画「空の青さを知る人よ」特集 長井龍雪(監督)×岡田麿里(脚本)×田中将賀(キャラクター・デザイン).
    https://natalie.mu/comic/pp/soraao

    ▽空の青さを知る人よ:「あの花」「ここさけ」の超平和バスターズだからできたこと 長井龍雪監督に聞く
    https://mantan-web.jp/article/20191011dog00m200029000c.html

    ▽「とらドラ!」に「あの花」『ここさけ』も!最新作『空青』公開中の長井龍雪作品の魅力をひも解く!
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191012-00208194-mvwalk-movi

    ▽アニメファンでなくとも楽しめる?:この秋注目のアニメ映画「空の青さを知る人よ」とは
    https://news.yahoo.co.jp/byline/koarairyo/20191015-00146878/

    ▽長井龍幸監督『空の青さを知る人よ』公開によせて――『心がさけびたがってるんだ。』論
    https://news.yahoo.co.jp/byline/iidaichishi/20191014-00146134/

    ▽秩父市報表紙に初のアニメ作品 11日公開「空の青さを知る人よ」
    https://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/list/201910/CK2019100902000156.html?ref=rank

    ▼アニメ「あの花」「ここさけ」「空青」聖地秩父情報!
    https://navi.city.chichibu.lg.jp/anime/2019/09/2586/

    ▼アニメ「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」 公式サイト http://www.anohana.jp
    ▼映画 「心が叫びたがってるんだ。」 公式サイト http://www.kokosake.jp/

      


  • Posted by 放課後倶楽部♪DX  at 22:17Comments(0)本棚

    2019年10月10日

    読書の秋ってことで

    読書の秋ですから



    僕は本来は出不精でインドア派なので、本と珈琲と煙草と音楽があれば事足りる人種でありまして、今週末は天気が良ければ北関東方面に軽くツーリングでもとは思っていましたが、どうやら強烈な台風が接近らしくとてもバイクで出かけられるどころか駐車場のバイクをロープで固定して強風で倒されないようにしなくちゃならない雰囲気です。

    さて、時代に爪を立て続ける作家、木村友祐さんの新作小説が文芸誌『すばる』11月号に発表となれば、これは是非読んでみたいのも当然です。
    友祐さんを見ていると、何事にも真摯で優しい態度といい、恐らくは身体も神経も削って執筆に向かう姿も想像できる気がして、そんな方の全身全霊の作品に触れられる幸せや興味が俄然湧きます。

    今回はどんな仕掛けなのかなぁ~?
    楽しみ楽しみ。

    ▼月刊文芸誌 すばる
    http://subaru.shueisha.co.jp/
    ▼木村友祐
    https://www.facebook.com/yusuke.kimura.794
      


  • Posted by 放課後倶楽部♪DX  at 22:02Comments(0)本棚
    《自宅にあるお宝バイクアイテム?》募集終了後編

    「宝物」って、ピカピカとかキラキラしているイメージがありますよね。

    そんな思いつきで本棚から出してきた本は「浅間ミーティング」の立役者の中沖満さんの著書『ぼくのキラキラ星』と、『がむしゃら1500キロ』『オートバイと初恋と』の著書もある伝説のレーサー、浮谷東次郎さんの『俺様の宝石さ』です。
    1957年に15歳の少年が、千葉県市川から大阪往復の1500キロを50ccのバイクでやり遂げているんですから、ツーリングの先達ですよね。

    お気に入りの真鍮のバックルも随分と経年変化で汚れてくすんでいたので、試しに台所のクレンザーで磨いてみたらピカピカにはなったけれど、こりゃくすんでいた方が渋くて正解でした(笑)。このバックルも今は市販されていないからレアかもね。











      


  • Posted by 放課後倶楽部♪DX  at 23:56Comments(0)本棚
    《自宅にあるお宝バイクアイテム?》締切後編

    これも“心の宝物”になるかもなぁ~。

    片岡義男さんの『彼のオートバイ、彼女の島』は1977年に出た本ですから、多くのライダーが魅了された作品として、今や「オートバイ小説」の古典的名作と呼んでも差支えないかも知れません。
    この銀塩写真がなんともいえぬ味があって好きでたまりません。

    文庫版の解説は評論家の室謙二さんが書かれていますが、ハードカバー版は片岡義男さんご自身があとがきを担当されています。
    琴線に響く表紙のキャッチコピー「夏はただ単なる季節ではない。それは心の状態だ。」という主題が立ち上がってきた経緯や意味を知ることが出来ます。

    この有名なフレーズの生まれた経緯は片岡さんの『限りなき夏1』(1981年)の文庫本のあとがきでも触れていました。
    私には、映画『エンドレス・サマー(終わりなき夏)』(1966年)、或いはビーチボーイズの名曲『オール・サマー・ロング』(1964年)といった名前を思わず想起させてくれます。














      


  • Posted by 放課後倶楽部♪DX  at 21:13Comments(0)本棚

    2019年02月08日

    今やお宝写真集

    お宝バイクパーツ等ではありませんが・・・(苦笑)。



    バイクはノーマル車なので「お宝」パーツなどは一切持ってないんですわ。
    で、1984年にCBS・ソニー出版から出たバイク乗りたちに関連するお宝写真集です。
    撮影は写真家の十文字美信さん。

    1964年の設立以来、オートバイ乗り達に有形無形の大きな影響を与え続けてきた横浜の伝説のモーターサイクルクラブの姿を追った作品です。
    以前、十文字先生が「実は、この写真集は俺も1冊も持っていないんだよ。ネットオークションで見たら10万円くらいの値段がついていて驚いたよ。俺の写真集の中でコレが一番高いかも」と笑っておられました。
    まぁ、僕の手持ちのコレはボロボロで値段なんてつかないと思います。

    この写真集に納められた作品の何点かは、下記の写真集でも出会えると思います。

    ▼写真集『感性のバケモノになりたい』十文字美信:2007年/求龍堂
    http://www.kyuryudo.co.jp/shop/shopdetail.html?brandcode=050000000049&search=%BD%BD%CA%B8%BB%FA&sort



    現在、十文字美信先生は2019年1月31日~2月23日までの日程で、パリのマレ地区にある「ピエール・イヴ・カーエギャラリー」で『WABI』(わび)という個展を開催中です。初日には木寺駐仏大使もお見えになったそうです。

    十文字さんは鎌倉の閑静な路地裏のギャラリー併設の「CAFÉ Bee」もやっておられます。“十文字ブレンド”のハードなコーヒーも楽しめます。若い頃はモダンジャズとオートバイに明け暮れたお方で、「暴力写真家」なんて異名もあったそうです。ちなみにカフェに駐車場はないので先生に許可をいただき駐車させていただきました(笑)。  


  • Posted by 放課後倶楽部♪DX  at 10:22Comments(0)本棚
    某誌の読投「お題」提出忘れ(笑)。









    誰かが「“今年の抱負”と“今年の豆腐”はよく似ている」みたいなことを言っていたけど、まぁ、それはさておき、旧暦だと旧正月はこれからなので、こんなタイミングでも新年の希望的目標や抱負はありなのかもねぇ~♪(笑)

    ★今年こそ三好礼子さんの『ペレファカフェ』を訪問してみたい♪

    ……と、「単車倶楽部」連載の楽しそうな「ペレファ・カフェ通信」を毎回眺めながら思うのですが、確か1年前も同じようなことを考えていました(笑)。出不精で根性無しなので今だ実現ならずです(笑)。

    僕らみたいなロートルライダーにとって、堀ひろ子さんや三好礼子さんって存在は“女性ライダーの草分け”としても、その行動力にしても、バイク雑誌等で目にする憧れの存在であったと思います。

    部屋の本棚を整理していたら、1983年刊のムック本『バイクパッキングで風の中~バイク&アウトドアライフのすすめ』(講談社)の巻頭カラ―ページで三好礼子さんがモデルをされていました。他にも2冊、三好礼子さんの著作本が発掘されました。

    角川文庫から出ていた片岡義男さんの一連の「バイク小説」でも、表紙カバーのモデルとして三好礼子さんは多用されていましたよね。版にもよりますが、三好さんがモデルとクレジットされた赤背表紙の文庫本を本棚から取り出してみました。恐らく皆さんの中にも慣れ親しんだ見覚えのある1冊があるのではないでしょうか。『彼のオートバイ、彼女の島』『俺のハートがNOと言う』『幸せは白いTシャツ』『美人物語』『メインテーマ』、片岡さんのエッセイ集『アップルサイダーと彼女』で見てとれます。

    僕がまだ20代で駆けだしの取材記者だった頃に、スーパークロスだったかインドアトライアルだったか忘れたけれど、何かのバイクイベントの関係者席で三好礼子さんの生お姿を発見して「うわっ、本物だよ!雑誌で見てたのと同じだ!」と感動しましたが、シャイな性格の私なので三好さんの後ろの席にいた宮城光さんの方にコメントを求めたような記憶があります(笑)。

    そ~いえば、「ペレファカフェ」で販売しているマグカップの可愛らしい山羊ちゃんのイラストは中山蛙さんの素案なんだと思いますが、あれも欲しいなぁ~。蛙さんといえば日付では30年前になりますが、江古田にあった知人の店で偶然お会いした時に『蛙とBIKEとヨーロッパ』って著作にサインしてもらった記憶があります。そんな本も僕の部屋に眠っていました(笑)。

    故郷の仲良しの幼馴染に学生時代SR400に乗っていたT君がいて、彼との会話。

    T「小池さぁ~、三好礼子さんってお前も知ってるら?昔、よくミスターバイクとかに載ってた“けっこい”女(ひと)いたじゃんね。うんと前にこっちのテレビで見たんだけど、あの人って今は御殿場とか富士山の辺りに住んでいるだらね?」
    俺「最近は、長野県の松本の近くで、旦那さんとカフェやってるらしいよ」
    T「えっ~、そうなの。行けば会えるだか?いいなぁ~。行ってみたい」

    注)静岡県浜松市では美人や別嬪さん、つまり綺麗な女性のことを「けっこい」人と表現します。

    と話をしたのですが、どうやら彼もまだペレファ未訪問の様子なので、同級生との松本訪問レース勝負はこれからです(笑)。
    多分、来年も同じようなことを言い合ってるかもな(笑)。

    かつて三好礼子さんは著書の中で夢として「森の中に、バイク屋を作りたい」と書かれていましたが、形態はバイク屋さんであれカフェであれ、緑の風が吹き渡る小道を抜けた先に色んな人が笑顔で出入りできるお店を構えられたことは、またひとつ夢の実現をされたのだと思います。


    ▼ペレファ・カフェ(ペースケとレイコのカフェ)
    https://www.facebook.com/perefa.cafe/
      


  • Posted by 放課後倶楽部♪DX  at 21:45Comments(0)本棚
    それは僕にとってのバイク旅の手引き書でもありました。



    バイク乗りの僕らが旅に出る理由って十人十色だと思います。
    バイク雑誌や旅行ガイドブックで見かけた絶景スポットや魅惑的なロードだったり、テレビの情報番組で目にした美味しそうな特産品や名物料理だったり、有名なライダーの旅にまつわる素敵なエッセイ本だったりと動機は様々ですよね。僕の場合は興味の関心が「歴史」や「文化」だったりもするので、そんな地を訪問してみたくてバイクを駆ることがあります。

    その意味では1月12日に93歳で亡くなった哲学者・梅原猛さんの梅原猛著作集6『日本の深層~縄文・蝦夷文化を探る』(2000年/小学館)は、本の帯にもあるように「梅原日本学の原点/東北、アイヌ、熊野から縄文文化へ知の紀行集」と、興味の尽きない土地を網羅していることもあり、僕をバイク旅に誘う知的刺激に満ちた大切な指南書のひとつです。
    2015年の哲学者・鶴見俊輔さんの訃報に続き、先日の哲学者・梅原猛さんの訃報はとても残念なニュースでした。

    1999年の夏、MC井戸端会議は10数名で「アイヌモシリ」(北海道)道東をキャンプ旅しました。
    2000年の夏、僕は仲間たちに「俺は今年は思うところあって東北6県を1人で周ることにしました。8月8日に宝生能楽堂での大倉正之助さんの飛天双〇能『翁付五流五番能』を観てから出発するので、予定では8月12日に十和田湖畔の何処かのキャンプ場に入るつもりなので、北海道から下ってくる先発組も、東京から北海道を目指して登ってくる後発組も十和田湖集合ね♪」と仲間たちに勝手に宣言してのバイク旅でした。(この旅の模様は2001年12月発行の「カワサキマインド」誌創刊号で8ページに渡って掲載してもらいました)

    前年の北海道旅から翌年の東北6県旅への裂け目に横たわるものは、間違いなく1999年秋に東北芸術工科大学・東北文化研究センターから発行された『東北学 vol.1【総特集】いくつかの日本へ』(赤坂憲雄責任編集/作品社)に触れた衝撃でした。

    この書の巻頭の「創刊に寄せて」の中で民俗学者の赤坂憲雄さんが「東北ははじまりの場所である。新たな列島の民族史的景観を拓いてゆくための、それゆえに選ばれた、ささやかな知の脈流の拠点である。この移ろい、揺れるはじまりの地から、『いくつもの日本』を孕んだ、もうひとつの歴史への方法を鍛えてゆかねばならない。まず、そこにある東/西の円形をなす土俵を、その、あらかじめ約束された予定調和のフィールドを突き崩すことから始めたい、と思う。西南の方位にある都にとって、東北はつねに『奥』を冠された、東の果ての荒涼たる辺境の地であった。東/西の軸に沿った眼差しの地政学こそが、辺境という宿命を、宿命の装いを凝らしつつ東北に強いてきた根源である。それは逃れがたい手かせ足かせとなって、その地にある人々の意識を呪縛してきた。この呪縛を解きほぐすために、いま東/西の土俵の外に立つことが求められている。それから、南/北の混沌を宿した四角いジャングルへと赴くことにしよう。この弧状なす列島の南/北の方位には、異相の風景が豊かに埋もれている。『ひとつの日本』の懐に抱き取られることを拒みながら、縄文へと連なる『いくつもの日本』の鉱脈が覗けている。それをひとつひとつ掘り起こし、糧として、素材として、『いくつもの日本』を抱いた列島の民族史的景観を拓いてゆかねばならない。東北はそのとき、縄文を底に沈めて北に深く繋がりつつ、弥生以降の歴史のなかでは、西の文化をくりかえし受け入れ、大きな変容の跡を刻まれてきた地域として見いだされる。だから東北には、『ひとつの日本』に穿たれた裂け目が数も知れずに存在する。」と書いておられました。

    この視座は2000年に出た『東西/南北考―いくつかの日本へ』(赤坂憲雄著/岩波新書)も同じで、それまで僕は例えば歴史学者の網野善彦さんの『東と西の語る日本の歴史』(講談社学術文庫)などを読んでいたので、“網野史学”で触れていた東西と異なる視線の南北考に発想の転換は刺激的でした。
    網野さんにしても赤坂さんにしても、両者とも「そもそも日本人は同じ言語・人種からなる単一民族説という幻想と呪縛に捉われすぎではないのだろうか」というところが出発点にあるでしょうし、そんな疑問や自由な研究もこの国が戦争で負けるまでは許されてはこなかったと思います。
    「ひとつの日本」という歴史認識のほころびに、“網野史観”を発展的に覚悟を決めて学術的に継承した感のある気鋭の民俗学者が赤坂さんですが、それ以前的に岡本太郎さんじゃありませんが、半ば直感や霊感的に思わせながらの節もがありますが、とんでもないくらいの新説や仮説を発表していたのが梅原猛さんだったのかもしれません。

    梅原猛さんの数ある著作の中でも、この『日本の深層 縄文・蝦夷文化を探る』(集英社文庫)は、梅原さん初の蝦夷論・東北論な気もして外せません。
    文庫本の解説は赤坂憲雄さんですが、「『日本の深層』は疑いもなく、一個の衝撃だった。大胆不敵な、と称していい仮説の書、いや、あえていえば予言の書である。」と評していました。
    この本が最初に世に出たのは1983年のことですが、「三内丸山遺跡」が発見されたのは1994年ですから、「序章・日本文化の源流を探る」の中で大胆にも「しかし、数年前から私は気づきはじめていた。東北はけっして歴史のはじめから、文化果つるところではなかったことを。縄文時代という時代、特に後期から晩期にかけて、東北はまさに日本文化の中心地であった。今日、日本のいたるところで数多くの縄文遺跡が見出され、古くから日本において、狩猟採集文化としては世界でも有数な高度の文化が栄えていることがわかりはじめてきた。」と、後の三内丸山遺跡の発見でも予感していたかのような部分に容易に出くわします。
    今、読んでも色褪せていなさが新鮮で面白い書です。まぁ、「蝦夷」という表記漢字を全て「えぞ」と読ませて、「えみし」(蝦夷)と「えぞ」(蝦夷)の区別が曖昧で「えっ?これ大丈夫?」という粗削りの部分はありますが、それはまぁ1980年代初頭に出た作品ですから今よりは区別がアバウトだったのか梅原さんご自身が割と無頓着な性格だったような気がします。

    限られた日程の中で北海道ツーリングを組むと、どうしても行きも帰りも東北自動車で一挙に駆け抜けてしまいがちです。それでは豊かな自然と文化と歴史のある東北を見落としてしまいます。
    『日本の深層』は旅行記ですから学術書に比べれば親しみやすいですし、文庫の新版には会津と山形への旅が追加されています。(全集には紀州の「熊野」編も収録されています。熊野もまた僕にとっては大きな興味のひとつです)
    興味深いテーマが満載ですから、バイク旅の刺激的な訪問先のヒントになります。

    それにしても、35年くらい前に出た『日本の深層』は今、読んでも面白いよね。逆に当時から研究が進んで明らかになった事柄もありますしね。
    ちょっと久しぶりに読み返してみようかな。
    その目次を見ただけでも「何があるんだろう」とワクワクするはずです。

    【目次】
    序章 日本文化の源流を探る
    1章 大和朝廷の前線基地、多賀城
    2章 「大盗」もふれえなかった平泉文化の跡
    3章 宮沢賢治の童話の語る日本人の隠された心の深層
    4章 山人と神々の声のこだまする遠野
    5章 強い自負と奔放な想像力をもつ東北の詩人たち
    6章 洞窟の奥深く隠されたもの
    7章 みちのくの果てに栄えた華麗な文化
    8章 ディオニュソス的空想と熱狂の地、津軽
    9章 「おしらさま」の意味するもの
    10章 生霊、死霊の故郷、出羽三山
    終章 新たな文化原理の発掘
    会津魂の深層
    山形紀行


    この梅原猛著作集の表紙は僕の手垢で随分と汚れていて、今から20年くらい前だとは思いますが、かなり興味深く読んだ記憶があります。
    同時期、講談社からは「日本の歴史」シリーズが刊行され、編集委員は網野義彦さんで、00巻の「『日本』とは何か」(2000年)も「戦後歴史学」を総括する意味で興味深く読んでいた気がします。テーマが「日本」とは何かという根源的な問いかけでもありましたしね。「孤立した島国日本」という従来までの虚像に鋭い批判も浴びせていました。その網野さんも2004年に他界されてしまいました。僕の所属(?)するオートバイ集団の族長殿からは「いいか、松岡正剛と網野善彦くらいは読んどけよ」と発破をかけられていた気がします。

    『日本の深層』の詳しい解説は松岡正剛先生の下記のサイトにお任せしましょう。
    “知の巨人”松岡正剛さんも「この本は梅原猛の数ある著作を画期する一冊で、かつ、いまこそ読まれるべき「日本=東北」の深層をあざやかに解く一冊である。ここには、石巻や仙台に隠された生をうけた梅原の、東北に寄せる深くて熱いまなざしが生きている。縄文と蝦夷、アイヌと日本人、仏教と修験道、柳田国男の目、啄木の詩、賢治の心、さらには太宰や徳一を通して、大胆な梅原日本学の入口が次々に示される。」と高く評価されていました。

    そして2011年に東北を襲った未曾有の災害と原発事故の衝撃は、都市と地方の歪んだ関係、とりわけても明治から現代に至るまでの政府と東北と呼ばれる地域の関係を僕らに問い直すきっかけを与えてもくれた気がします。
    それまで遠景でしかなかった東北が再び目前に迫ってきた思いです。
    東北にはまだまだ僕の知らない豊かなものがいっぱい眠っている気がします。

    八戸出身の小説家・木村友祐さんの『イサの氾濫』の爆発、山形出身の白崎映美さんのフォトエッセイ『鬼うたひ』、1stアルバム『まづろわぬ民』を引っ提げての「白崎映美&東北6県ろ~るショー!!」という凄いバンドの登場、演劇集団・風煉ダンスによる公演『まつろわぬ民』と、僕の東北熱は上昇する一方です。風煉ダンスのプレイベントで赤坂先生のお顔を拝んだ時には興奮したものです。

    ブラッドベリの『華氏451度』じゃありませんが、やっぱり本は読まないといけないよね。この国もこのままではディストピアになっちゃいそうだからね。


    ▼松岡正剛の千夜千冊 1418夜『日本の深層』梅原猛著
    https://1000ya.isis.ne.jp/1418.html


    ▼梅原猛著作集6『日本の深層』小学館
    https://www.shogakukan.co.jp/books/09677106
        
    〈 書籍の内容 〉
    東北・アイヌ・熊野に日本文化の源流を発見した衝撃の日本古代史紀行集。
    日本人とは何か、日本文化とは何かを考えるには、七、八世紀を中心とした梅原古代学だけでは不十分であり、日本文化の基層である縄文文化の研究が不可欠である。そこで、著者は縄文文化の名残りを色濃くとどめる東北、アイヌ、熊野の文化に注目する。そして一万年以上にわたって縄文文化の中心地であった東北各地や熊野を旅して、それらの地が日本文化の原郷であることを検証する。従来の日本古代史に大きな衝撃を与えた決定版歴史紀行集。現在の縄文文化再評価のきっかけになったこの作品の意義は大きく、梅原日本学の原点ともいうべき作品である。

    ▼『日本の深層 縄文・蝦夷文化を探る』梅原猛 集英社文庫
    http://books.shueisha.co.jp/items/contents.html?isbn=4-08-748178-6
    かつて東北は文化の先進地であり、高度で大規模な縄文文化が栄えていた―。東北各地を旅しながら、日本人の深層に眠る縄文の魂を探り、原日本文化論の新たな出発点をしるす。(解説・赤坂憲雄)

    ▼『東西/南北考―いくつもの日本へ』 (赤坂憲雄著/岩波新書/2000年)
    https://www.iwanami.co.jp/book/b268519.html
    ▼『東と西の語る日本の歴史』(網野善彦著/講談社学術文庫/・1982年)
    http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000150944
    ▼「日本」とは何か 日本の歴史00 網野義彦著/講談社学術文庫
    http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000211380
    http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000199819


    ▼京都新聞 社説 2019年1月15日
    社説:梅原猛さん死去 「知の探求」受け継ごう
    https://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20190115000047

     梅原猛さんが亡くなった。
     戦後日本を代表する哲学者で、あくなき知的好奇心に満ちた「知の探求者」だった。通説に果敢に切り込み、独創的な学問を打ち立てた功績は計り知れない。
     京都の文化土壌を考えるとき、真っ先に顔が浮かぶのが梅原さんではないか。
     仙台市出身の梅原さんが京都に来たのは、西田幾多郎や田辺元ら京都学派の哲学者へのあこがれからだった。だが、西田哲学の正統な継承者にはならなかった。
     京都学派の流れでも、むしろ異端の人だったという。異端を包み込む京都の文化土壌の中で、京都学界を代表する存在となった。
     時に批判、黙殺されても、絶対的なものへの反骨、既成概念への疑いが学問を支えていた。若い頃に直面した戦争がその根源にあったことは間違いない。
     自分は生き延びたという後ろめたさがあり、死に対する不安を人間の本質と捉えたハイデッガーの哲学に引かれたという。
     「自国にしか通じない日本主義では駄目だ」とも語っている。そんな思いは国際日本文化研究センターの創設にもつながった。
     西洋に代表される近代文明の行き詰まりを打開し、人類を救済する哲学を日本から打ち立てたいと情熱を燃やし続けた。
     社会が複雑化し、多くの学問や研究が狭い専門領域に「たこつぼ化」していると言われる。そんな中で、古代史や文学、宗教などを大胆に横断する梅原さんの哲学は独特の輝きを放った。
     学問が本来持つ面白さを気づかせてくれたからではないか。
     書斎の人にとどまらない、実践的行動の人でもあった。社会問題に積極的に発言した姿も印象深い。「九条の会」の呼びかけ人や、東日本大震災復興構想会議の特別顧問も引き受けた。
     常に日本の未来を案じていればこそだろう。安保法制を問い、詭弁(きべん)がまかり通る政治に「戦前のようなきな臭さが漂う」と警鐘を鳴らすことも忘れなかった。
     訃報が伝わったのが成人の日だったのも不思議な巡り合わせだ。
     梅原さんが耕した文化の土壌をぜひ、若い人にも受け継いでほしい。もっとも、それは単純な継承ではないだろう。
     「日本の学界は根本的な懐疑の精神に欠けている」と語っていた梅原さんである。自分を含めた既成のものを突き破るような、勇気のある、面白い学問を何より期待しているはずだ。

    ▼東京新聞 社説 2019年1月16日付
    【社説】梅原猛さん死去 「反戦の知」受け継いで
    http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019011602000176.html?ref=rank

    哲学者の梅原猛さんが私たちにのこした大きなものの一つは「反戦の知」ではなかったか。歴史や文学、宗教などを統合して築いた「梅原日本学」の根底にあったのは、生きることを尊ぶことだ。
     十二日、肺炎のため亡くなった。九十三歳。
     戦時中、動員の工場で空襲に遭うなど強烈な戦争体験を持つ。戦後は西洋哲学を軸に研究生活に入るが「自分自身の生きるよすがにならない」と感じ、人に生きる希望を与える「笑いの哲学」の創造を発意。「ノートを手に演芸場に通う学者」として有名になった。
     法隆寺が聖徳太子の鎮魂を目的に建てられたとする「隠された十字架」など古代三部作で「梅原日本学」とされる学風を確立した。
     従来の学説を根本から否定する刺激的な論考。実証性が問われ、時に「神がかり」とも批判されたが「神がかりになる、すなわちインスピレーションに導かれて書かれないような作品はろくなものではない」と反論。本紙に四半世紀にわたり執筆した随筆「思うままに」の最終回(二〇一七年十二月)でも、独創的な哲学の確立を志す心境をつづった。
     同時代に向けて盛んに発言し、行動した。国際日本文化研究センターの創設や「ものつくり大学」の開学に貢献する一方、長良川河口堰(かこうぜき)の建設や名古屋・藤前干潟の埋め立て、諫早湾の潮受け堤防の閉め切りなど、自然環境に影響を及ぼす事業を厳しく批判。脳死に関しては、人間の死として認めない論陣を張るなど、伝統的な死生観に即した視座を保ち続けた。
     原発についても「思うままに」では一九九〇年代から「危険であるばかりか、その廃棄物は少なくとも今の科学の発展段階では、現在及び未来の人類の生存に対して脅威」と何度も廃止を説いた。
     特筆されるのは二〇〇四年、護憲の立場から「九条の会」設立の呼びかけ人になったこと。人や動物だけではなく、植物や鉱物にも仏性が宿るという思想を尊ぶ立場から、生命を問答無用で奪う戦争には終生を通じて反対した。
     「日本人のほとんど全部が戦争を始めることに賛成しても、最後まで反対する人間の一人が私であることは間違いない」(「思うままに」〇三年四月)
     他国の脅威を口実に「戦争のできる国づくり」が進む今、この知の巨人が身をもって訴え続けた反戦と生命尊重の思想を、次の時代へしっかり受け継ぎたい。


    ▼毎日新聞 社説 2019年
    【社説】梅原猛さん死去 独創し続けた巨人を悼む
    https://mainichi.jp/articles/20190116/ddm/005/070/067000c

     枠にとらわれない独創的な発想で、人間や文化の本質に迫る生涯だった。哲学者の梅原猛さんが93歳で死去した。
     梅原さんの名を広く知らしめた業績の一つが、古代史探求だ。聖徳太子や柿本人麻呂の死の意味を論考した「隠された十字架」や「水底の歌」といった代表的な著書は大きな反響を呼んだ。
     専門家からは批判されたが、疑いから大胆な仮説を試みる独自の手法は、既成概念にしばられた社会に一石を投じた。
     戦争の理不尽を体験したことも根底にあるのだろう。その哲学は、社会や権力者、文明批判にも切り込むことをいとわなかった。
     日本の文化の基礎は、人間と自然が共生した縄文文化であると説き、人間による自然の征服、自然破壊に警鐘を鳴らした。さらに、近代文明は人間中心の傲慢な文明との考えから、東日本大震災後には、福島第1原発事故を「科学技術文明の文明災」だと指弾した。
     60歳を超えて劇作家としての才も発揮し、三代目市川猿之助(現・二代目猿翁)のためのスーパー歌舞伎「ヤマトタケル」や能、狂言も書いた。そこでも描いたのは、戦争への懐疑や自然への畏敬(いけい)の念を忘れた人間の愚かさだった。
     日本文化を学際的に研究する機関として、「国際日本文化研究センター」(日文研)の設立に尽力したのも大きな功績だ。
     当時の中曽根康弘首相に直談判したことから批判もあったが、いまや実証的かつリベラルな学問の中心的存在だ。自由な気風の中で、磯田道史さん、倉本一宏さん、呉座(ござ)勇一さんといった人気の歴史家が研究者に名前を連ねる。
     現所長が妖怪学で知られる小松和彦さんというのもユニークさの表れだ。梅原さんが貫いた姿勢と精神が、息づいているのだろう。
     人工知能(AI)がさまざまな分野で人間を凌駕(りょうが)しようとしている。その中で人間にしかできないことは何か。科学的には説明がつかないが、そこを突き詰めるなかで、学問や人間の深い奥行きが立ち現れる。
     梅原さんが実践してみせた広い視野での「人文知」が生かされる時ではないか。
      


  • Posted by 放課後倶楽部♪DX  at 04:30Comments(0)本棚
    また日本の「知の巨人」が1人・・・。

    残念なことです。



    ▼NHK NEWS 019年1月14日
    哲学者 梅原猛さん死去 93歳
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190114/k10011777211000.html

    日本古来の文化や思想を独特の視点で研究した哲学者で、文化勲章を受章した梅原猛さんが、12日、肺炎のため亡くなりました。93歳でした。
    梅原猛さんは大正14年、仙台市に生まれ、京都大学の哲学科を卒業したあと哲学者としての道を歩みました。

    その後、立命館大学や京都市立芸術大学で教授を務めて、日本の歴史や文化、思想を独特の視点で読み解いた多くの著作を発表し、その学問は「梅原日本学」と呼ばれました。

    中でも、法隆寺の建立について独自の解釈をした「隠された十字架」や、万葉の歌人、柿本人麻呂の生涯について検証した「水底の歌」は、通説にとらわれない発想で大胆な仮説を展開し、話題となりました。

    国際日本文化研究センターの設立にも力を尽くし、昭和62年から8年間、所長を務めたほか、平成9年から15年まで日本ペンクラブの会長を務めました。

    こうした功績が認められて平成4年に文化功労者に選ばれ、平成11年には文化勲章を受章しています。

    その後も平成13年に日本古来の“ものづくり”の原点を見直し、高度な技能や技術を身につけることに重点を置こうと埼玉県に設立された「ものつくり大学」の初代総長を務めたほか、平成23年には東日本大震災の発生後に政府が設置した「復興構想会議」に参加し、自然との共存を重視する文明の在り方という視点から提言を行ってきました。

    また、平成16年には作家の大江健三郎さんなどとともに、平和憲法の擁護を訴える「九条の会」の設立の呼びかけ人にもなりました。

    さらに、梅原さんは、狂言や歌舞伎といった古典芸能の世界にも活動の場を広げました。梅原さんの原作をもとに歌舞伎俳優の市川猿之助さん、今の市川猿翁さんが台本や演出を手がけたスーパー歌舞伎「ヤマトタケル」は、斬新でわかりやすい演出と奥深い脚本で大評判となり、歌舞伎の活性化に貢献しました。平成25年には、古典芸能の「能」を現代風にアレンジしたスーパー能の作品「世阿弥」を制作しています。

    親族によりますと、梅原さんは12日午後4時半ごろ、肺炎のため亡くなったということです。
    田原総一朗さん「反戦の意思は受け継がないといけない」
    哲学者の梅原猛さんは、みずからの戦争体験も踏まえ、一貫して戦争に反対する姿勢を貫いてきました。

    10年近く前から親交があるジャーナリストの田原総一朗さん(84)は、梅原さんが亡くなったことについて、「非常にショックで、1つの時代が終わったと言える。梅原さんは、『なぜ日本が戦争を始めたのか、どこが間違っていたのか』を体験的に知っている人だった」と功績をしのんでいました。

    そして、「最後に会ったのはおととしだったが、再び戦争を起こしてはならないということや、権力を疑うという姿勢を貫いていて、人間として尊敬していた。私たちの世代は戦争をあいまいに知っているだけなので、梅原さんの反戦という意思は私たちが受け継がないといけない」と話していました。
    山折哲雄さん「ものに取りつかれたように仕事をしていた」
    哲学者の梅原猛さんが亡くなったことについて、国際日本文化研究センターの元所長で、宗教学者の山折哲雄さん(87)は、「梅原さんとは40年ほど前に知り合ったが、自宅で部屋いっぱいに文献を広げ、ものに取りつかれたように仕事をしていた様子が大変印象に残っている。梅原さんは豪放で遠慮会釈のない批判精神で、内面的なものを考えて表現する世界を激しくも優しいことばで書き続けた珍しい人だ。戦後の日本人の哲学において、思想を捉える力が衰退する中で、梅原さんを失った意味は大きい。まるで平成の終わりという時代の節目を象徴するような亡くなり方だと思う。惜しい人を失った」と話していました。
    梅原さん 「九条の会」の呼びかけ人も
    梅原猛さんは戦時中の自身の体験を踏まえて、戦争の放棄をうたう憲法9条を守ろうと「九条の会」の呼びかけ人にも加わっていました。

    「九条の会」は、梅原さんをはじめ、ノーベル賞作家の大江健三郎さんや作家の澤地久枝さんなど9人が呼びかけ人となって平成16年に発足しました。

    発足した当時は自衛隊のイラク派遣が本格化していた頃で、その後も訴えを続け、「九条の会」によりますと、趣旨に賛同したグループは平成22年の時点で全国でおよそ7500に上るということです。

    一方、9人の呼びかけ人のうち、この10年余りの間に作家の井上ひさしさんや評論家の鶴見俊輔さんなどが亡くなり、梅原さんの死去で7人が亡くなったことになります。

    呼びかけ人の1人で作家の澤地久枝さんは、「梅原さんは表だって『九条の会』の活動に取り組むことはなかったが、戦時中の日本をよく知る方で、会の呼びかけ人に加わることで後押ししてくれたと思う。会の呼びかけ人は、大江健三郎さんと私の2人になりましたが、志は全国各地に広がっていて、梅原さんの思いがこの先も引き継がれていくことを願っています」と話していました。
    瀬戸内寂聴さん「京都は宝を失った」
    梅原猛さんが亡くなったことについて、親交の深い作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんは、「梅原さんは私のことをお姉さん、お姉さんと呼ぶように、普通の友達よりも深いおつきあいでした。去年だったか私が病気で入退院を繰り返したときに梅原さんが見舞いに来ると電話をしてきたので、ありがたいけど女なのでみっともないところを見られたくないと断り、お互いゲラゲラと笑いあったのを覚えています」と振り返りました。

    そして「梅原さんは、京都のあらゆる文化的な面を采配していて、哲学者でありながら政治的にも力のある方で、大変尊敬していました。梅原さんが亡くなったことは、私だけでなく、京都が宝を一つ失ったようなものです」と話していました。
    「哲学の道」でも惜しむ声
    数々の哲学者が散歩して思索にふけった京都市左京区の「哲学の道」周辺でも、梅原猛さんが亡くなったことを惜しむ声が聞かれました。

    哲学の道を3日に1度は歩くという近所の80歳の男性は、梅原さんが平和憲法の擁護を訴える「九条の会」の発起人だったことや瀬戸内寂聴さんと親しかったことなどに触れ、「90歳近くになってもあれほど先進的な活動や研究をされた方はいないので、本当に惜しいです」と話していました。

    また、近くに住む66歳の男性は、「京都では有名な人なので、残念です。私はそれほど哲学には詳しくないですが、時代の流れというか、また次からこの分野で新しい人が出てくることを期待したいです」と話していました。

      


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