たまりば

車・バイク・乗り物 車・バイク・乗り物その他 その他


ふだんのこの時期なら・・・



いつものこの季節なら・・・

ツーリングに出かけるには格好の季節ですし、夏に向けて「ブヨ除け」の為の「ハッカ油」(実際には暑さや疲労で仕事中やツーリング先で眠くなったような時に休憩時に顔に吹きつけてミントの香りでリフレッシュしているのですが…)を薄めて百均で買った小型のスプレーボトルに薄めて携行するのですが、今年は別の液体を小分けしたスプレーボトルに入れて日常的に持ち歩いています。
そう♪(*^^)v
アルコール消毒液の類です。
とりあえずアルコール消毒液の携帯は何かと重宝で安心要素のひとつです。
でも、最近は近所の百均ショップでも小型のスプレーボトルは品薄で棚で見かけることもなかなかないんだよね。皆さん考えることは同じみたいですね。




  • 山梨県の観光案内チラシにホンダ・クロスカブがっ!


    山梨県の観光案内チラシにホンダ・クロスカブがっ!


    高速道路のSAで見かけた「富士の国やまなし」という夏キャンプ特集のパンフレットの表紙の片隅にバイクの姿がありました。
    テントや椅子といった小物類を用意して、いかにもバイクキャンプを模した「画作り」までしてバイクライフスタイルの提案っぽく演出されていました。キャンプといえば一般的にはオートキャンプの方がレジャー人口は多いと思いますが、敢えてバイクキャンプっぽいイメージを持ってきた遊び心と夢のあるセンスにビックリです。細かい部分では思わずツッコミたくなる小道具類もありますが・・・(笑)。
    逆にBBQのデイキャンプのいかにもいかにもな画作り写真は2P目でした。

    アニメ「ゆるキャン△」の舞台が山梨県ってこともあるんだろうな。
    原付スクーターに乗ってるキャンプ慣れした登場人物もいるらしいしね。

    ▼クロスカブ110/50
    https://www.honda.co.jp/CROSSCUB/

    ▼TVアニメ「ゆるキャン△」
    http://yurucamp.jp/




  • それは、まるで


    昨日、台風19号に関する気象庁の緊張した表情の緊急会見を眺めていて妙な既視感
    に捉われました。
    コレって南方の海から日本を目指して襲来する怪獣『ゴジラ』の進路や上陸地点予測の映画の中のシーンみたいだよなと。
    『ゴジラ』はビキニ環礁での水爆実験に腹を立てて暴虐の限りを尽くす“荒ぶる神”として登場したかもしれないが、列島に猛威を振るうかもしれないスーパー台風は人類が自ら招いた地球温暖化に伴う気象変動への報復や警告としてやってくるのかもしれない。遂に人類は地球と自然の猛威に牙を剝かれたようだ。








  • “たんくら”最新号をバイクに積んで向かった先は?


    “たんくら”最新号をバイクに積んで向かった先は?























    『単車倶楽部』11月号の特集タイトルは≪逢いたい人に会いに行く旅≫でした。今夏の東北ツーリングは八戸在住のハーレー乗りの造形作家・木村勝一さんの工房を訪ねる旅でもあり、同誌のVOICEコーナーに掲載してもらえました。

    その御仁が静かな人気を集めるエリア“奥渋”(裏渋?)で取り組んでいるプロジェクトがあると耳にして陣中見舞いを兼ねて出かけてきました。
    彼が手掛けているのは、海鮮ワイン酒房『VINDUSTRY』(ヴァンダストリ)の空間プロデュースです。豪快な勝一さんの“親方”ぶりの発揮です。
    お店の名前はソムリエの女性オーナーさんのアイデアで、フランス語でワインを意味する「VIN」と、英語で産業や工業、アイアンなどの工業的内装を意味する「INDUSTRY」を組み合わせた素晴らしい造語です。

    10月のオープンに向けて内装工事中の店の前をカメラを手にウロウロしていたら、1Fの焼き肉屋からロス出身のデザイナーのヤマシタ・クレイグさんがニコニコと顔を出し「アレ?小池サン?今日ハココデ何ノ用事カナ?勝一サンナラココデ昼ゴハンシテルヨ」と教えてくれました。
    ちなみに、葡萄の房を六角ナットであしらったお店の看板デザインはクレイグさんの作品です。ちなみに、僕が最近購入したシャンソンの名曲『群衆』(La Foule)を収録したCDシングルのレトロ調ジャケットデザインは彼の作品です。

    鉄馬人・木村勝一による内装デザインですから、鉄分たっぷりの予測も立ちますし、僕らが見慣れた工具類も随所に飛び出すような期待もあって開店が楽しみです。かつて専門誌で≪遊び心で突破したオトコ。≫と特集された“突破者”なんです。
    ワインが中心のお店ですが、日本酒、ウイスキー、カクテル等の様々なお酒に合う美味しいシーフード系の食事が用意されるそうです。渋谷や代々木八幡や代々木公園から近い場所です。
    OPEN前から何かと巷で話題になっている“奥渋”のワイン酒場です。

    ちなみに陣中見舞いのお土産は「うなぎパイ」の徳用袋と「あげ潮」クッキーです。

    ▼Vindustry
    https://www.facebook.com/vindustryshibuya/?tn-str=k*F
    東京都渋谷区神山町4-18 フィルトップ神山2F
    『VINDUSTRY』 03-6804-7034

    ▼木村勝一
    https://www.facebook.com/profile.php?id=100007817821536
    ▼ヤマシタ クレイグ
    https://www.facebook.com/craig.yamashita





  • この特徴あるオカッパ頭は例の永遠の5歳児?


    この特徴あるオカッパ頭は例の永遠の5歳児?

    丸の内の仲通りを歩いていたらNHK「チコちゃんに叱られる!」で有名なチコちゃんのベンチアートらしきものに遭遇。
    ラクビ―ボールを手にしていたので、ラクビ―ワールドカップ絡みの展示なんだろうな。

    皆さんベンチに腰掛けてチコちゃんと一緒に記念撮影していました。














  • 築地市場移転であの金属プレートはどうなったんだろう・・・。


    築地市場移転であの金属プレートはどうなったんだろう・・・。





    旧築地市場の解体が進んでいることで気になったのは1枚の金属プレートの行方でした。

    それは

    《1954年3月1日、米国が太平洋のビキニ環礁で行った水爆実験で被曝した第五福竜丸から水揚げされた魚の一部(約2トン)が同月16日築地市場に入荷しました。国と東京都の検査が行われ、放射能汚染が判明した魚(サメ、マグロ)などは消費者の手に渡る前に市場内のこの一角に埋められ廃棄されました。全国では850隻余りの漁船から460トン近くの汚染した魚が見つかり、日本中がパニックとなって魚の消費が大きく落ち込みました。築地市場でも「せり」が成立しなくなるなど、市場関係者、漁業関係者も大きな打撃を受けました。このような核の被害がふたたび起きないことを願って、全国から10円募金で参加した大勢の子どもたちと共に、この歴史的事実を記録するため、ここにプレートを作りました。マグロ塚を作る会 1999年3月1日》

    と刻印された1枚です。
    元々は都営大江戸線のA1出口近くの壁に埋め込まれていたはずですが、その壁が取り壊されたとすればちょっと心配になって見てきました。
    幸いにも工事用のフェンスに設置はされていました。
    工事が終わって新しい施設が市場跡地に建った時にはどうなるものかと少し心配ではあります。

    「碑」という存在は後世に何があったかを伝える伝達装置とか記憶装置の役目を担ってきたもので、アナクロ的な手法ではあっても昔から石碑として慰霊碑などの形で戒めも含めて戦争や震災などがあった場所などに刻まれたきましたよね。

    第五福竜丸は焼津漁港所属のマグロ漁船だったので第五福竜丸事件のことは身近な気もします。実際には第五福竜丸以外にも数多くの漁船等が1954年3月1日のビキニ環礁でのアメリカの水爆実験で被爆しました。マグロも回遊魚ですし、汚染された小魚を食べて生きているので日本近海にも彼らはやってきました。

    それにしても、移転問題で旧築地市場内に埋められた被爆マグロのことは殆ど話題にもならなかったよね。僕らって本当に忘れっぽいからね。
    それにしても65年前に埋めた場所も現在では不明らしいよね。管理も杜撰というか・・・。まぁ、当時は全国各地でも汚染で廃棄された魚はいっぱいあったと思います。

    本当は事件を伝える為に「マグロ塚」が築地市場に置かれるはずだったらしいのですが紆余教説あって現在はその塚は夢の島地区に仮接地されているそうです。

    そんな事件を伝える「第五福竜丸展示館」は都の施設なので無料で見学出来ますし、暫く休館していましたがリニューアルされて開館したのでまた訪問してみようっと。

    ▼都立 第五福竜丸展示館
    http://d5f.org/





  • お近くの方は是非♪


    お近くの方は是非♪

    今週、日曜に静岡市の古書店で気鋭の作家・木村友祐さんのトークイベントがあります。
    僕も彼のデビュー作から全部読んでいる1人です。

    現在、戸田書店静岡本店の選書の棚では、木村友祐さんの著書を全部揃えてフェアをされています。しかも関連書籍も集めてすごく充実した棚になっているそうで、これも必見です。良い読書ガイドの棚になっていると思います。




    ▼木村友祐
    https://www.facebook.com/yusuke.kimura.794?fref=ufi
    2月17日付
    次の日曜日、24日に、静岡の水曜文庫さんに伺います。作者が「自作を語る」って、どうなのと思いますが、震災を起点とした社会の変化と書き手の変化の報告になるとも思います。原稿なしでのんびり話します。2時間もあるから、朗読もたっぷり。どうぞお越しください。
    写真は戸田書店静岡本店のツイートからお借りしました。戸田書店静岡本店では、イベントにあわせたぼくの選書コーナーを設けてくださってます。そちらもぜひご覧ください!


    ▼水曜文庫 静岡市葵区鷹匠町2-1-7 つるやビル1F
    https://www.facebook.com/水曜文庫-456433074424300/
    http://d.hatena.ne.jp/suiyouu-bunko/?fbclid=IwAR3Ivzf6Ys4ShX9ZXlrWwmz0KE8h0Q0QXWSp7vG1uKO_bmoelaT9Adj9-I0

    講座 本をつくること 第6回 作家:木村 友祐をお招きして
     ”講座 本をつくること 第6回” は、最新作「幸福な水夫」、野間文芸新人賞候補作「聖地Cs」、三島由紀夫賞候補作「イサの氾濫」など 現代社会のありようを見つめながら、そこに生きる小さきものたちに寄り添う物語を書き続けている小説家、木村友祐さんをお招きします。

     小説のテーマというべき家族や郷土との絆や、温かな、ときに激しい南部弁の響き、地方と中央の関係性など、「震災前と震災後では、ぼくの書き方はガラリと変わってしまった」と語る木村さんの思いを、個々の作品に即しながら縦横に語っていただきます。また、小説世界を活き活きと再現する、作家自身による朗読もお聞かせいただきます。

    講師プロフィール :
    木村 友祐(キムラ ユウスケ) 
    1970年青森県八戸市生まれ。日本大学藝術学部文芸学科卒。2009年『海猫ツリーハウス』(集英社)で第33回すばる文学賞受賞。2012年「イサの氾濫」で第25回三島由紀夫賞候補、2014年『聖地Cs』(新潮社)で第36回野間文芸新人賞候補、2016年『イサの氾濫』(未来社)で第38回野間文芸新人賞候補となる。最新作は『幸福な水夫』(未来社)。

    水曜文庫

    講師 木村 友祐 

    参加費:1000円 申込は電話またはメールで水曜文庫まで

    現在戸田書店静岡本店1Fの文芸書売り場にて「木村友祐さん選書」フェアをやっております。担当の方がリストを作ってくれています。配布もしていると思いますのでぜひお立ち寄りください。

    ▼戸田書店静岡本店
    http://www.todabooks.co.jp/fair/far.php?s=2





  • 僕にとっては旅を誘う書でもありました。


    僕にとっては旅を誘う書でもありました。



    2015年に哲学者の鶴見俊輔さんがお亡くなりになった際も戦後の大きな知の巨人の喪失を感じましたが、先日の哲学者の梅原猛さんの訃報にも同様の喪失感を禁じ得ません。
    幾つかの新聞の社説でも梅原さんの死を悼んで記事を掲げていました。
    それにしても、『日本の深層』は今、読んでも面白いよね。
    ちょっと久しぶりに読み返してみようかな。
    この全集は表紙は僕の手垢で汚れていて、20年くらい前だと思うけど、かなり興味深く読んだ記憶があります。
    解説は松岡正剛先生の下記のサイトにお任せしましょう。

    ▼松岡正剛の千夜千冊 1418夜『日本の深層』梅原猛著https://1000ya.isis.ne.jp/1418.html


    ▼京都新聞 社説 2019年1月15日
    社説:梅原猛さん死去 「知の探求」受け継ごう
    https://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20190115000047

     梅原猛さんが亡くなった。
     戦後日本を代表する哲学者で、あくなき知的好奇心に満ちた「知の探求者」だった。通説に果敢に切り込み、独創的な学問を打ち立てた功績は計り知れない。
     京都の文化土壌を考えるとき、真っ先に顔が浮かぶのが梅原さんではないか。
     仙台市出身の梅原さんが京都に来たのは、西田幾多郎や田辺元ら京都学派の哲学者へのあこがれからだった。だが、西田哲学の正統な継承者にはならなかった。
     京都学派の流れでも、むしろ異端の人だったという。異端を包み込む京都の文化土壌の中で、京都学界を代表する存在となった。
     時に批判、黙殺されても、絶対的なものへの反骨、既成概念への疑いが学問を支えていた。若い頃に直面した戦争がその根源にあったことは間違いない。
     自分は生き延びたという後ろめたさがあり、死に対する不安を人間の本質と捉えたハイデッガーの哲学に引かれたという。
     「自国にしか通じない日本主義では駄目だ」とも語っている。そんな思いは国際日本文化研究センターの創設にもつながった。
     西洋に代表される近代文明の行き詰まりを打開し、人類を救済する哲学を日本から打ち立てたいと情熱を燃やし続けた。
     社会が複雑化し、多くの学問や研究が狭い専門領域に「たこつぼ化」していると言われる。そんな中で、古代史や文学、宗教などを大胆に横断する梅原さんの哲学は独特の輝きを放った。
     学問が本来持つ面白さを気づかせてくれたからではないか。
     書斎の人にとどまらない、実践的行動の人でもあった。社会問題に積極的に発言した姿も印象深い。「九条の会」の呼びかけ人や、東日本大震災復興構想会議の特別顧問も引き受けた。
     常に日本の未来を案じていればこそだろう。安保法制を問い、詭弁(きべん)がまかり通る政治に「戦前のようなきな臭さが漂う」と警鐘を鳴らすことも忘れなかった。
     訃報が伝わったのが成人の日だったのも不思議な巡り合わせだ。
     梅原さんが耕した文化の土壌をぜひ、若い人にも受け継いでほしい。もっとも、それは単純な継承ではないだろう。
     「日本の学界は根本的な懐疑の精神に欠けている」と語っていた梅原さんである。自分を含めた既成のものを突き破るような、勇気のある、面白い学問を何より期待しているはずだ。


    ▼東京新聞 社説 2019年1月16日付
    【社説】梅原猛さん死去 「反戦の知」受け継いで
    http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019011602000176.html?ref=rank

    哲学者の梅原猛さんが私たちにのこした大きなものの一つは「反戦の知」ではなかったか。歴史や文学、宗教などを統合して築いた「梅原日本学」の根底にあったのは、生きることを尊ぶことだ。
     十二日、肺炎のため亡くなった。九十三歳。
     戦時中、動員の工場で空襲に遭うなど強烈な戦争体験を持つ。戦後は西洋哲学を軸に研究生活に入るが「自分自身の生きるよすがにならない」と感じ、人に生きる希望を与える「笑いの哲学」の創造を発意。「ノートを手に演芸場に通う学者」として有名になった。
     法隆寺が聖徳太子の鎮魂を目的に建てられたとする「隠された十字架」など古代三部作で「梅原日本学」とされる学風を確立した。
     従来の学説を根本から否定する刺激的な論考。実証性が問われ、時に「神がかり」とも批判されたが「神がかりになる、すなわちインスピレーションに導かれて書かれないような作品はろくなものではない」と反論。本紙に四半世紀にわたり執筆した随筆「思うままに」の最終回(二〇一七年十二月)でも、独創的な哲学の確立を志す心境をつづった。
     同時代に向けて盛んに発言し、行動した。国際日本文化研究センターの創設や「ものつくり大学」の開学に貢献する一方、長良川河口堰(かこうぜき)の建設や名古屋・藤前干潟の埋め立て、諫早湾の潮受け堤防の閉め切りなど、自然環境に影響を及ぼす事業を厳しく批判。脳死に関しては、人間の死として認めない論陣を張るなど、伝統的な死生観に即した視座を保ち続けた。
     原発についても「思うままに」では一九九〇年代から「危険であるばかりか、その廃棄物は少なくとも今の科学の発展段階では、現在及び未来の人類の生存に対して脅威」と何度も廃止を説いた。
     特筆されるのは二〇〇四年、護憲の立場から「九条の会」設立の呼びかけ人になったこと。人や動物だけではなく、植物や鉱物にも仏性が宿るという思想を尊ぶ立場から、生命を問答無用で奪う戦争には終生を通じて反対した。
     「日本人のほとんど全部が戦争を始めることに賛成しても、最後まで反対する人間の一人が私であることは間違いない」(「思うままに」〇三年四月)
     他国の脅威を口実に「戦争のできる国づくり」が進む今、この知の巨人が身をもって訴え続けた反戦と生命尊重の思想を、次の時代へしっかり受け継ぎたい。


    ▼毎日新聞 社説 2019年
    【社説】梅原猛さん死去 独創し続けた巨人を悼む
    https://mainichi.jp/articles/20190116/ddm/005/070/067000c

     枠にとらわれない独創的な発想で、人間や文化の本質に迫る生涯だった。哲学者の梅原猛さんが93歳で死去した。
     梅原さんの名を広く知らしめた業績の一つが、古代史探求だ。聖徳太子や柿本人麻呂の死の意味を論考した「隠された十字架」や「水底の歌」といった代表的な著書は大きな反響を呼んだ。
     専門家からは批判されたが、疑いから大胆な仮説を試みる独自の手法は、既成概念にしばられた社会に一石を投じた。
     戦争の理不尽を体験したことも根底にあるのだろう。その哲学は、社会や権力者、文明批判にも切り込むことをいとわなかった。
     日本の文化の基礎は、人間と自然が共生した縄文文化であると説き、人間による自然の征服、自然破壊に警鐘を鳴らした。さらに、近代文明は人間中心の傲慢な文明との考えから、東日本大震災後には、福島第1原発事故を「科学技術文明の文明災」だと指弾した。
     60歳を超えて劇作家としての才も発揮し、三代目市川猿之助(現・二代目猿翁)のためのスーパー歌舞伎「ヤマトタケル」や能、狂言も書いた。そこでも描いたのは、戦争への懐疑や自然への畏敬(いけい)の念を忘れた人間の愚かさだった。
     日本文化を学際的に研究する機関として、「国際日本文化研究センター」(日文研)の設立に尽力したのも大きな功績だ。
     当時の中曽根康弘首相に直談判したことから批判もあったが、いまや実証的かつリベラルな学問の中心的存在だ。自由な気風の中で、磯田道史さん、倉本一宏さん、呉座(ござ)勇一さんといった人気の歴史家が研究者に名前を連ねる。
     現所長が妖怪学で知られる小松和彦さんというのもユニークさの表れだ。梅原さんが貫いた姿勢と精神が、息づいているのだろう。
     人工知能(AI)がさまざまな分野で人間を凌駕(りょうが)しようとしている。その中で人間にしかできないことは何か。科学的には説明がつかないが、そこを突き詰めるなかで、学問や人間の深い奥行きが立ち現れる。
     梅原さんが実践してみせた広い視野での「人文知」が生かされる時ではないか。

    ▼梅原猛著作集6『日本の深層』小学館
    https://www.shogakukan.co.jp/books/09677106
        
    〈 書籍の内容 〉
    東北・アイヌ・熊野に日本文化の源流を発見した衝撃の日本古代史紀行集。
    日本人とは何か、日本文化とは何かを考えるには、七、八世紀を中心とした梅原古代学だけでは不十分であり、日本文化の基層である縄文文化の研究が不可欠である。そこで、著者は縄文文化の名残りを色濃くとどめる東北、アイヌ、熊野の文化に注目する。そして一万年以上にわたって縄文文化の中心地であった東北各地や熊野を旅して、それらの地が日本文化の原郷であることを検証する。従来の日本古代史に大きな衝撃を与えた決定版歴史紀行集。現在の縄文文化再評価のきっかけになったこの作品の意義は大きく、梅原日本学の原点ともいうべき作品である。


    ▼『日本の深層 縄文・蝦夷文化を探る』梅原猛 集英社文庫
    http://books.shueisha.co.jp/items/contents.html?isbn=4-08-748178-6
    かつて東北は文化の先進地であり、高度で大規模な縄文文化が栄えていた―。東北各地を旅しながら、日本人の深層に眠る縄文の魂を探り、原日本文化論の新たな出発点をしるす。(解説・赤坂憲雄)





  • 初詣は秩父の静かな社へ♪


    初詣は秩父の静かな社へ♪











    秩父下吉田の椋神社には昨年秋にもバイクで訪問した気がしますが、元旦の初詣でにも車で家族で自宅から80キロ程ひとっ走り♪
    だって空いてるし、空気も好いし、静かだしね。

    それにここは約130年前の1884年11月1日に秩父「困民党」軍3000名が明治政府に対し武装蜂起した集合場所でもあります。(厳密にはこれに先立ち10月31日には風布(ふっぷ)村の困民党が行動を起こしています)
    作年はNHK大河で1877年の「西南戦争」がもてはやされていましたが、あれが下級士族の最後の叛乱とすれば、こちらは自由民権運動に強烈な光を放った民衆蜂起の地です。「革命」の主体がまったく異なります。

    「秩父事件」に先立ち、圧政に苦しむ民衆や急進的自由民権活動家による政府転覆をも内包した一連の「激化事件」は1881年の「秋田事件」、1882年の「福島事件」、1883年の富山の「高田事件」、1884年の「群馬事件」、茨城の「加波山事件」が続発していますが、敗者の歴史は殆ど忘れ去られています。
    その象徴的で最大のものが「秩父事件」でありました。それは「圧政を変ジテ自由ノ世界ヲ」希求したものとすれば「暴徒」「暴動」「火付け強盗」の類ではありません。そこには厳格な軍紀(規律)もありましたし、圧政に対する抵抗権・革命権・反乱権の姿を鋭く提起していました。

    秩父地方では「狼」信仰も厚く、田畑の作物を荒らす猪や鹿除けとしての位置づけもあったようで、そんな話も社務所で聞かせてもらうことができました。「害獣」と一口に言ってもなかなか難しいものがあります。「二ホンオオカミ」という日本の野生動物の頂点にあった獣の不在は生態系のバランスの喪失でもありました。

    それにこの椋神社は文学的アニメ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』で重要なモチーフになっている“農民ロケット”『龍勢』祭りの地でもあります。深堀すると色んな地層が横たわっている神社のひとつです。

    ▼椋神社(秩父吉田)
    https://www.facebook.com/mukujinja





    ▼龍勢まつり【埼玉県公式観光動画】
    https://www.youtube.com/watch?v=XwXlbg9G_5Q

    ▼秩父事件~秩父事件顕彰協議会公式サイト
    http://www.chichibujiken.org/folder/post-2.html
    ▼ぶらっとちちぶ~秩父事件
    http://www.chichibuji.gr.jp/chichibujiken/
    ▼秩父事件資料館~井上伝蔵邸
    http://www.chichibuji.gr.jp/spot/spot-syousai51/
    ▼道の駅 龍勢会館 http://www.ryuseinomachi.co.jp/ryusei/
    http://michinoeki-guide.ciao.jp/ryusei4.html

    ▼映画『草の乱』(2004年)
    http://www.chichibujiken.org/folder6/post-19.html

    ▼吉田龍勢保存会 http://www.ryusei.biz/
    ▼椋神社例大祭龍勢祭
    https://www.saitamatsuri.jp/matsuri/ryusei/

    ▼アニメ「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」公式サイト
    https://www.anohana.jp/tv/goods/index.html
    https://www.anohana.jp/

    ▼秩父観光なび
    https://navi.city.chichibu.lg.jp/
    ▼秩父観光協会
    http://www.chichibuji.gr.jp/









  • 祝目標額達成♪おめでとうございます&本当に奮戦お疲れさまでした。


    祝!目標額達成♪おめでとうございます&本当に奮戦お疲れさまでした。






    『東北の地に残る昭和の大衆文化遺産を守る。「白ばら」再生物語 Season2』!
    57年の歴史に幕を下ろした昭和の大衆文化遺産、元グランドキャバレー「白ばら」を後世に残そうと、行政に頼らず立ち上がった地元の仲間たち。消防法の壁をクリアしたものの、次は建物の老朽化で雨漏りが立ちはだかり、「白ばら」は消滅の危機だったけれど、全国からの浄財でなんとか工事が出来るようです。
    まだまだ手を入れなければならない箇所や、再びシャンデリアにも明かりを灯したいなど課題は山積みたいですが、とにかく熱い地元の応援団がいます。
    以前、山形新聞に掲載された佐藤仁さんの「提言 故郷で共に咲き誇ろう」は読めば納得&感動です。



    ▼東北の地に残る昭和の大衆文化遺産を守る。 「白ばら」再生物語 Season2
    https://www.youtube.com/watch?v=Ot99WlpCqqQ

    ▼東北の地に残る昭和の大衆文化遺産を守る。
    「白ばら」再生物語 Season2
    https://motion-gallery.net/projects/shirobara_reborn_season2/collectors#_=_

    ▼Save the 白ばら
    https://www.facebook.com/shirobarareborn/

    ※12月1日の『まつろわぬ民2018』酒田公演観劇で前日に雪景色の月山道路を越えて山形県入りして、その足で酒田市役所隣の市民会館へチケットを求めに訪問した際に、たまたま出会ったのが東北最後のグランドキャバレー「白ばら」再生プロジェクトの佐藤仁さんでした(笑)。
    ぐいぐいと迫ってくるお方でした(笑)。その際の動画が下記です(笑)。これも何かの「縁」ってヤツで応援していました♪

    ▼佐藤ひとしさんのFB  2018年11月30日付
    https://www.facebook.com/hitoto.sato/videos/10215023767042608/

    ▼佐藤ひとし
    https://www.facebook.com/hitoto.sato?epa=SEARCH_BOX


    ▼山形新聞 2015年12月23日
    キャバレー「白ばら」閉店へ・酒田 大人の社交場、消える昭和の残り香

     東北・北海道で唯一、営業を続けてきた酒田市のグランドキャバレー「ナイトスポット白ばら」が30日に閉店し、57年の歴史に幕を下ろす。水原弘や中尾ミエなど、昭和歌謡を彩った多くの歌手がステージに立ち、日本の高度成長と同じ曲線を描くように栄えた大人の社交場だった。大学生時代にアルバイトとして働き始め、現在は経営会社の取締役として白ばらの歴史とともに歩んできた本間邦夫店長(65)は「店を愛してくれるお客さんへの申し訳なさ、閉めることへの致し方なさで気持ちは半々です」。昭和の香りを残す空間が酒田の街から消える。

     創業は1958(昭和33)年。酒田の繁華街に店を構え、奥羽観光(同市)の斎藤友弥会長が営業を始めた。現在の建物は69(同44)年に建てられた鉄筋コンクリート3階建て。店舗はその1階にある。ステージを起点にして扇状に広がる27のボックス席には、110人が収容できる。約7メートルの高い天井、床面積約700平方メートルの大きなフロア…。昭和の流行語「大きいことはいいことだ」は、キャバレーの店づくりにも当てはまっていた。

     最盛期は昭和40~50年代。90人以上のホステスが在籍し、水原弘や中尾ミエ、渚ゆう子、千昌夫、山本リンダら数々の歌手がステージに登場した。昭和の大横綱大鵬、千代の富士が来店したこともあったという。音楽集団「上々台颱(シャンシャンタイフーン)」のボーカルとして知られる酒田市出身の歌手・白崎映美さんもステージに立ち、白ばらに魅了された一人だ。

     道路を挟んで向かいにある料亭(当時)「山王くらぶ」から「白ばら」に流れるのが夜の定番だった。企業関係者の接待などでにぎわい、フロアはいつも満席だったという。

     ともし続けたキャバレーの火は、景気低迷による企業接待の減少やエンターテイメントの多様化などで次第に小さくなっていった。昭和を知る世代が高齢になり、客層は広がらず、次第に経営を圧迫するようになった。現在は5人が従業員として働いている。

     日和山ホテル(酒田市)の佐藤仁社長(52)ら有志が大みそかの31日、白ばらへの感謝を込めたイベントを企画している。白崎さんやかつてステージに立ったバンドメンバーらが出演。午後3時から4時間にわたって多彩なショーを繰り広げる。入場料は2千円で、午後9~11時には楽屋などを巡るバックヤードツアー(500円)も。この日の売上金は全額、同店に贈る。問い合わせは日和山ホテル0234(22)0102。

    仲間の顔浮かぶ
     本紙でやまがたキャバレー時代を連載した作家高橋義夫さんの話 「白ばら」には入ったことがありませんが、閉店と聞き、かつての飲み仲間の顔が目に浮かびました。一つの文化が消えていく。仕方のないことですが、楽しい人も楽しい場所も、あの世の方に多くなった、というのは怖いことです。

    故郷酒田の誇り
     白崎映美さんの話 この地上から消える、オラが故郷酒田が誇るグランドキャバレー“白ばら”の灯よ。オラは悲しい、悔しい、苦しい、地団駄(じだんだ)踏んで泣きたい。マイケル・ジャクソン並みの人気がオラにあったならなあ。晴れの日も雨の日も嵐の日も、じっとじっと咲いていた“白ばら”よ永遠に。
    .


    ▼東北随一の美の殿堂、
    築59年の朽ちかけたキャバレー
    〈白ばら〉 救ったのは
    クラウドファンディングでした。2018年6月13日付
    https://colocal.jp/news/114357.html

    酒田の夜はこれからもにぎやかに! 
    山形県酒田市にある、〈Night Spot 白ばら〉。
    築59年、朽ちかけたキャバレーがクラウドファウンディングで
    華麗に復活したレンタルホールです。
    今どきの人だとちょっと想像しづらいかも知れません。
    ショーを見ながらお酒を飲む。
    例えば、赤坂のミカド……これも35年前になくなっているそうで、
    有楽町日劇……。ギリギリわかってもらえそうなのは宝塚のイメージでしょうか?
    東京でもかなり華やかな時代がありました。
    日劇でレビューを見た親御さんはまだいらっしゃるのではないかしら? 
    そんな華やかな世界が東北にもあったのです。

    「白ばら」は1958年(昭和33年)、山形県の日本海側、港町・酒田市に創業し、
    昭和文化円熟の時代に連日連夜満員御礼を記録したグランドキャバレーです。
    そんな「白ばら」も、著しい老朽化と遠のく客足に、とうとう閉店という
    苦しい選択を余儀なくされました。
    2年半前の12月……その悲報はYahooニュースのトップにも報じられたそうです。
    このころ、札幌のクラブが閉店してしまったために、
    この白ばらが日本最北の現役キャバレーとなっていたのに、です。

    閉店する2年前、現オーナーとなる佐藤仁さんと
    酒田市出身の上々颱風(しゃんしゃんたいふーん)ヴォーカル・白崎映美さんが
    朽ち果てた建物に潜入。どうなっているのか、ただの怖いもの見たさでした。
    眼前に広がっていたのは華やかな南国の世界。
    椰子の木が生い茂り、きらびやかな電飾に飾られたステージが目に飛び込んできて思わず息を飲み込みました。

    天井は高く、アールデコ調のシャンデリア。
    ソファーは滑らかなビロード張り、格を感じさせる重厚な空間。
    交通の便も悪い東北の地方都市だからこそ細々と存在し続けてきた、
    昭和の大衆文化遺産だったのです。
    すべてが昭和の艶めかしさを色濃く残し、様々な人生劇場が繰り広げられてきたのだろう、
    というここに1歩足を踏み入れた佐藤さんと白崎さんは、
    このオーラをまとった重厚な空間の虜になってしまったのです。
    しかし、この店がもうすぐ閉店するという話しもあり。
    どうにかして存続させよう、どうしたらいいだろう? 
    と悩む日々が続きました。

    佐藤さんは、白ばら未経験者を誘ってはファンを増やし育てる活動を始めました。
    白崎さんは地元新聞で担当していたコラムのコーナーで「白ばら」を
    守ることの大切さを執拗に(笑)宣伝したり、
    テレビでも紹介されたりといったメディアの協力もあり、
    ようやく「白ばら」の存在の希少性が地元山形で認知され始めました。
    彼女が熱演する伝説のキャバレーナイトショーも実現しました。
    が、そんな努力も虚しく経営難は解消されず閉店を迎えたのでした。
    それでも諦めないで残そうと考えぬき、レンタルホール、貸しライブ会場として
    どうにか維持費を捻出していこう、と佐藤さん達有志は進み始めました。

    レンタルホールなどで維持費のめどが立ったある日、
    またもや困難が立ちはだかりました。消防署から
    「自動火災報知器と煙探知機、誘導灯の新規設置」をするよう指導が入ったのです。
    その金額、なんと350万円。維持費で精いっぱいだった白ばら、
    ついに窮地に立たされたか? の状態になりました。
    そこで考えついたのがクラウドファンディングです。
    これまで行政にも支援をお願いしたことはなく、市民有志が関われる
    範囲で気持ちと資源を持ち寄ってここまで頑張ってきました。
    Save the 白ばらのジャンヌダルクとなる白崎映美さんは
    「白ばらキャバレーナイトショー」実現に向けて奔走します。
    くち果てそうな建物をクラウドファンディングという発想で
    よみがえらせるというのがなんとも凄い発想ではありませんか。
    人事は尽くしました。あとは天命を待つのみです!

    ▼Night Spot 白ばら
    https://www.facebook.com/Shirobara468/

    ▼白崎映美&白ばらボーイズ
    https://www.facebook.com/shirobaraboys/

    ▼白崎映美&白ばらボーイズ 2015/08/07~08
    https://www.youtube.com/watch?time_continue=307&v=w89ZBfQhmxc


    ▼河北新報 2017年12月10日
    酒田の夜「白ばら」再び 東北最後のキャバレー、飲食店に
    https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201712/20171210_53004.html
     北海道・東北地方で最後まで営業を続けた山形県酒田市のキャバレーで、2015年末に閉店した「白ばら」が30日、飲食店として再起する。住民有志が立ち上げた合同会社が運営し、生演奏などを楽しめる新たな「大人の社交場」として千客万来を目指す。

     白ばらファンで、閉店後も貸しスペースとして利用を図ってきた酒田市の旅館経営佐藤仁さん(54)が、11月27日に合同会社「白ばら友社」を設立した。老朽化した消防設備やトイレをインターネットで募った寄付などを活用して修繕。建物を所有する会社から賃借して運営する。
     開店日は当面、毎週水、金、土曜日のみ。店長の佐藤さんとスタッフで午後8時ころから深夜まで営業し、オリジナルビールやピザなどを提供する。
     毎週水曜は「ジャズの日」とし、歌手の山本リンダさんら名だたる昭和のスターが立ったステージをジャズ奏者に開放。金曜は客が自由に生演奏を披露できるようにする。将来は月曜や木曜をカラオケなど文化活動の発表の場とすることも想定している。
     白ばらは築48年の鉄筋コンクリート3階。1階フロアは約700平方メートルに27のボックス席を配置する。
     佐藤さんは「大勢の方々の協力で、2年前にキャバレーとして閉店した日でもある30日に開店するめどが立った。白ばらを昭和遺産として残すため盛り上げていきたい」と意気込む。