たまりば

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ダークサイドツーリング~第五福竜丸展示館





GWの終盤、来年の東京オリンピックに向けて会場建設が進むベイエリアにバイクを向け、200円でバイクもOKな夢の島公園第一(南)駐車場に乗り入れてみました。

今でこそ熱帯植物園やマリーナなどが整備され緑溢れる公園となっている「夢の島」ですが、かつては「ゴミの島」として全国に知られる存在でした。生ゴミ埋め立て地から発生したハエの大群が都内を襲撃し、警察、自衛隊まで動員した夢の島焦土作戦が実行されたというSF映画のような状況が現実に発生していました。

そんな夢の島公園内にシェルターのように建つのが本年4月にリニューアルオープンした「第五福竜丸展示館」です。ここには65年前に南太平洋で被曝した焼津漁港所属の木造マグロ漁船「第五福竜丸」が保存展示されています。都立の施設なので入場料は無料です。開館は1976年でした。
展示施設がここに選ばれた理由のひとつは、廃船となった第五福竜丸がこの埋め立て地「夢の島」に棄てられていた事実があります。原水爆禁止運動のきっかけともなった、核兵器と被曝の恐ろしさを後世に伝える記憶装置としての貴重な木造船が無惨にも粗大ゴミとして廃棄されていたというわけです。

身近なところでは皆さんもよくご存知の1954年秋に公開された映画『ゴジラ』からも話を始めるべきかなとも思います。この映画は同年3月1日にビキニ環礁で実施されたアメリカの水爆実験と「死の灰」を浴びた≪第五福竜丸事件≫のモチーフが冒頭からして明らかに見て取れます。

1945年の広島、長崎への原爆投下から僅か9年後に起きた南太平洋での水爆実験と第五福竜丸の被曝と乗組員の死が日本中を震撼させたことは想像も容易です。まだあまりに生々しい原爆投下の記憶の中での広島型原爆約千発分の威力の水爆実験だったのです。
お断りしておきますが、被曝したのは第五福竜丸1隻ではなく、実際には800隻とも1000隻を超えるとも言われる数の漁船や貨物船が被曝しています。
当時、多くの日本漁船が同じ海で操業していたにもかかわらず、第五福竜丸以外の「被ばく」は、人々の記憶、そして歴史からもなぜか消し去られ闇に葬られています。

民俗学者、赤坂憲雄さんのエッセイに「ゴジラはなぜ皇居を踏めないのか」(1992年)というものがあります。
赤坂先生の主題とはズレますが、僕には南太平洋の海の底から放射能を吐き出しながら東京に向かってきた憤怒の災厄神ゴジラの存在が、水爆実験で被爆させられたマグロたちが黒潮の流れに乗って日本近海へと回流してくる姿に重なって仕方ありません。
赤坂さんは震災後の「海のかなたより訪れしもの、汝の名は」(『群像』2011年5月号)というエッセイで更に≪ゴジラからナウシカへ≫論として展開されていました。

一昔前なら、この展示館も東京への修学旅行コースのひとつに加わっていた頃もあったかに思えますが、最近はそんなケースも減ったようです。この国はヒロシマ、ナガサキ、ビキニ、フクシマと4度の被ばくを経験したというのに随分と忘れやすい国民性なのかも知れません。

見学を済ませて、新木場から首都高に上がり黒い雲を横目に横浜方面へと向かいました。大黒PAで遅い昼飯を吉野屋の牛丼で済ませて再びベイブリッジに戻った時でした。海の上だというのに、突然の稲光と雷鳴と横風、そして身体やヘルメットを叩く大粒の雨とヒョウの粒に遭遇したのが午後3時頃でした。スローダウンして新山下で降りて、目の前のショッピングセンターの駐車場にズブ濡れのまま逃げ込みました。合羽を出して、天候が落ち着くまで1時間程過ごして、GW中に浜松に単日帰省して際にお土産として買ってきた「うなぎパイ」の徳用袋3種と「あげ潮」クッキーをMCのクラブハウスに無事届けて、第三京浜で都内に舞い戻りました。この天候急変で、GWの最期は非難轟々アメアラレでした(笑)。
無事是名馬也。いつか路上で。


注)「ダーク(サイド)ツーリング」とは、《人類の悲劇を巡る旅》と一般に定義される「ダークツーリズム」から思いついた造語です。ダークツーリズムをバイクで実行したらダークサイドツーリングという意味です。










【参考/訪問先関連】
▼東京都立 第五福竜丸展示館(東京都江東区夢の島2丁目 夢の島公園内)
http://d5f.org/
  


  • Posted by 放課後倶楽部♪DX  at 01:10Comments(0)バイク