激突!
決戦、川中島の地!
GWに松代まで出かけた時に「そういえば松代城って徳川時代の呼び名で、戦国時代は武田信玄が上杉方への押さえとして築かせた最前線の海津城じゃんね」と思い出し、川中島古戦場史跡公園の看板を見つけて寄り道。
武田信玄VS上杉謙信で名高い川中島の戦いでも最大の激突となった第4次の合戦の場所が八幡原のここだったそうで、武田の本陣だったことを示すかのように今でも土塁の跡が残っていました。ドラマでよく登場する両雄の一騎打ちの場面を再現した銅像もありました。
僕は双方にとって移動中の予期せぬ遭遇戦となった第4次の川中島の戦いかと思っていたので、1561年当時の武田方の本陣土塁が残っていたのには驚きました。まぁ、信玄と謙信の一騎打ちの有無にも諸説はあるようですが、大混乱の激戦となったのは死者の数が両者で7000余と伝えられていることからも伝わります。それ以外の4回の戦いが小競り合いや睨み合いの後に撤退や和睦ばかりですから、双方デモンストレーションのつもりが望まぬ正面衝突にでも発展しちゃったのかもなぁ~と色々と夢想して遊ぶのも古戦場跡での楽しみのひとつかもです。
ちなみに松代訪問の目的は大本営跡の地下壕見学でした。
▼長野市「信州・風林火山」特設サイト/川中島の戦い
https://www.nagano-cvb.or.jp/furinkazan/
GWに松代まで出かけた時に「そういえば松代城って徳川時代の呼び名で、戦国時代は武田信玄が上杉方への押さえとして築かせた最前線の海津城じゃんね」と思い出し、川中島古戦場史跡公園の看板を見つけて寄り道。
武田信玄VS上杉謙信で名高い川中島の戦いでも最大の激突となった第4次の合戦の場所が八幡原のここだったそうで、武田の本陣だったことを示すかのように今でも土塁の跡が残っていました。ドラマでよく登場する両雄の一騎打ちの場面を再現した銅像もありました。
僕は双方にとって移動中の予期せぬ遭遇戦となった第4次の川中島の戦いかと思っていたので、1561年当時の武田方の本陣土塁が残っていたのには驚きました。まぁ、信玄と謙信の一騎打ちの有無にも諸説はあるようですが、大混乱の激戦となったのは死者の数が両者で7000余と伝えられていることからも伝わります。それ以外の4回の戦いが小競り合いや睨み合いの後に撤退や和睦ばかりですから、双方デモンストレーションのつもりが望まぬ正面衝突にでも発展しちゃったのかもなぁ~と色々と夢想して遊ぶのも古戦場跡での楽しみのひとつかもです。
ちなみに松代訪問の目的は大本営跡の地下壕見学でした。
▼長野市「信州・風林火山」特設サイト/川中島の戦い
https://www.nagano-cvb.or.jp/furinkazan/