たまりば

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晴走雨読~民俗学者の大真面目なナウシカ論


晴走雨読~民俗学者の大真面目なナウシカ論



僕はバイク乗りなので、お世辞にも賢くはないし、どちらかといえば大バカを地で行く類です。
赤坂憲雄さんという気鋭の民俗学者の存在を知ったのは20年以上前の「東北学」でした。
以来、このお方の本をかなり読み続けいます。過去にも赤坂先生には『ゴジラとナウシカ 海の彼方より訪れしものたち』という試論もありました。

今回も赤坂さんの思惑と解題の旅は深すぎて1回くらい読んでも凡人のオイラにはちんぷんかんぷんです。
でも同時にかなり興味深い。これはもはや修羅の書かな。

▼『ナウシカ考 風の谷の黙示録』赤坂憲雄著/岩波書店
https://www.iwanami.co.jp/book/b482341.html
多くの人に愛読されてきた宮崎駿の長編マンガ『風の谷のナウシカ』を,思想の書として徹底的読解

一九八二年から雑誌『アニメージュ』に連載され,映画版の制作を挟み九四年に完結した,宮崎駿の長編マンガ,『風の谷のナウシカ』.この作品の可能性の種子は,時代の喘ぎのなか,いま,芽生えと育ちの季節を迎えようとしているのかもしれない――.多くの人に愛読されてきたこのマンガを,二十余年の考察のもと,一篇の思想の書として徹底的に読み解く.

≪出典≫読売新聞2020年1月22日付
ナウシカ考 風の谷の黙示録…赤坂憲雄著 岩波書店
https://www.bookbang.jp/review/article/604297

[レビュアー] 栩木伸明(アイルランド文学者・早稲田大教授)
 アニメ映画『風の谷のナウシカ』(1984年劇場公開)は多くの人の無意識にすみついている。ぼくなどもナウシカと聞いただけで、シーンや音楽が回りはじめる。監督の宮崎駿は映画を公開する前からマンガ版を書きはじめ、94年に全7巻を完結させた。マンガ版を「バイブル」のように読み込んだ世代もあると聞く。
 民俗学と日本文化論で知られる赤坂憲雄は長年、宮崎駿のマンガや映画に親しみ、大学の授業でもとりあげてきた。本書は、マンガ版『風の谷のナウシカ』を思想書として読解するためのノートから生まれた研究書だ。ぼくは正月休みに7巻の原典を参照しながら精読し、考えながらマンガとつきあう醍醐(だいご)味を楽しんだ。
 ナウシカは変容するヒロインである。巨大産業文明が滅びた後の「永いたそがれの時代」に、族長の娘として生まれた彼女は、敵対しあう部族や国家の境界を越え、異質なもの同士をつなぐ媒介者へと成長する。母の愛を受けなかった彼女は自らが母を演じ、混沌(こんとん)を抱えながら鎮める力と荒ぶる力をふるう存在になるのだ。
 『ナウシカ』は難解なマンガである。だが、赤坂が差し出す手堅い解釈にしばしば助けられ、「そういうことだったのか!」と得心しつつ、全7巻を制覇した。やがて見えてくるのは、敵と味方を安易に分けようとする二元論に潜む罠(わな)をするどく察知し、あてがわれた未来を拒み、運命を自分で決めようとするナウシカの姿である。赤坂はこのマンガを、世界の終わりを描く黙示文学の系譜の中に位置づけた上で、その流れに抗(あらが)う「反アポカリプス」だと結論づける。
 本書を読み終えたとき、「古典」ということばが頭に浮かんだ。繰り返し読まれるテクストは、毎回違う姿を読者に見せることによって、読者を成長させる。他方、その同じテクストは、読者によって繰り返し論じられることで「古典」へと成長していく。どうやら、『ナウシカ』という名の「古典」が生まれかけているらしい。


▼出典: 週刊読書人 2019年12月6日付
赤坂憲雄×切通理作 対談
豊饒で深淵な思索の旅へ
『ナウシカ考 風の谷の黙示録』(岩波書店)刊行を機に
https://dokushojin.com/article.html?i=6307