たまりば

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2023「野戦攻城」強行偵察!?


小池Facebookの元記事(2023年
https://www.facebook.com/groups/tansyaclub/posts/3557992547767464/

2023「野戦攻城」強行偵察!?

在日米軍・横田基地から数キロの場所にあるお寺の敷地を一周してきました。
門をくぐった場所で野外テント芝居の『新漂流都市』のフライヤーを1枚いただき、裏側の第2駐車場から準備中の芝居小屋の外観を眺めて帰ってきました。

5月16日から始まる公演会場と駐車場の確認が目的でした。
演劇には門外漢なので水族館劇場の芝居は未体験です。昨年10月に座長の桃山さんがお亡くなりになったことでの追悼公演の位置づけになるのでしょう。横浜ケンタウロスも昨年10月に族長の飯田繁男氏を亡くして“送る会”の準備等でバタバタしていたのを思い出しました。
さて、桃山邑に捧ぐ『新漂流都市』と銘打たれた追悼公演ですが、作演出は翠羅臼さんと音楽は不破大輔(『渋さ知らズ』オーケストラ)さんの戦友ともいえるコンビです。

翠羅臼さんで僕が思い浮かべるものは「竜のかたちの天使が降りてくる/地図のない街に/流浪の民の幌馬車に/果てのない旅路」で始まる美しい詩です。
フリージャズの水滸伝「渋さ知らズ」オーケストラの代表曲『本多工務店のテーマ』のイントロで南波トモコさんの鬼気迫るパフォーマンスでポエトリーリーディングされることがあります。

その光景を目撃したのは、あの大震災と原発事故のあった2011年8月15日の福島市内の野球場でした。大声で歌いながら何故か泣けてどうしようもなかったことを今でも思い出します。大友良英さんが中心になった仕掛けたあのフェスには今は亡き坂本龍一さんや遠藤ミチロウさん、遠藤賢司さんもまだ元気で参加されていたんですよね。

中世河原者の系譜として自らを位置づけ、野外テント芝居を「野戦攻城」と呼ぶ「水族館劇場」公演に今回こそは目撃体験できるといいんだけどなぁ~。
演劇には疎いのでアングラ演劇の歴史もよくわかっていませんが、「曲馬舘」という集団の名前くらいは耳にしたことがあります。今作の作家の翠羅臼さんも、亡くなられた桃山邑さんも「曲馬舘」の流れを汲む方たちだと思われます。
それが演劇界の極北の世界かどうかはわかりませんが、とにかく彼らの壮大さを観てみたい衝動には駆られてはいます。曲馬舘といえば芝居に実際の馬を使用したこともあったそうです。無事是名馬也。いつか路上で。

お昼は途中で見かけたレトロな外観の喫茶店で。

▼水族館劇場
https://www.suizokukangekijou.com/
https://www.facebook.com/suizokukangekijou/

▼「水族館劇場」次回公演~桃山邑に捧ぐ『新漂流都市』GET DOWN IN THE DARKNESS
作・演出 翠羅臼 音楽 不破大輔
https://www.suizokukangekijou.com/next/

会場: 臨済宗建長寺派 宗禅寺 第二駐車場 特設野外儛臺


見遥かす地平の夢幻を追い求め
炎舞う修羅の門をかいくぐり
燃え尽きた地図をかざして
廃墟の路地を流離う堕天使たちよ
冬空に煌めく天狼の星を仰ぎ
焼け焦げた翼のバラードを歌え
失われた魂のレクイエムを歌え
降りそそぐ光の雨の雫をいとおしみ
濡れそぼる襤褸の旗を身にまとい
黄昏の灯かかげ
瓦礫の路地を彷徨う堕天使たちよ
天と地とを覆う凍る夜のとばりを破り
壊れゆく星のエレジーを歌え
まつろわぬ風狂のブルースを歌え

▼臨済宗建長寺派「宗禅寺」
(東京都羽村市川崎2丁目4-33)
https://www.hamura-souzenji.com/

▼不破大輔
https://www.facebook.com/daisuke.fuwa.18

▼映画『NEVER MIND DA 渋さ知らズ 番外地篇』
https://shibusa-bangaichi.brighthorse-film.com/#modal

▼渋さ知らズ - 本多工務店のテーマ @ 世界同時多発フェスティバルFUKUSHIMA!
https://www.youtube.com/watch?v=AYt9Q-ZR9pM

▼喫茶『樹樹』
東京都羽村市神明台3-7-2

#水族館劇場 #桃山邑 #不破大輔 #渋さ知らズオーケストラ
#翠羅臼  #渋さ知らズ #宗禅寺




















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※私の最近のバイクメディア関連露出例




【2023年度】
★『ミスターバイクBG』2月号(P146~147)《不定期連載・小池が往く》(その2)掲載
★『ミスターバイクBG』3月号(P150~151)《不定期連載・小池が往く》(その3)掲載
★『ミスターバイクBG』4月号(P142~143)《不定期連載・小池が往く》(その4)掲載
★『単車倶楽部』5月号(P85/中段)掲載 あなたの聖地巡礼ツーリングVOICE

【2022年度】
◎コロナツーリングバッグ公式ウェブサイト 「コロナ通信」3月30日付
https://coronasangyo.ocnk.net/news-detail/221
★『オートバイ』2022年8月号(P159)旅レポート掲載
★『オートバイ』2022年9月号(P151)旅レポート掲載
★『RIDE』2022年9月号「百騎百景」(P78)掲載
★『RIDE』2022年10月号「from Readers」(P81)掲載
★『ミスターバイクBG』10月号(P152)BG解放区掲載
★『単車倶楽部』2022年11月号・創刊5周年記念号(P26~27)「愛車物語~君が愛車である理由」登場
★『モーターサイクリスト』11月号(P128)上段写真掲載
★『RIDE』2022年11月号「from Readers」(P80)上段掲載
★『ミスターバイクBG』11月号(P177)≪不定期連載 小池が往く≫開始
★『オートバイ』2022年12月号(P144)旅レポート掲載
★『RIDE』2022年12月号「from Readers」(P80下段~81上段)掲載


◎WEB 『Mr.Bike』ニュース(2022年11月28日付) レポート:小池延幸
ヨコハマで100台のバイクが哀悼の咆哮をした日。変わらないのがケンタウロス流
https://mr-bike.jp/mb/archives/34432
◎ミスター・バイクby東京エディターズ 11月28日付
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=pfbid02sPrKJbZKb88LMcfpRpRoCLcipa5uVXHrg2cwAuHg3uzKzZCG8jjMtF7HENUXXz4el&id=100031771256575


【2021年度】
★『単車倶楽部』2021年4月号(P94上段)投稿掲載 
◎『ストリートバイカーズ』オフィシャルサイト 2021年5月12日付
https://sutobai.com/blog/15495/
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1546406972222411&id=175003892696066

【2020年度】
★『Motorcyclist』2020年1月号(P158上段)投稿掲載 
※2020年の年賀状が『RIDERS CLUB』3月号(P123)、『BikeJIN』(培倶人)3月号(P136)、『オートバイ』3月号(P137)、『RIDE』3月号(P79)、
『タンデムスタイル』3月号(P89)、『ヤングマシン』3月号(P111)、『カワサキバイクマガジン』3月号(P142)、『ミスターバイクBG』3月号(P213)計8誌掲載
◎『ストリートバイカーズ』オフィシャルサイト 2020年4月29日付
long-tour-タンクバッグ3xl-with-カワサキ-ゼファー-χ http://sutobai.com/blog/13877/
◎『シック・デザイン』オフィシャルサイト 2020年7月28日付
マスカレードページにゼファーχアップ
http://www.chicdesign.co.jp/topics/masquerade/mq06_cyoko/mq06_cyoko.html
★『単車倶楽部』2020年10月号(P21上段)投稿掲載
★『単車倶楽部』2020年11月号(P95下段)投稿掲載
★『単車倶楽部』2020年12月号(P54下段)投稿掲載

【2019年度】
★『単車倶楽部』2019年1月号 みんなのライダースVOICE 投稿掲載 P29上段
★『単車倶楽部』2019年1月号 みんなのライダースVOICE特別版 投稿掲載 P39中段
※2019年の年賀状が『タンデムスタイル』3月号(P71)、『単車倶楽部』3月号(P87)、『BikeJIN』(培倶人)3月号(P123)、『カワサキバイクマガジン』3月号(P140)、『オートバイ』3月号(P145)、『RIDE』3月号(P79)、『ミスターバイクBG』3月号(P152)計7誌掲載
★『単車倶楽部』2019年4月号 特集/ツーリングの楽しいコト100 
P19下段 投稿掲載
★『ミスターバイクBG』2019年4月号 P182~183投稿掲載
★『タンデムスタイル』2019年5月号(P61上段)投稿掲載
★『ライダースクラブ』2019年5月号(P179)投稿掲載
★『BikeJIN』2019年5月号(P164下段)投稿掲載
★『単車倶楽部』2019年6月号(P62下段)投稿掲載
★『タンデムスタイル』2019年6月号(P71中段)投稿掲載
★『ライダースクラブ』2019年6月号(P139)投稿掲載
★『ミスターバイクBG』2019年6月号(P183上段)投稿掲載
★『単車倶楽部』2019年7月号(P56上段/P66下段)投稿掲載
★オートバイ別冊付録『RIDE』2019年7月号(P77上段)投稿掲載
★『カワサキバイクマガジン』2019年7月号(P99下段)投稿掲載 
★『ミスターバイクBG』2019年7月号(P182下段)「小池劇場」として掲載
★『単車倶楽部』2019年8月号(P14下段)投稿掲載&同号P24、P26にも誌面登場
★『オートバイ』2019年8月号(P161左下)「ツーのさかな」投稿掲載
★『ガールズバイカー』2019年8月号(P101下段)投稿掲載
★『ミスターバイクBG』2019年8月号(P182上段)「小池劇場」掲載
★『モーターサイクリストCLASSIC』2019年8月号(P118~119下段)投稿掲載
★『モトツーリング』2019年9月号(P118)下段投稿掲載
★『ミスターバイクBG』2019年9月号(P183)「小池劇場」掲載
★『ガールズバイカー』2019年10月号(P95左上)投稿掲載
★オートバイ別冊付録『RIDE』2019年10月号(P78中段)投稿掲載
★『ミスターバイクBG』2019年10月号(P183上段)「小池劇場」掲載
★『タンデムスタイル』2019年11月号(P62上段)投稿掲載
★『単車倶楽部』2019年11月号(P62中段)投稿掲載
★『オートバイ』2019年11月号(P179右)「たびのきろく旅ログ」投稿掲載
★オートバイ別冊付録『RIDE』2019年11月号(P78~79)投稿掲載
★『ミスターバイクBG』2019年11月号(P182上段)「小池劇場」掲載
★『単車倶楽部』2019年12月号(P58上段右)投稿掲載
★『オートバイ』2019年12月号(P163右)「たびのきろく旅ログ」投稿掲載
★オートバイ別冊付録『RIDE』2019年12月号(P80~81)投稿掲載

【2018年度】
※2018年の年賀状が『オートバイ』『カワサキバイクマガジン』『ロードライダー』『Bike JIN』(培倶人) 『ヤングマシン』『ミスターバイクBG』『バイカーズステーション』『OutRider』8誌の3~4月号の読者ページに掲載
★『単車倶楽部』Vol.4(2018年5月号 月刊化第1号  P94~P97寄稿掲載
★『道楽』No.23(2018年4月16日発売最終号)特集『道楽キャンプ 愛すべき残党達よ!』P23下段にトピック登場
★『単車倶楽部』2018年6月号 キャンプツーリング特集P25寄稿掲載
★『単車倶楽部』2018年7月号 読者投稿みんなの伊豆VOICE P25
★『MCクラシック』誌 Vol.05(2018年6月号)P139~140 読者の声TALKS投稿掲載
★『ガールズバイカー』2018年8月号 P26 最下段にVTR女房チョコさん登場
★隔月誌『昭和40年男』S40ニュース採用 2018年7月14日付
タメ年が作った「コンテナハウス」に憧れる!
https://www.s40otoko.com/archives/49403
★『単車倶楽部』2018年9月号 みんなのライダースVOICE 投稿掲載P33下段
★『単車倶楽部』2018年10月号 みんなのライダースVOICE 投稿掲載P63上段
★『エンシュージアスト』創刊第2号 2018年8月25日発行 寄稿掲載 P54下段

【2017年度】
★『道楽』No.16(2017年2月16日発売号)P100 「みちコラム」寄稿
★『カワサキバイクマガジン』vol.127(2017年9月号) P113投稿再掲
★『R★B』(レッドバロンマガジン)vol.24(2017年秋号)P22
「走れ!プロフェッショナル」特写記事掲載






  • 年の瀬の芝居見物♪


    年の瀬の芝居見物♪







    今年旗揚げした『劇団わからんちゃん』の第2回公演『幻覚カプセル~絶望居士のためのコント』を先日観劇してきました。
    全13話のオムニバス形式のシニカルな笑いを楽しんできました。
    大声あげて笑いたいシーンも連発していましたが、割と周囲のお客さんは固唾を飲んで真剣に見入っている気もして遠慮しちゃったくらいです(笑)。

    “劇伴”をされていたミュージシャンの辰巳さんとお話できて嬉しかったな。

    『劇団わからんちゃん』の次回公演も期待していまぁ~す。

    メフィスト役(?)をされていた田中田田田さんの気持ち悪いまでにクネクネした演技に我が家は圧倒されてました

    ▼劇団わからんちゃん
    https://wakaranchan.com/index.html
    ▼劇団主宰の堀井政宏さんのFacebook
    https://www.facebook.com/profile.php?id=100003588880424&epa=SEARCH_BOX





  • とある劇団の旗揚げ公演に行ってきた。


    とある劇団の旗揚げ公演に行ってきた。





    劇団『わからんちゃん』の記念すべき第1回公演「天才バカボンのパパなのだ」を東京・新小岩の劇場ZAZAで観劇してきました。
    別役実作の不条理劇ですが、そんな不条理劇よりもとんでもない不条理が起こる昨今の世の中に訴えたい何かがあるのかもしれません。
    でも、理屈はともかく笑えました。最高!
    この小屋は2014年の音楽劇『まつろわぬ民』(白崎映美主演/風煉ダンス)初演時に稽古場として使用していたので訪問させてもらったことがあります。
    昨日は自由席だったので、座って右を見ると過去に何回も拝見したことのあるダンサーさんがいたり、左を見ると過日ライブを拝見したばかりの歌姫が偶然いたりとビックリすることばかりでした。かなり濃い客席のようでもありました。

    次回公演は新宿区内の劇場で12月末らしいですが、また彼らのお芝居を観に出かけたいなと思います。



    https://www.facebook.com/furendance/posts/2659987454045940?_

    風煉ダンスでもその面白さでは一二を争うお馴染みの役者たち、堀井政宏、吉田佳世を中心に新たな劇団を満を持して旗揚げします!
    劇団わからんちゃん第一回公演
    別役実戯曲「天才バカボンのパパなのだ」
    9/13〜16 新小岩ZAZA
    この公演、そーとー面白い芝居になること請け合います。芝居ってやっぱり面白いなあ〜と感じさせてくれる、いい感じに脂のって熟成された美味しい役者たち(かなりクセ強い方もいますけど!笑)
    伝説の老舗アングラ劇団「発見の会」から風煉ダンス公演「泥リア」出演の飯田孝男、「アンデルセンの卵」出演の輿石悦子の最強俳優も参戦!
    これ見逃したら暫く本当に後悔します。必見です!
    ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
    劇団わからんちゃん 第1回公演
    「天才バカボンのパパなのだ」
    作・別役実
    9/13(金)〜9/16(月)
    新小岩ZAZA(江戸川区中央1-1-5)
    出演
    吉成淳一
    堀井政宏
    吉田佳世
    田中田田田
    山内一生
    塚田次実
    マエダサヤカ
    輿石悦子
    飯田孝男
    9/13(金) 19時
    9/14(土) 14時 / 18時
    9/15(日) 14時
    9/16(月) 14時
    一般前売り・当日 / 2500円
          学生 / 1500円
    ◆カルテットオンライン予約フォーム
    https://www.quartet-online.net/ticket/wakaranchan-bakabon

    ▼堀井政宏
    https://www.facebook.com/profile.php?id=100003588880424





  • 『まつろわぬ民』ロス現象の僕らに届いた新年会企画♪


    『まつろわぬ民』ロス現象の僕らに届いた新年会企画♪

    圧巻の人力スペクタクル音楽劇『まつろわぬ民2018』は、まだ終わっていなかった!
    そりゃ、当然です。
    この演劇が投げかけたテーマは深いし、永い闘いは負けても負けても諦めずに未来の獲得目標として続くのです。
    小説家・木村友祐さんの『イサの氾濫』をマグマにした《イサの氾濫》という現象はまだまだ続くどころか、渦をますます大きく巻きながら、往くのです。
    えっ!?まだ読んでないって?(笑)
    こんな時代だからこそ「文学」が必要なんだよね。文科省は「国語」の教科書から「文学」を抹殺したいみたいだけどね(笑)。怖ろしい時代です。



    ★トーク&ライブ『まつろわぬ民の初夢』
    2019年1月5日(土)
    開演:18:00〜 (開場:17:30)
    @代官山 晴れたら空に豆まいて(ライブハウス)

    ◆◇◆◇◆◇◆◇
    三鷹、酒田、八戸 三都市東北ツアー『まつろわぬ民2018』
    白崎映美、木村友祐/勝一の原点である酒田、八戸での公演を終えて、当事者たちは何を思う?あらためて、“まつろわぬ民”(服従しない人)とは何か?
    東日本大震災/原発事故の年末に発表された木村友祐の小説『イサの氾濫』に端を発し古くから蛦夷と呼ばれた“まつろわぬ民”寡黙な東北の民よ、今こそ叫べ!というメッセージに「全身の血が逆流した」という白崎映美が「私もその末裔だ!」と白崎映美&東北6県ろ~るショー!!を結成。その熱い歌に触発された風煉ダンスは2014年、白崎主演の音楽劇『まつろわぬ民』を創作上演。2017年、東京、いわき、山形で再演し約3千人を動員、大反響を呼びおこし2018年ツアーに至った。
    コトバから歌へ、歌から劇へとうねりを上げる“まつろわぬ民”の〈氾濫〉の行方は?
    2018年の創作・ツアー・交流をへての体験談や自身の表現者としての原点。また新春らしく、まつろわぬ民の“初夢”も大いに語り合う。
    後半は多くの観客の心を揺さぶってきた『まつろわぬ民』の劇中歌、演奏の数々をライブでたっぷりと。風煉ダンスの役者有志も加勢してあの感動が再び蘇ります。終演後は、新年会で一緒に盛り上がりましょう!

    【チケット】前売3,000円 / 当日3,500円(共に1ドリンク代600円別途)
    【ご入場順】整理番号順入場
    【ご予約】・晴れたら空に豆まいて
     tel 03-5456-8880
     e-mail info@mameromantic.com
     HP http://haremame.com/howto/

    ・風煉ダンス
     tel 080-3939-2020
     e-mail furendance@gmail.com
    制作:マルメロ(斎藤朋)、風煉ダンス

    ◆トーク
    白崎映美(歌手)
    伊藤ヨタロウ(音楽家、俳優)
    林周一(風煉ダンス代表、劇作家・演出家・俳優)
    笠原真志(風煉ダンス座長、演出家・俳優)
    木村友祐(作家)
     and ㊙︎ゲスト

    ◆ライブ
    白崎映美(Vo.)
    伊藤ヨタロウ(Vo.)
    辰巳小五郎(tp)
    関根真理(perc)
    ファン・テイル(g)
    木村友祐(朗読)
    風煉ダンス「まつろわぬ民2018」有志

    ◆◇◆◇◆◇◆◇
    2019年の初め!沢山の皆様と2019年の初夢を語り合えたら幸いです!
    皆様のご来場をお待ち申し上げております!!

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    ▼音楽劇『まつろわぬ民2018』三都市(東京・酒田・八戸)
    連続公演(演劇集団 風煉ダンス)特設サイト
    https://alafura6.wixsite.com/furendance
    ▼演劇集団 風煉ダンス
    http://furen-dance.info/about.html

    ▼作家・木村友祐さんのfacebookでの劇評 2018年12月9日付
    https://www.facebook.com/yusuke.kimura.794/posts/1790178621110668


    ▼デーリー東北 2018年12月7日(金) 新聞コラム『天鐘』
    http://www.daily-tohoku.co.jp/tensho/tensho.html
    『天鐘』(10月7日)
     歴史の中には、教科書に記述されない出来事と人物が多い。勝者と時の権力者が存在を消し去ろうとしたからでもある。忘却の彼方に追いやられた者は、どれだけいたのだろう▼古代、中央政権から見た東方には「まつろわぬ人ども」と呼ばれる民がいたという。野蛮で文化も遅れている―。中央によって歪(ゆが)められたイメージを作られた「蝦夷(えみし)」のことだとされ、平定の対象だった▼解釈には諸説あるが、東北地方の古代史研究者である高橋富雄氏は述べている。「エミシというのは、政治的に中央の命を奉じないし、その教化にも従うことのない勇猛な反抗者たちを指していた」(『蝦夷』吉川弘文館)▼東日本大震災の直後、八戸市出身の作家木村友祐さんが書き上げた『イサの氾濫』は、現代の東北人を蝦夷に重ねた小説だ。国策である原発の事故で痛めつけられても、被災者は耐え続けて声を発せずにいる。木村さんは畳み掛けた。悔しさを、かつての蝦夷のように「叫べ!」と▼『イサ―』は、同じ東北人である歌手の白崎映美さんを触発する。深い共感から湧くように曲が生まれ、白崎さん主演の音楽劇「まつろわぬ民」が誕生した▼全ての原点は木村さんの東北への想(おも)い。きょうから、八戸市公民館で演劇集団「風煉(ふうれん)ダンス」の公演が行われる。作家の生まれた地で〝女蝦夷〟白崎さんが歌い叫ぶ。寡黙な人々が忘れ去られないように。

    ▼特別企画 テント芝居・野外劇の現在形
    【劇評】『まつろわぬ民』風煉ダンス2017
    東北百鬼夜行絵巻を 大江戸先住民が観る ~
    平井玄 (批評家)
    http://www.geocities.jp/azabubu/artissue/a11/011sp_hirai.html

    ▼図書新聞  2017年08月05日付
    評者◆伊達政保
    一人一人の胸の奥にある小さな火を燃やせ、援軍はあなたたち――演劇集団風煉ダンスの『まつろわぬ民2017』
    http://toshoshimbun.jp/books_newspaper/week_description.php?shinbunno=3314&syosekino=10643&fbclid=IwAR37I-iwIi82NSMqV9Xg_r8XEplzAsqY4C6Rbh5la_fsFcPEq7HZN-_2vms

    ▼《出典》福島民友新聞社 文化欄 2017年6月5日掲載
    千年の記憶がよみがえるとき  『まつろわぬ民 2017』に寄せて
    文:赤坂憲雄(福島県立博物館館長/民俗学者)
    1953年、東京生まれ。学習院大学教授。福島県立博物館館長。専門は東北文化論と日本思想史。「東北学」を掲げて地域学の可能性を問いかけてきた。主な著書に「異人論序説」(ちくま学芸文庫)ほか多数。
     東北の記憶の種子が散りばめられた舞台に、こころが騒いだ。どこか東北の、東日本大震災の影に覆われた町で、一軒のゴミ屋敷がいましも行政代執行によって解体されようとしている。鬼一族の巫女である老婆と、冷蔵庫やこたつやピアノに身をやつした鬼一族のものたちが抵抗の戦いを演じたすえに、敗北してゆく。「俺たちはゴミじゃねえ」という声が、通奏低音のようにこだましている。
     鬼の一族とは、むろん古代エミシ(蝦夷)の末裔たちのことだ。野山に獣を追い、肉を喰らい、血をすすった者たち。エミシは西のヤマトの軍勢によって征服され、まつろわぬ鬼の一族へと変貌させられた。負けっぱなしを耐えてきた、千年の植民地だ。立て籠もる砦はいつしかゴミ屋敷と化した。千年の記憶。だから、忘却と掘り起こしこそが主題となる。
     鬼の一族の裏切り者はなぜ、イタクと呼ばれるのか。イタクとは言葉の意だ。言葉は人を裏切る、たやすくは信じるな、ということか。しかし、これはまさしく、その全編が、亡き者たちの忘れられた声に耳を澄まし、棄てられた言葉を拾い集める物語ではなかったか。負けたもの、流されたもの、忘れられたもの、そのかすかな記憶が浮遊している。
     それにしても、初演(2014年)からは、何かが大きく変貌を遂げていたようだ。つかの間露出していたものが、後景に退いている。黒いゴミ袋の山は、より真っすぐに福島の隠喩とならざるをえない。何より、もはや英雄が存在しない。この世界を建て直すために現われる救済者はいない。サンベというエミシの英雄、真っ赤な心臓は不在だ。俺はサンベだ、という叫びは遠ざかった。アラハバキ(古代の東北で信仰された神格)の爪は、もはや一族の精神的な支えとはならない。呪力は失われた。
     その代わりに、この砦で奇妙な邂逅を果たした人々は、敵も味方もみな、フィナーレには思いがけぬ場所へと連れ出されている。鬼の一族の巫女は、おめえらはサンベじゃねえ、でも、きっとサンベだ、見えるんだ、おめえらに、灰に埋まってるけど、小さな種火みてえな火がよ、という。エミシはもはや血ではなく、記憶である、ということか。劇中歌として一部が引かれていた、宮沢賢治の「原体剣舞連(はらたいけんばいれん)」が、「打つも果てるもひとつのいのち」と結ばれていたことを思いださずにはいられない。
     エミシと呼ばれた人々は、「国家に抗する社会」(ピエール・クラストル)としての部族社会をいとなんでいた。まつろわぬ民こそがいま、賢治とともに、国家のかなたへと、多様ないのちが交歓する「銀河と森とのまつり」を構想しなければならない。この魅惑にみちた舞台には、そんな励ましの声が響いていた気がする。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    ▼2019年1月5日(土) PM5:30開場 PM6開演
    トーク&ライブ「まつろわぬ民の初夢」@代官山晴れたら空に豆まいて 
    http://haremame.com/schedule/65373/?fbclid=IwAR2pqwMCBTWF3WhNkSkXSgqaqfUQPaZuZaFq4q0X_so7PnfWdaVim64Spug


    ▼内外海 海のステージ
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    ▼白崎映美&東北6県ろ~るショー!!
    https://www.facebook.com/tohogu6/
    ▼白崎映美さんの新旧インフォメーションサイト
    https://emishirasakinew.amebaownd.com/(えんの
    http://emishirasaki.com/

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    ▼フォトエッセイ『鬼うたひ』白崎映美著 亜紀書房
    http://www.akishobo.com/book/detail.html?id=756

    ▼小説『イサの氾濫』木村友祐著/未來社
    http://www.miraisha.co.jp/np/isbn/9784624601195

    ≪出典≫朝日新聞 2016年4月3日(日)付 斎藤美奈子(文芸評論家)
    イサの氾濫 [著]木村友祐
    ■東北人の重い口から叫びが届く
     この小説(の原型)が文芸誌に載った2011年11月から、本になるのを私は待っていたのだよ。そうだよ。もう4年以上も。
     そりゃあ、震災や原発事故を取材した作品はその後たくさん書かれたし、木村友祐も『聖地Cs』という佳編を出してはいる。でも震災直後の割り切れない感情を『イサの氾濫(はんらん)』ほど刺激する作品はなかった。
     物語は震災後、40歳にして会社を辞めた将司が故郷の八戸(青森県)に帰るところからはじまる。
     帰省の目的はイサこと叔父の勇雄について調べることだった。イサは傷害罪の前科をもつ途方もない乱暴者で、一族は迷惑をかけられっぱなしだった。
     だが、イサをよく知る老人はいうのである。「今の東北には、あいつみてぇなやづが必要だ」と。「こったらに震災ど原発(げんばづ)で痛(いだ)めつけられでよ。(略)そったら被害こうむって、まっと(もっと)苦しさを訴えだり、なぁしておらんどがこったら思いすんだって暴れでもいいのさ(に)、東北人づのぁ(というのは)、すぐにそれがでぎねぇのよ」
     「東北人は、無言の民せ」と彼はいう。蝦夷征伐で負げで、ヤマトの植民地さなって、米、ムリクリつぐるごどになって、はじめで東北全域が手ぇ結んで戦った戊辰戦争でも負げで、つまり西さ負げつづげで。「ハァ、その重い口(くぢ)ば開いでもいいんでねぇが。叫(さが)んでもいいんでねぇが」
     あれから5年たって、状況は変わっただろうか。震災だけではない。東京の生活に挫折し、故郷にも居場所がない将司は格差社会の犠牲者とも重なる。蝦夷(えみし)の血を受け継いだかのようなイサ。ふと将司は考える。おらが、イサだっ!
     小説は東北じゅうの「イサ」たちが結集して永田町になだれ込み、国会議事堂に矢を放つイメージで閉じられる。私たちに必要なのもイサの精神ではないか。何が東京オリンピックだ。何が「がんばれニッポン」だ。冗談こぐでねぇ。んだべ、イサのじちゃん。
        ◇
     きむら・ゆうすけ 70年生まれ。作家。『海猫ツリーハウス』ですばる文学賞。「イサの氾濫」で三島賞候補。

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    ≪出典≫時事通信 2016年4月12日or15日付 [レビュアー]岡和田晃
    木村友祐「イサの氾濫」書評「忘却拒否する魂の叫び」
    「がんばれニッポンっ!」という空白を埋める
    https://www.bookbang.jp/review/article/515309
    「がんばれニッポンっ!」
     ……もう四年半も前のことになるのか。「すばる」二〇一一年十二月号に「イサの氾濫」が一括掲載されたとき、その末尾は、この「がんばれニッポンっ!」という空疎な掛け声で、いささか唐突に締められていた。
     流れはこうである。東京から故郷・八戸へ“都落ち”した将司。地元で過ごした歳月よりも東京で暮らした年月のほうが長くなる将司は、震災の片付けのために帰省することもせず、久方ぶりに顔を合わせた父親からは、なんと「東京もん」呼ばわりされてしまう。
     そんな彼がそもそも地元に惹き寄せられたのは、初恋の相手である小夜子にクラス会への参加を促すメールをもらい、「昔抱いた憧れの面影」を感じたから。将司は四十歳にもなりながら、「東京にいても履歴書を送っては不採用の通知を待つ以外、ほかにやることがなかった」と述懐するほど、ささやかな承認にも飢えている男。なにせ小夜子が「すでに中学生の子どもがひとりいる人妻」だと知りつつ淡い期待を抱くのだから、だいぶヤキが回っている。
     案の定、小夜子が将司に近づいたのは、怪しげな「銀河の破魔水」を売りつけるためだった。「科学者もまだ発見してない、宇宙の命の源(みなもど)がら届いだ粒子だげが、ギュッと閉じこめであるの。密教秘伝の技で」。哀しいほどにコテコテのマルチ商法。だが、このような救いがない台詞をも濁音を洗わず南部弁のままで書いてしまうところに、木村友祐の真骨頂がある。あからさまな「人の悩みにつけこんだ商売」にすら、頼らざるをえない「貧しき人々」(ドストエフスキー)。知覚をフルに駆動させ、その実態を細やかに描くことで、人間を縛り付ける同調圧力がいったいどこから来るのか、――“フリーター文学”や“青春小説”という枠組みを超えて――加害の起源を見定める歴史的な視座を得ようという感応力の凄みがあるのだ。
     間違いなく、木村友祐は閉塞する現実に小説で風穴を開けようとしている。「イサの氾濫」のクライマックスが、何よりの証左だろう。私をはじめ、多くの読者が衝撃を受けた場面だ。小夜子が「人の悩みにつけこんだ商売」に身を任せるのを否定した将司は、他者からの承認に頼らず、「自分の前にいつしか口をあけていた巨大な穴」を凝視するのを余儀なくされる。この真空から、「イサ」という叔父の姿に仮託された「蝦夷(えみし)」のヴィジョンが立ち上がる……というのが、「すばる」掲載時の展開だ。
     古代と現代をつなぐ蝦夷たちの姿はてんでバラバラ。鳥の羽根やアイヌの小刀(マキリ)を身につけた者もいれば、果ては量販店のヒートテックやらホームレスめいたブルーシートやら、好き勝手な出で立ちで、国会議事堂やら首相官邸やら中央省庁やらを襲撃するのだ。すわ、魔術的リアリズムかという過激で痛快なヴィジョンだが、やがて幻想は収束する。現実に引き戻された負け犬・将司の耳には、クラス会を締める「がんばれニッポンっ!」という文句が轟く。ここには何か巨(おお)きな虚無を抱えたような、アイロニカルな響きがあった。
     ところが、震災から五年の節目に単行本化された『イサの氾濫』(奥付は二〇一六年三月十一日)において、この結末は大きく書き換えられていた。初稿にも増して連呼される、「がんばれニッポン!」、「がんばろう東北!」という空虚なお題目。けれども、かつてのように、将司は沈黙したままで終わらない。重圧を吹き飛ばしてイサと一体化し、「おらがイサだど思うやづは、悔しいやづは、みなかだれ((加われ))っ!」と号令をかけるのだ。
     ――なんでおらは、こやって東北(とうほぐ)の肩(かだ)、もってんだべ。よそ者だのさ((なのに))。
     そう自嘲する傍らでは、原発を推進していた大手電力会社のビルが倒壊していく。攻撃は終わらない。改稿版では、幻視した光景がシニカルな現実に吸収合併されてしまわないのだ。現実を塗り替える強度が最後まで維持され、だからこそ「叫(さが)べ。叫べ」というメッセージに芯が生まれる。
     四月十六日に開催された刊行記念イベント(木村友祐×温又柔「ニホンゴを揺さぶれ!~わたしたちの大切な〈訛り〉について~」、於:下北沢本屋B&B)で、どうして結末部を変更したのか、率直な疑問をぶつけてみた。
    「(初稿は)宙ぶらりんな空白を作って終わるということで、気持ちを載せて読んできた人にとっては、足払いをかけられたような感じかなと思います。当時、つまり震災の年に『イサの氾濫』を書いたときには、小説が状況に対する反射的なものになっていないかという恐怖とも背中合わせだったので、空白を作る、突き放すということが、文学として成立させるぎりぎりのやり方だったのだろうと思います」
     静かに、はっきりと木村は答えた。書いたあとにずっと、心残りがあったのだと木村は言う。実際、「がんばれニッポンっ!」の裏にあった空白、震災当時は小さな違和感だったものは、今やナショナリズムや排外主義で埋め尽くされてしまうほどに、状況は悪化の一途をたどっている。被災地の内と外の関係性はどうしようもなく固定化してしまった。だったら蝦夷も、叫ぶしかない。叫んでいい。声なき従属民(サバルタン)のままではいられない。
     カタストロフを経て固定化された、時間と空間の差異。併載された「埋(うず)み火」を読めば、それをいっそう明確に認識できるだろう。ほぼ全編が南部弁で記された特異な「埋み火」は、故郷・八戸の中でも北にある、浜辺の集落の雰囲気が濃厚に反映された作品だという。
     昔(むがし)の友だぢぁ、今の友だぢ、づぅわげじゃない……。
     挿入されたこの一言は、魯迅の「故郷」(一九二一)を彷彿させるが、東京で成功した政光とホームレスめいたタキオという、作中での階級的断絶を意味するだけではない。語りと記憶の断絶を通して、普段は覆い隠されている「中央」と「辺境」の支配関係を炙り出すのだ。注意すべきは、「イサの氾濫」が“いま、ここ”に直接接続されるものだとすれば、「埋み火」は神話的な祖型が(文字通りに)埋め込まれている、という意味で対照をなしていること。
     河島英昭は『叙事詩の精神 パヴェーゼとダンテ』(一九九〇)で、反ファシズムの活動で逮捕され流刑地で書いたパヴェーゼの詩編『働き疲れて』(一九三六)が、改稿で私小説ならぬ《私詩》から祖型を深めた《神話詩》となり、その延長で後に書かれた小説は詩や短編では充分に盛り込めない主題と構造を獲得していったと指摘している。このような動きと《神話詩》の緊張感は、「埋み火」も分有するものだろう。とすれば『故郷』(一九四一)や『月とかがり火』(一九五〇)のような風土性(クリマ)を基軸として全体主義に対峙する「ネオレアリズモ」の文学として、木村友祐の小説を読んでいくことも可能かもしれない。






  • 年間340本を観劇した演劇ジャーナリストが今年イチ押しに選んだ作品!


    年間340本を観劇した演劇ジャーナリストが今年イチ押しに選んだ作品!

    それが、私も東京・酒田と2公演を観た演劇集団・風煉ダンス『まつろわぬ民2018』でした。
    そりゃそうだよね。
    余力が許せばオイラも大千秋楽の八戸公演まで追いかけたかったし、2014年の初演以来、なんとか観劇していたし、今年度版はその集大成としての位置づけだったと思うしね。

    ▼インターネットラジオ「ブルーレディオ・ドットコム東京」
    http://www.blue-radio.com/index.html
    演劇ジャーナリスト 山田勝仁さん〜後編〜 (更新日:2018/12/27)
    今夜のお客様は、先週に引き続き演劇ジャーナリストの山田勝仁さんをお迎えします。 今回は、『2018年演劇 総決算」と題して山田さんが今年1年間で観劇された劇場公演の中から一押しの作品についてお話をお聞きします。

    【本日更新】源川瑠々子の『星空の歌』演劇ジャーナリスト・山田勝仁さんの後編。「2018年演劇 総決算」と題して、年間観劇数340本の中からイチ押しの作品をピックアップ!劇団俳優座「首のないカマキリ」風煉ダンス「まつろわぬ民2018」など山田さんの解説を交えてご紹介!https://buff.ly/2Qvk0tB

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    ▼音楽劇『まつろわぬ民2018』三都市(東京・酒田・八戸)
    連続公演(演劇集団 風煉ダンス)特設サイト
    https://alafura6.wixsite.com/furendance
    ▼演劇集団 風煉ダンス
    http://furen-dance.info/about.html

    ▼作家・木村友祐さんのfacebookでの劇評 2018年12月9日付
    https://www.facebook.com/yusuke.kimura.794/posts/1790178621110668


    ▼デーリー東北 2018年12月7日(金) 新聞コラム『天鐘』
    http://www.daily-tohoku.co.jp/tensho/tensho.html
    『天鐘』(10月7日)
     歴史の中には、教科書に記述されない出来事と人物が多い。勝者と時の権力者が存在を消し去ろうとしたからでもある。忘却の彼方に追いやられた者は、どれだけいたのだろう▼古代、中央政権から見た東方には「まつろわぬ人ども」と呼ばれる民がいたという。野蛮で文化も遅れている―。中央によって歪(ゆが)められたイメージを作られた「蝦夷(えみし)」のことだとされ、平定の対象だった▼解釈には諸説あるが、東北地方の古代史研究者である高橋富雄氏は述べている。「エミシというのは、政治的に中央の命を奉じないし、その教化にも従うことのない勇猛な反抗者たちを指していた」(『蝦夷』吉川弘文館)▼東日本大震災の直後、八戸市出身の作家木村友祐さんが書き上げた『イサの氾濫』は、現代の東北人を蝦夷に重ねた小説だ。国策である原発の事故で痛めつけられても、被災者は耐え続けて声を発せずにいる。木村さんは畳み掛けた。悔しさを、かつての蝦夷のように「叫べ!」と▼『イサ―』は、同じ東北人である歌手の白崎映美さんを触発する。深い共感から湧くように曲が生まれ、白崎さん主演の音楽劇「まつろわぬ民」が誕生した▼全ての原点は木村さんの東北への想(おも)い。きょうから、八戸市公民館で演劇集団「風煉(ふうれん)ダンス」の公演が行われる。作家の生まれた地で〝女蝦夷〟白崎さんが歌い叫ぶ。寡黙な人々が忘れ去られないように。

    ▼特別企画 テント芝居・野外劇の現在形
    【劇評】『まつろわぬ民』風煉ダンス2017
    東北百鬼夜行絵巻を 大江戸先住民が観る ~
    平井玄 (批評家)
    http://www.geocities.jp/azabubu/artissue/a11/011sp_hirai.html

    ▼図書新聞  2017年08月05日付
    評者◆伊達政保
    一人一人の胸の奥にある小さな火を燃やせ、援軍はあなたたち――演劇集団風煉ダンスの『まつろわぬ民2017』
    http://toshoshimbun.jp/books_newspaper/week_description.php?shinbunno=3314&syosekino=10643&fbclid=IwAR37I-iwIi82NSMqV9Xg_r8XEplzAsqY4C6Rbh5la_fsFcPEq7HZN-_2vms

    ▼《出典》福島民友新聞社 文化欄 2017年6月5日掲載
    千年の記憶がよみがえるとき  『まつろわぬ民 2017』に寄せて
    文:赤坂憲雄(福島県立博物館館長/民俗学者)
    1953年、東京生まれ。学習院大学教授。福島県立博物館館長。専門は東北文化論と日本思想史。「東北学」を掲げて地域学の可能性を問いかけてきた。主な著書に「異人論序説」(ちくま学芸文庫)ほか多数。
     東北の記憶の種子が散りばめられた舞台に、こころが騒いだ。どこか東北の、東日本大震災の影に覆われた町で、一軒のゴミ屋敷がいましも行政代執行によって解体されようとしている。鬼一族の巫女である老婆と、冷蔵庫やこたつやピアノに身をやつした鬼一族のものたちが抵抗の戦いを演じたすえに、敗北してゆく。「俺たちはゴミじゃねえ」という声が、通奏低音のようにこだましている。
     鬼の一族とは、むろん古代エミシ(蝦夷)の末裔たちのことだ。野山に獣を追い、肉を喰らい、血をすすった者たち。エミシは西のヤマトの軍勢によって征服され、まつろわぬ鬼の一族へと変貌させられた。負けっぱなしを耐えてきた、千年の植民地だ。立て籠もる砦はいつしかゴミ屋敷と化した。千年の記憶。だから、忘却と掘り起こしこそが主題となる。
     鬼の一族の裏切り者はなぜ、イタクと呼ばれるのか。イタクとは言葉の意だ。言葉は人を裏切る、たやすくは信じるな、ということか。しかし、これはまさしく、その全編が、亡き者たちの忘れられた声に耳を澄まし、棄てられた言葉を拾い集める物語ではなかったか。負けたもの、流されたもの、忘れられたもの、そのかすかな記憶が浮遊している。
     それにしても、初演(2014年)からは、何かが大きく変貌を遂げていたようだ。つかの間露出していたものが、後景に退いている。黒いゴミ袋の山は、より真っすぐに福島の隠喩とならざるをえない。何より、もはや英雄が存在しない。この世界を建て直すために現われる救済者はいない。サンベというエミシの英雄、真っ赤な心臓は不在だ。俺はサンベだ、という叫びは遠ざかった。アラハバキ(古代の東北で信仰された神格)の爪は、もはや一族の精神的な支えとはならない。呪力は失われた。
     その代わりに、この砦で奇妙な邂逅を果たした人々は、敵も味方もみな、フィナーレには思いがけぬ場所へと連れ出されている。鬼の一族の巫女は、おめえらはサンベじゃねえ、でも、きっとサンベだ、見えるんだ、おめえらに、灰に埋まってるけど、小さな種火みてえな火がよ、という。エミシはもはや血ではなく、記憶である、ということか。劇中歌として一部が引かれていた、宮沢賢治の「原体剣舞連(はらたいけんばいれん)」が、「打つも果てるもひとつのいのち」と結ばれていたことを思いださずにはいられない。
     エミシと呼ばれた人々は、「国家に抗する社会」(ピエール・クラストル)としての部族社会をいとなんでいた。まつろわぬ民こそがいま、賢治とともに、国家のかなたへと、多様ないのちが交歓する「銀河と森とのまつり」を構想しなければならない。この魅惑にみちた舞台には、そんな励ましの声が響いていた気がする。

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    ▼2019年1月5日(土) PM5:30開場 PM6開演
    トーク&ライブ「まつろわぬ民の初夢」@代官山晴れたら空に豆まいて 
    http://haremame.com/schedule/65373/?fbclid=IwAR2pqwMCBTWF3WhNkSkXSgqaqfUQPaZuZaFq4q0X_so7PnfWdaVim64Spug


    ▼内外海 海のステージ
    https://www.facebook.com/uchitomi.uminostage/
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  • レイコちゃんのガガガのけぞりシャウト!


    レイコちゃんのガガガのけぞりシャウト!



    『まつろわぬ民2018』は生演奏付の音楽劇でもあるので、歌手・白崎映美さんと伊藤ヨタロウさんのツートップを擁し、柿澤あゆみさんが澄んだ声でヨタロウさんとデュエットしたり、笹木潤子さんが往年のアイドル歌謡っぽい曲を披露したり、もちろん役者さん全員の大合唱もあるのですが、「人形レイコ」役の塚田次実さんの『ガガガ眼帯』は前半部の見せ場のひとつだったと思います。
    とにかく堂々天晴のロックボーカリストぶりに圧倒されます。

    このお方、静から動へのシフトが見事で、しかもアクションスピードが速くて舞台を右から左へと疾走しまくりで、写真はピント以前にブレまくりというかその影しか残せませんでした(笑)。すまぬ。
    気になるお方は本作品のDVD化を首を長くして待ちませう待ちませう。



    ▼音楽劇『まつろわぬ民2018』三都市(東京・酒田・八戸)
    連続公演(演劇集団 風煉ダンス)特設サイト
    https://alafura6.wixsite.com/furendance
    ▼演劇集団 風煉ダンス
    http://furen-dance.info/about.html

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    ▼作家・木村友祐さんのfacebookでの劇評 2018年12月9日付
    https://www.facebook.com/yusuke.kimura.794/posts/1790178621110668

    ▼デーリー東北 2018年12月7日(金) 新聞コラム『天鐘』
    http://www.daily-tohoku.co.jp/tensho/tensho.html
    『天鐘』(10月7日)
     歴史の中には、教科書に記述されない出来事と人物が多い。勝者と時の権力者が存在を消し去ろうとしたからでもある。忘却の彼方に追いやられた者は、どれだけいたのだろう▼古代、中央政権から見た東方には「まつろわぬ人ども」と呼ばれる民がいたという。野蛮で文化も遅れている―。中央によって歪(ゆが)められたイメージを作られた「蝦夷(えみし)」のことだとされ、平定の対象だった▼解釈には諸説あるが、東北地方の古代史研究者である高橋富雄氏は述べている。「エミシというのは、政治的に中央の命を奉じないし、その教化にも従うことのない勇猛な反抗者たちを指していた」(『蝦夷』吉川弘文館)▼東日本大震災の直後、八戸市出身の作家木村友祐さんが書き上げた『イサの氾濫』は、現代の東北人を蝦夷に重ねた小説だ。国策である原発の事故で痛めつけられても、被災者は耐え続けて声を発せずにいる。木村さんは畳み掛けた。悔しさを、かつての蝦夷のように「叫べ!」と▼『イサ―』は、同じ東北人である歌手の白崎映美さんを触発する。深い共感から湧くように曲が生まれ、白崎さん主演の音楽劇「まつろわぬ民」が誕生した▼全ての原点は木村さんの東北への想(おも)い。きょうから、八戸市公民館で演劇集団「風煉(ふうれん)ダンス」の公演が行われる。作家の生まれた地で〝女蝦夷〟白崎さんが歌い叫ぶ。寡黙な人々が忘れ去られないように。

    ▼特別企画 テント芝居・野外劇の現在形
    【劇評】『まつろわぬ民』風煉ダンス2017
    東北百鬼夜行絵巻を 大江戸先住民が観る ~
    平井玄 (批評家)
    http://www.geocities.jp/azabu…/artissue/a11/011sp_hirai.html

    ▼図書新聞  2017年08月05日付
    評者◆伊達政保
    一人一人の胸の奥にある小さな火を燃やせ、援軍はあなたたち――演劇集団風煉ダンスの『まつろわぬ民2017』
    http://toshoshimbun.jp/books_newspaper/week_description.php

    ▼《出典》福島民友新聞社 文化欄 2017年6月5日掲載
    千年の記憶がよみがえるとき  『まつろわぬ民 2017』に寄せて
    文:赤坂憲雄(福島県立博物館館長/民俗学者)
    1953年、東京生まれ。学習院大学教授。福島県立博物館館長。専門は東北文化論と日本思想史。「東北学」を掲げて地域学の可能性を問いかけてきた。主な著書に「異人論序説」(ちくま学芸文庫)ほか多数。

     東北の記憶の種子が散りばめられた舞台に、こころが騒いだ。どこか東北の、東日本大震災の影に覆われた町で、一軒のゴミ屋敷がいましも行政代執行によって解体されようとしている。鬼一族の巫女である老婆と、冷蔵庫やこたつやピアノに身をやつした鬼一族のものたちが抵抗の戦いを演じたすえに、敗北してゆく。「俺たちはゴミじゃねえ」という声が、通奏低音のようにこだましている。
     鬼の一族とは、むろん古代エミシ(蝦夷)の末裔たちのことだ。野山に獣を追い、肉を喰らい、血をすすった者たち。エミシは西のヤマトの軍勢によって征服され、まつろわぬ鬼の一族へと変貌させられた。負けっぱなしを耐えてきた、千年の植民地だ。立て籠もる砦はいつしかゴミ屋敷と化した。千年の記憶。だから、忘却と掘り起こしこそが主題となる。
     鬼の一族の裏切り者はなぜ、イタクと呼ばれるのか。イタクとは言葉の意だ。言葉は人を裏切る、たやすくは信じるな、ということか。しかし、これはまさしく、その全編が、亡き者たちの忘れられた声に耳を澄まし、棄てられた言葉を拾い集める物語ではなかったか。負けたもの、流されたもの、忘れられたもの、そのかすかな記憶が浮遊している。
     それにしても、初演(2014年)からは、何かが大きく変貌を遂げていたようだ。つかの間露出していたものが、後景に退いている。黒いゴミ袋の山は、より真っすぐに福島の隠喩とならざるをえない。何より、もはや英雄が存在しない。この世界を建て直すために現われる救済者はいない。サンベというエミシの英雄、真っ赤な心臓は不在だ。俺はサンベだ、という叫びは遠ざかった。アラハバキ(古代の東北で信仰された神格)の爪は、もはや一族の精神的な支えとはならない。呪力は失われた。
     その代わりに、この砦で奇妙な邂逅を果たした人々は、敵も味方もみな、フィナーレには思いがけぬ場所へと連れ出されている。鬼の一族の巫女は、おめえらはサンベじゃねえ、でも、きっとサンベだ、見えるんだ、おめえらに、灰に埋まってるけど、小さな種火みてえな火がよ、という。エミシはもはや血ではなく、記憶である、ということか。劇中歌として一部が引かれていた、宮沢賢治の「原体剣舞連(はらたいけんばいれん)」が、「打つも果てるもひとつのいのち」と結ばれていたことを思いださずにはいられない。
     エミシと呼ばれた人々は、「国家に抗する社会」(ピエール・クラストル)としての部族社会をいとなんでいた。まつろわぬ民こそがいま、賢治とともに、国家のかなたへと、多様ないのちが交歓する「銀河と森とのまつり」を構想しなければならない。この魅惑にみちた舞台には、そんな励ましの声が響いていた気がする。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    ▼2019年1月5日(土) PM5:30開場 PM6開演
    トーク&ライブ「まつろわぬ民の初夢」@代官山晴れたら空に豆まいて 
    http://haremame.com/schedule/65373/

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    ▼白崎映美&東北6県ろ~るショー!!
    https://www.facebook.com/tohogu6/
    ▼白崎映美さんの新旧インフォメーションサイト
    https://emishirasakinew.amebaownd.com/
    http://emishirasaki.com/




  • わわわ


    わわわわわ、

    遂にお人形の「レイコちゃん」までもが囚われの身に・・・悲しかったナ。
    とにかく人形「レイコ」を演ずる“モノ遣い”塚田次実さんの存在はこの芝居でもハンパなかったな。登場するだけでその場の空気を一変させるだけのオーラがあります。





    ▼音楽劇『まつろわぬ民2018』三都市(東京・酒田・八戸)
    連続公演(演劇集団 風煉ダンス)特設サイト
    https://alafura6.wixsite.com/furendance
    ▼演劇集団 風煉ダンス
    http://furen-dance.info/about.html

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    ▼作家・木村友祐さんのfacebookでの劇評 2018年12月9日付
    https://www.facebook.com/yusuke.kimura.794/posts/1790178621110668

    ▼デーリー東北 2018年12月7日(金) 新聞コラム『天鐘』
    http://www.daily-tohoku.co.jp/tensho/tensho.html
    『天鐘』(10月7日)
     歴史の中には、教科書に記述されない出来事と人物が多い。勝者と時の権力者が存在を消し去ろうとしたからでもある。忘却の彼方に追いやられた者は、どれだけいたのだろう▼古代、中央政権から見た東方には「まつろわぬ人ども」と呼ばれる民がいたという。野蛮で文化も遅れている―。中央によって歪(ゆが)められたイメージを作られた「蝦夷(えみし)」のことだとされ、平定の対象だった▼解釈には諸説あるが、東北地方の古代史研究者である高橋富雄氏は述べている。「エミシというのは、政治的に中央の命を奉じないし、その教化にも従うことのない勇猛な反抗者たちを指していた」(『蝦夷』吉川弘文館)▼東日本大震災の直後、八戸市出身の作家木村友祐さんが書き上げた『イサの氾濫』は、現代の東北人を蝦夷に重ねた小説だ。国策である原発の事故で痛めつけられても、被災者は耐え続けて声を発せずにいる。木村さんは畳み掛けた。悔しさを、かつての蝦夷のように「叫べ!」と▼『イサ―』は、同じ東北人である歌手の白崎映美さんを触発する。深い共感から湧くように曲が生まれ、白崎さん主演の音楽劇「まつろわぬ民」が誕生した▼全ての原点は木村さんの東北への想(おも)い。きょうから、八戸市公民館で演劇集団「風煉(ふうれん)ダンス」の公演が行われる。作家の生まれた地で〝女蝦夷〟白崎さんが歌い叫ぶ。寡黙な人々が忘れ去られないように。

    ▼特別企画 テント芝居・野外劇の現在形
    【劇評】『まつろわぬ民』風煉ダンス2017
    東北百鬼夜行絵巻を 大江戸先住民が観る ~
    平井玄 (批評家)
    http://www.geocities.jp/azabu…/artissue/a11/011sp_hirai.html

    ▼図書新聞  2017年08月05日付
    評者◆伊達政保
    一人一人の胸の奥にある小さな火を燃やせ、援軍はあなたたち――演劇集団風煉ダンスの『まつろわぬ民2017』
    http://toshoshimbun.jp/books_newspaper/week_description.php

    ▼《出典》福島民友新聞社 文化欄 2017年6月5日掲載
    千年の記憶がよみがえるとき  『まつろわぬ民 2017』に寄せて
    文:赤坂憲雄(福島県立博物館館長/民俗学者)
    1953年、東京生まれ。学習院大学教授。福島県立博物館館長。専門は東北文化論と日本思想史。「東北学」を掲げて地域学の可能性を問いかけてきた。主な著書に「異人論序説」(ちくま学芸文庫)ほか多数。

     東北の記憶の種子が散りばめられた舞台に、こころが騒いだ。どこか東北の、東日本大震災の影に覆われた町で、一軒のゴミ屋敷がいましも行政代執行によって解体されようとしている。鬼一族の巫女である老婆と、冷蔵庫やこたつやピアノに身をやつした鬼一族のものたちが抵抗の戦いを演じたすえに、敗北してゆく。「俺たちはゴミじゃねえ」という声が、通奏低音のようにこだましている。
     鬼の一族とは、むろん古代エミシ(蝦夷)の末裔たちのことだ。野山に獣を追い、肉を喰らい、血をすすった者たち。エミシは西のヤマトの軍勢によって征服され、まつろわぬ鬼の一族へと変貌させられた。負けっぱなしを耐えてきた、千年の植民地だ。立て籠もる砦はいつしかゴミ屋敷と化した。千年の記憶。だから、忘却と掘り起こしこそが主題となる。
     鬼の一族の裏切り者はなぜ、イタクと呼ばれるのか。イタクとは言葉の意だ。言葉は人を裏切る、たやすくは信じるな、ということか。しかし、これはまさしく、その全編が、亡き者たちの忘れられた声に耳を澄まし、棄てられた言葉を拾い集める物語ではなかったか。負けたもの、流されたもの、忘れられたもの、そのかすかな記憶が浮遊している。
     それにしても、初演(2014年)からは、何かが大きく変貌を遂げていたようだ。つかの間露出していたものが、後景に退いている。黒いゴミ袋の山は、より真っすぐに福島の隠喩とならざるをえない。何より、もはや英雄が存在しない。この世界を建て直すために現われる救済者はいない。サンベというエミシの英雄、真っ赤な心臓は不在だ。俺はサンベだ、という叫びは遠ざかった。アラハバキ(古代の東北で信仰された神格)の爪は、もはや一族の精神的な支えとはならない。呪力は失われた。
     その代わりに、この砦で奇妙な邂逅を果たした人々は、敵も味方もみな、フィナーレには思いがけぬ場所へと連れ出されている。鬼の一族の巫女は、おめえらはサンベじゃねえ、でも、きっとサンベだ、見えるんだ、おめえらに、灰に埋まってるけど、小さな種火みてえな火がよ、という。エミシはもはや血ではなく、記憶である、ということか。劇中歌として一部が引かれていた、宮沢賢治の「原体剣舞連(はらたいけんばいれん)」が、「打つも果てるもひとつのいのち」と結ばれていたことを思いださずにはいられない。
     エミシと呼ばれた人々は、「国家に抗する社会」(ピエール・クラストル)としての部族社会をいとなんでいた。まつろわぬ民こそがいま、賢治とともに、国家のかなたへと、多様ないのちが交歓する「銀河と森とのまつり」を構想しなければならない。この魅惑にみちた舞台には、そんな励ましの声が響いていた気がする。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    ▼2019年1月5日(土) PM5:30開場 PM6開演
    トーク&ライブ「まつろわぬ民の初夢」@代官山晴れたら空に豆まいて 
    http://haremame.com/schedule/65373/

    ▼内外海 海のステージ
    https://www.facebook.com/uchitomi.uminostage/
    http://www.uminostage.com/

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  • その祈りにも似た声は海を渡り、はるか彼方の地にもきっと届く。


    その祈りにも似た声は海を渡り、はるか彼方の地にもきっと届く。

    それが「沖縄」であろうと「アイヌモシリ」だろうと、胸に刺さる言葉がこの作品にはあったと思います。



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    『天鐘』(10月7日)
     歴史の中には、教科書に記述されない出来事と人物が多い。勝者と時の権力者が存在を消し去ろうとしたからでもある。忘却の彼方に追いやられた者は、どれだけいたのだろう▼古代、中央政権から見た東方には「まつろわぬ人ども」と呼ばれる民がいたという。野蛮で文化も遅れている―。中央によって歪(ゆが)められたイメージを作られた「蝦夷(えみし)」のことだとされ、平定の対象だった▼解釈には諸説あるが、東北地方の古代史研究者である高橋富雄氏は述べている。「エミシというのは、政治的に中央の命を奉じないし、その教化にも従うことのない勇猛な反抗者たちを指していた」(『蝦夷』吉川弘文館)▼東日本大震災の直後、八戸市出身の作家木村友祐さんが書き上げた『イサの氾濫』は、現代の東北人を蝦夷に重ねた小説だ。国策である原発の事故で痛めつけられても、被災者は耐え続けて声を発せずにいる。木村さんは畳み掛けた。悔しさを、かつての蝦夷のように「叫べ!」と▼『イサ―』は、同じ東北人である歌手の白崎映美さんを触発する。深い共感から湧くように曲が生まれ、白崎さん主演の音楽劇「まつろわぬ民」が誕生した▼全ての原点は木村さんの東北への想(おも)い。きょうから、八戸市公民館で演劇集団「風煉(ふうれん)ダンス」の公演が行われる。作家の生まれた地で〝女蝦夷〟白崎さんが歌い叫ぶ。寡黙な人々が忘れ去られないように。

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    【劇評】『まつろわぬ民』風煉ダンス2017
    東北百鬼夜行絵巻を 大江戸先住民が観る ~
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    評者◆伊達政保
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    http://toshoshimbun.jp/books_newspaper/week_description.php?shinbunno=3314&syosekino=10643&fbclid=IwAR37I-iwIi82NSMqV9Xg_r8XEplzAsqY4C6Rbh5la_fsFcPEq7HZN-_2vms

    ▼《出典》福島民友新聞社 文化欄 2017年6月5日掲載
    千年の記憶がよみがえるとき  『まつろわぬ民 2017』に寄せて
    文:赤坂憲雄(福島県立博物館館長/民俗学者)
    1953年、東京生まれ。学習院大学教授。福島県立博物館館長。専門は東北文化論と日本思想史。「東北学」を掲げて地域学の可能性を問いかけてきた。主な著書に「異人論序説」(ちくま学芸文庫)ほか多数。
     東北の記憶の種子が散りばめられた舞台に、こころが騒いだ。どこか東北の、東日本大震災の影に覆われた町で、一軒のゴミ屋敷がいましも行政代執行によって解体されようとしている。鬼一族の巫女である老婆と、冷蔵庫やこたつやピアノに身をやつした鬼一族のものたちが抵抗の戦いを演じたすえに、敗北してゆく。「俺たちはゴミじゃねえ」という声が、通奏低音のようにこだましている。
     鬼の一族とは、むろん古代エミシ(蝦夷)の末裔たちのことだ。野山に獣を追い、肉を喰らい、血をすすった者たち。エミシは西のヤマトの軍勢によって征服され、まつろわぬ鬼の一族へと変貌させられた。負けっぱなしを耐えてきた、千年の植民地だ。立て籠もる砦はいつしかゴミ屋敷と化した。千年の記憶。だから、忘却と掘り起こしこそが主題となる。
     鬼の一族の裏切り者はなぜ、イタクと呼ばれるのか。イタクとは言葉の意だ。言葉は人を裏切る、たやすくは信じるな、ということか。しかし、これはまさしく、その全編が、亡き者たちの忘れられた声に耳を澄まし、棄てられた言葉を拾い集める物語ではなかったか。負けたもの、流されたもの、忘れられたもの、そのかすかな記憶が浮遊している。
     それにしても、初演(2014年)からは、何かが大きく変貌を遂げていたようだ。つかの間露出していたものが、後景に退いている。黒いゴミ袋の山は、より真っすぐに福島の隠喩とならざるをえない。何より、もはや英雄が存在しない。この世界を建て直すために現われる救済者はいない。サンベというエミシの英雄、真っ赤な心臓は不在だ。俺はサンベだ、という叫びは遠ざかった。アラハバキ(古代の東北で信仰された神格)の爪は、もはや一族の精神的な支えとはならない。呪力は失われた。
     その代わりに、この砦で奇妙な邂逅を果たした人々は、敵も味方もみな、フィナーレには思いがけぬ場所へと連れ出されている。鬼の一族の巫女は、おめえらはサンベじゃねえ、でも、きっとサンベだ、見えるんだ、おめえらに、灰に埋まってるけど、小さな種火みてえな火がよ、という。エミシはもはや血ではなく、記憶である、ということか。劇中歌として一部が引かれていた、宮沢賢治の「原体剣舞連(はらたいけんばいれん)」が、「打つも果てるもひとつのいのち」と結ばれていたことを思いださずにはいられない。
     エミシと呼ばれた人々は、「国家に抗する社会」(ピエール・クラストル)としての部族社会をいとなんでいた。まつろわぬ民こそがいま、賢治とともに、国家のかなたへと、多様ないのちが交歓する「銀河と森とのまつり」を構想しなければならない。この魅惑にみちた舞台には、そんな励ましの声が響いていた気がする。

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    ▼白崎映美&東北6県ろ~るショー!!
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  • 稀代の歌姫・白崎映美さまは休憩中でも漂うオーラと土臭い、気っ風。


    稀代の歌姫・白崎映美さまは休憩中でも漂うオーラと土臭い、気っ風。



    音楽劇『まつろわぬ民2018』ゲネプロでの演出家・笠原さんと主演女優・白崎映美さんの会場マイクを通しての真剣な打ち合わせ中のシーンです。

    1997年8月23日(土)、僕はピーカンの臨界副都心レインボータウン・レインボーステージという場所にいました。平たくいえば「お台場」の埋め立て地の一角です。
    その日から翌24日は毎年恒例の『上々颱風祭り』が開催されていました。
    僕はMC横浜ケンタウロスの総勢40名程の仲間と当日スタッフとして、会場警備班に加わっていました。

    客席はAからLまで12ブロック、これとは別に椅子席が4ブロックあって3000~4000名のお客さんが賑やかに集まっていたと思います。お祭りですから屋台等も出て、お酒もOKですから皆さん思い思いにコンサートを楽しんでいました。

    会場警備の役割上、背丈よりも高いステージを背に客席を向いていたり、場内を走りまわっていたのですが、それでも時折ステージの様子も気になりチラ見していました(笑)。余談ですが、この日、伊達政保さんとも親交の深かったノンフィクションライターの朝倉喬司さんの姿もお見受けした記憶があります。

    ステージ下から見上げた白崎さんは、衣装や被り物のせいもあるのか、フロントメンバーとしてのスター性もあり、僕には「スラリとした背の高い方なのかなぁ?」と思わせました。(実は、その一カ月前の7月26日、西伊豆の黄金崎での「上々颱風」のLIVEで前日から目の前を歩くご本人様の姿は拝見していたんですけど、やっぱりその時も発散するオーラから僕には小柄な方には見えていなかったみたいです)
    やっぱりこのクラスの方は、いざステージに「戦闘モード」で立つと実物以上に大きく見えるものです。
    そもそも血のしたたるような色の最近の彼女の「アマハゲ(ナマハゲ)」姿のコスチュームはビジュアルショック以上に、鬼姫としての「戦闘服」みたいなものかもしれません。

    97年のお台場での“上々”のステージは、「LET IT BE」から始まり、15曲目の「名もなくまぶしくスチャラカに」で最高点に達しました。
    昼間は焼けつけような日差しだったのに、今でいえば途中でゲリラ豪雨に見舞われ、浮世の民たる観客はもうズブ濡れ状態のまま曲に合わせて総立ちで跳ねまくって踊っていました。
    その熱気は湯気となり、客席全体を霧のように白く覆っていました。
    真夏に数千人の身体から立ち昇る湯気ってのは僕には驚きの光景でした。
    さすが上々颱風!さすが白崎映美さまの「もっと、もっと、もっとぉ~!」の天性の盛り上げぶりでした。

    ゲリラ豪雨のせいで、10センチ近く水没した道路をバイク(ZRX400)で両足をステップから上げて、水しぶきをあげて翌日に備えて帰った記憶があります。

    同時代に、こんな稀有な存在の歌姫・白崎さんが存在してくれていて本当に幸せだと思います。「東6」と「渋さ知らズ」の音楽さえあれば僕らはまだまだ元気に生きていける気がします。

    白崎映美さん主演の音楽劇『まつろわぬ民2018』は先日の八戸公演で大千秋楽を迎えてしまいましたが、正月は代官山でトークライヴ企画もあるそうですが、やっぱり「白崎映美&東北6県ろ~るショー!!」野外ライブといえば、目下の焦点は来春の福井県かなぁ?
    しかも演劇集団「風煉ダンス」の新作も披露されるしね。これは来春5月末の福井県小浜市の田烏集落の若狭湾を見下ろす風光明媚な「棚田」での《内外海・海のステージ》見物に向けて旅費も含めて小銭貯めておかねばですよね。

    彼らや彼女の降臨場所は下記のサイトで要チェックです。
    観ると寿命が1日は延びるって寸法よね(笑)。



    ▼音楽劇『まつろわぬ民2018』三都市(東京・酒田・八戸)
    連続公演(演劇集団 風煉ダンス)特設サイト
    https://alafura6.wixsite.com/furendance
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    ▼特別企画 テント芝居・野外劇の現在形
    【劇評】『まつろわぬ民』風煉ダンス2017
    東北百鬼夜行絵巻を 大江戸先住民が観る ~
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    一人一人の胸の奥にある小さな火を燃やせ、援軍はあなたたち――演劇集団風煉ダンスの『まつろわぬ民2017』
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    ▼2019年1月5日(土) PM5:30開場 PM6開演
    トーク&ライブ「まつろわぬ民の初夢」@代官山晴れたら空に豆まいて 
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    ▼白崎映美さんの新旧インフォメーションサイト
    https://emishirasakinew.amebaownd.com/
    http://emishirasaki.com/ー 友達: 白崎 映美





  • 小道具だって彼らの全力なこだわり度が凄いんです♪


    小道具だって彼らの全力なこだわり度が凄いんです♪

    ▼音楽劇『まつろわぬ民2018』三都市(東京・酒田・八戸)
    連続公演(演劇集団 風煉ダンス)特設サイト
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    ▼演劇集団 風煉ダンス
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    巨大な演劇工房空間と化していた「ドーム立川立飛」の稽古場ですが、公演を控えて演者や美術スタッフさんたちがセッセッと飽くなき追求心で作業に没頭していました。この演劇集団は役者さんが小道具類まで自ら手掛けます。

    その鋭い眼光と圧倒的な存在感で、劇中の役どころとしては主が不在の“鬼一族”を実質的に束ねてきた「アジム」役の反町鬼郎さんがいますが、鬼郎さんがコツコツ取り組んでいて「結婚式のシーンで使うんだ」と内緒で制作過程の作品を見せてくれたのが紙で作られた「猪」の頭と「鮭」の小道具でした。
    超リアル!!!
    鮭なんて割いた腹の内側まで再現されています。

    僕が感動したのはイノシシさんの生首でした。
    学生時代から6~7年、東京芝の芝浦屠場で豚の頭(カシラ)肉を専門に扱う会社で職人として働いていたので、僕らが「たいかん(大貫)」と呼んでいた老いた種付け豚も1日に10頭や多い時は20頭近く処理していたのですが、こいつは立派な牙もあって、とにかく体もデカくて、まるでイノシシみたいな奴でした。ありゃ、豚といっても獣だわ。剛毛だしね。雄たる臭いも強烈。解体する前にドイツ製の皮むきの機械に両手で持ちあげてかけるのですが、その前にまずはコイツの牙を鉄ノミとハンマーで叩き折るのが僕の仕事のひとつでした。勿論、屠殺して首を落とした生首を床に転がして跨って気合い一閃でハンマーを振るうんですけどね。手がしびれましたわ。
    まぁ、養豚場からスーパーマーケットの陳列棚にスライスされた豚肉が並ぶまでには誰かが生体を屠畜解体しなきゃいけないわけですよね。
    だから、反町さんの「猪」の首を見させてもらって、「大貫(たいかん)」豚の解体には苦労させられた経験もあったので妙に懐かしい気分になったのですが、そのサイズ感も僕の記憶とピッタリなので驚いていました。
    とにかく「大貫(たいかん)」の首は重かったんだよなぁ~。普通の豚の4~5倍は目方があった印象です。

    反町鬼郎さんは名前からして日本一の鬼役者だと思いますが、その芸名の由来を知ったのは陣野俊史さん著の『渋さ知らズ』(河出書房新社)に収録されていたインタビューでした。

    人力大スペクタクル音楽劇『まつろわぬ民2018』東北ツアーは先日の八戸公演で大千秋楽を迎えてしまいましたが、次に彼ら演劇集団「風煉ダンス」さんたちに出会えるとしたら来春5月末の福井県小浜市の田烏集落の若狭湾を見下ろす風光明媚な「棚田」での《内外海・海のステージ》での新作披露になるのかなぁ?
    あの場所での公演となったら、まさかのお家芸の「野外劇」になるのかなぁ~?

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    『天鐘』(10月7日)
     歴史の中には、教科書に記述されない出来事と人物が多い。勝者と時の権力者が存在を消し去ろうとしたからでもある。忘却の彼方に追いやられた者は、どれだけいたのだろう▼古代、中央政権から見た東方には「まつろわぬ人ども」と呼ばれる民がいたという。野蛮で文化も遅れている―。中央によって歪(ゆが)められたイメージを作られた「蝦夷(えみし)」のことだとされ、平定の対象だった▼解釈には諸説あるが、東北地方の古代史研究者である高橋富雄氏は述べている。「エミシというのは、政治的に中央の命を奉じないし、その教化にも従うことのない勇猛な反抗者たちを指していた」(『蝦夷』吉川弘文館)▼東日本大震災の直後、八戸市出身の作家木村友祐さんが書き上げた『イサの氾濫』は、現代の東北人を蝦夷に重ねた小説だ。国策である原発の事故で痛めつけられても、被災者は耐え続けて声を発せずにいる。木村さんは畳み掛けた。悔しさを、かつての蝦夷のように「叫べ!」と▼『イサ―』は、同じ東北人である歌手の白崎映美さんを触発する。深い共感から湧くように曲が生まれ、白崎さん主演の音楽劇「まつろわぬ民」が誕生した▼全ての原点は木村さんの東北への想(おも)い。きょうから、八戸市公民館で演劇集団「風煉(ふうれん)ダンス」の公演が行われる。作家の生まれた地で〝女蝦夷〟白崎さんが歌い叫ぶ。寡黙な人々が忘れ去られないように。

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    【劇評】『まつろわぬ民』風煉ダンス2017
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    ▼図書新聞  2017年08月05日付
    評者◆伊達政保
    一人一人の胸の奥にある小さな火を燃やせ、援軍はあなたたち――演劇集団風煉ダンスの『まつろわぬ民2017』
    http://toshoshimbun.jp/books_newspaper/week_description.php

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    ▼2019年1月5日(土) PM5:30開場 PM6開演
    トーク&ライブ「まつろわぬ民の初夢」@代官山晴れたら空に豆まいて 
    http://haremame.com/schedule/65373/

    ▼内外海 海のステージ
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    ▼白崎映美&東北6県ろ~るショー!!
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    ▼白崎映美さんの新旧インフォメーションサイト
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