たまりば

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水の都、石の町、海の道

水の都、石の町、海の道

『単車倶楽部』次号テーマが≪伊豆≫と聞いて真っ先に思い浮かべたのは何故か「江戸と伊東」を結ぶ“海の道”の歴史でした(笑)。
現在の「東京」の繁栄の礎には「江戸」期の伊豆の伊東が大きく係わっているという事実です。

話は人口百万を誇った当時としては世界最大の都市であり、150年前に名を失った日本最大のロストシティ「江戸」の話題から始まります。
片岡義男さんのオートバイエッセイコレクション『彼の後輪が滑った』(1996年刊/太田出版)に収録されている『江戸でシャンペイン』という短編小説の中の一節で僕はかつて大きく気づかされたことがありました。

作品の中では≪東京の高速道路に関して、彼女は持論をいくつか持っていた。そのうちのひとつは、高速は江戸だ、というものだ。江戸の遺産を食いつぶしながら生きて来た東京の、せっぱつまったあげくのきわめて大胆な試みが、お濠や川をつぶしたも同然の高速道路だという。江戸前といういい加減な言葉と両国の博物館にしか江戸はないが、高速道路に上がるとそこには江戸がある、と彼女は言う。そして首都高は必然ではなく都合の産物だ、とも彼女は言う。≫と続いていました。

片岡さんは解説風に≪タイトルにある江戸とは、首都高速道路のことだ。江戸の遺産であるお濠を埋め立てて道路にすることによって、現在の東京は生きている。東京が江戸の遺産を食いつぶしている例は、ほかにもいくつもあるはずだ。≫と後段でも触れていました。
東京最初の高速道路が外堀を埋めた上に当る新橋駅北から有楽町までの約2キロの区間であったのが象徴的でもあります。「東京オリンピック」と連動した乱開発だったんでしょうね。

言われてみると、首都高の橋脚が運河の上に突っ立っているケースがよく見られますし、そのせいで空が覆い隠されていたりもします。
首都高の妙なカーブの連続は、下を流れる運河の曲線に規定されているわけでもあります。ビッシリと建物で埋め尽くされた東京の隙間空間をアップダウンとカーブを描きながら縫うように走るのが首都高の姿です。

さて「江戸」という地名の語源には諸説ありますが、地形的に「入り江の門戸」にあたっていたというのが有力とされています。
徳川家康が関東に移封され、かつて室町時代に太田道灌が築いた「江戸城」とありきたりの地方城下町を根拠地として拡大していくことになります。
徳川家康以前の江戸は戦国時代は北条氏の治める小さな田舎町だった筈です。
もしかすると東京湾という巨大な入り江の奥の漁村めいた風情もあったかも知れません。
太田道灌時代の城にしても恐らくは土塁を巡らせた城で、石垣を用いた西国の城とは違っていたと思われます。
それが徳川幕府を開いて100年ほどで当時のロンドンやパリを抜いて世界最大の100万都市にまで成長するのですから驚きです。

理由は幾つも考えられますが、そのひとつは「江戸」は巨大な“水の都”でもあった事実です。今でも東京湾岸沿いの道路や首都高上を走っていれば気がつきますが、随分と多くの運河の存在に気がつくはずです。
巨大な人口を支える為に物流として「水運」が発達していた証だと思います。
そして、その“水の都”を支えたのが石垣を張り巡らせた“石の町”でもあった江戸の姿です。その夥しい石の大半がやってきたのが実は伊豆半島からだったのです。

2017年に島根県松江市で発見された「江戸始図」(えどはじめず)によって、家康が築いた「江戸城」の最古級の絵図が出現し、後の絵図と比較することによって、城を中心にした“らせん状の壕”の延長による都市計画の姿が浮かび上がってきました。
湿地帯と海岸線の埋め立てで「江戸」の市街地は広がっていきました。
軟弱な地盤を固め、水路を築いたのは「天下普請」による石垣の建設でした。

当時、伊豆には約170もの石丁場(石切場)があったとされています。
現在の伊東市内には20数藩、56ヵ所とも言われる数の採石場があったとされています。
ここで西国大名たちが競って石を切り出しては伊東と江戸を数千艘の石船で往復して運んだとされていて、今でも伊東市内には熱海市、小田原市と並んで数多くの採石場遺跡が残っています。
そんな「江戸城築城石」のモニュメント等が「川口公園」や「伊豆高原駅前」でも見られるそうですが、今回の伊豆行ではGW渋滞にハマり「涙をのんで」(無視して?)スルーしちゃいましたけどね(笑)。
このアバウトな残念さこそが私の取り柄か?
最大目的が「伊豆で魚を食べて『みんなのライダーズVOICE』に投稿する」だったので初期の目的さえ達すればノープロブレムかな。
小さいこと小さいこと気にしない!
無事是名馬也。いつか路上で。

▼伊豆の海を食べる「海女の小屋 海上亭」(伊東市川奈1004)
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≪バイクリターン後の私たちの読者投稿or雑誌登場例≫

★『道楽』No.16(2017年2月16日発売号)P100 「みちコラム」寄稿
★『カワサキバイクマガジン』vol.127(2017年9月号) P113投稿再掲
★『R★B』(レッドバロンマガジン)vol.24(2017年秋号)P22
「走れ!プロフェッショナル」特写記事掲載
★『単車倶楽部』Vol.4(2018年5月号 P94~P96 寄稿掲載
★『道楽』No.23(2018年4月16日発売最終号)特集『道楽キャンプ 愛すべき残党達よ!』P23下段にトピック登場
★『単車倶楽部』 2018年6月号 キャンプツーリング特集P25寄稿掲載
☆『?』誌 2018年?月号に読者投稿掲載予定?

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