たまりば

車・バイク・乗り物 車・バイク・乗り物その他 その他

それは僕にとってのバイク旅の手引き書でもありました。

それは僕にとってのバイク旅の手引き書でもありました。

それは僕にとってのバイク旅の手引き書でもありました。


バイク乗りの僕らが旅に出る理由って十人十色だと思います。
バイク雑誌や旅行ガイドブックで見かけた絶景スポットや魅惑的なロードだったり、テレビの情報番組で目にした美味しそうな特産品や名物料理だったり、有名なライダーの旅にまつわる素敵なエッセイ本だったりと動機は様々ですよね。僕の場合は興味の関心が「歴史」や「文化」だったりもするので、そんな地を訪問してみたくてバイクを駆ることがあります。

その意味では1月12日に93歳で亡くなった哲学者・梅原猛さんの梅原猛著作集6『日本の深層~縄文・蝦夷文化を探る』(2000年/小学館)は、本の帯にもあるように「梅原日本学の原点/東北、アイヌ、熊野から縄文文化へ知の紀行集」と、興味の尽きない土地を網羅していることもあり、僕をバイク旅に誘う知的刺激に満ちた大切な指南書のひとつです。
2015年の哲学者・鶴見俊輔さんの訃報に続き、先日の哲学者・梅原猛さんの訃報はとても残念なニュースでした。

1999年の夏、MC井戸端会議は10数名で「アイヌモシリ」(北海道)道東をキャンプ旅しました。
2000年の夏、僕は仲間たちに「俺は今年は思うところあって東北6県を1人で周ることにしました。8月8日に宝生能楽堂での大倉正之助さんの飛天双〇能『翁付五流五番能』を観てから出発するので、予定では8月12日に十和田湖畔の何処かのキャンプ場に入るつもりなので、北海道から下ってくる先発組も、東京から北海道を目指して登ってくる後発組も十和田湖集合ね♪」と仲間たちに勝手に宣言してのバイク旅でした。(この旅の模様は2001年12月発行の「カワサキマインド」誌創刊号で8ページに渡って掲載してもらいました)

前年の北海道旅から翌年の東北6県旅への裂け目に横たわるものは、間違いなく1999年秋に東北芸術工科大学・東北文化研究センターから発行された『東北学 vol.1【総特集】いくつかの日本へ』(赤坂憲雄責任編集/作品社)に触れた衝撃でした。

この書の巻頭の「創刊に寄せて」の中で民俗学者の赤坂憲雄さんが「東北ははじまりの場所である。新たな列島の民族史的景観を拓いてゆくための、それゆえに選ばれた、ささやかな知の脈流の拠点である。この移ろい、揺れるはじまりの地から、『いくつもの日本』を孕んだ、もうひとつの歴史への方法を鍛えてゆかねばならない。まず、そこにある東/西の円形をなす土俵を、その、あらかじめ約束された予定調和のフィールドを突き崩すことから始めたい、と思う。西南の方位にある都にとって、東北はつねに『奥』を冠された、東の果ての荒涼たる辺境の地であった。東/西の軸に沿った眼差しの地政学こそが、辺境という宿命を、宿命の装いを凝らしつつ東北に強いてきた根源である。それは逃れがたい手かせ足かせとなって、その地にある人々の意識を呪縛してきた。この呪縛を解きほぐすために、いま東/西の土俵の外に立つことが求められている。それから、南/北の混沌を宿した四角いジャングルへと赴くことにしよう。この弧状なす列島の南/北の方位には、異相の風景が豊かに埋もれている。『ひとつの日本』の懐に抱き取られることを拒みながら、縄文へと連なる『いくつもの日本』の鉱脈が覗けている。それをひとつひとつ掘り起こし、糧として、素材として、『いくつもの日本』を抱いた列島の民族史的景観を拓いてゆかねばならない。東北はそのとき、縄文を底に沈めて北に深く繋がりつつ、弥生以降の歴史のなかでは、西の文化をくりかえし受け入れ、大きな変容の跡を刻まれてきた地域として見いだされる。だから東北には、『ひとつの日本』に穿たれた裂け目が数も知れずに存在する。」と書いておられました。

この視座は2000年に出た『東西/南北考―いくつかの日本へ』(赤坂憲雄著/岩波新書)も同じで、それまで僕は例えば歴史学者の網野善彦さんの『東と西の語る日本の歴史』(講談社学術文庫)などを読んでいたので、“網野史学”で触れていた東西と異なる視線の南北考に発想の転換は刺激的でした。
網野さんにしても赤坂さんにしても、両者とも「そもそも日本人は同じ言語・人種からなる単一民族説という幻想と呪縛に捉われすぎではないのだろうか」というところが出発点にあるでしょうし、そんな疑問や自由な研究もこの国が戦争で負けるまでは許されてはこなかったと思います。
「ひとつの日本」という歴史認識のほころびに、“網野史観”を発展的に覚悟を決めて学術的に継承した感のある気鋭の民俗学者が赤坂さんですが、それ以前的に岡本太郎さんじゃありませんが、半ば直感や霊感的に思わせながらの節もがありますが、とんでもないくらいの新説や仮説を発表していたのが梅原猛さんだったのかもしれません。

梅原猛さんの数ある著作の中でも、この『日本の深層 縄文・蝦夷文化を探る』(集英社文庫)は、梅原さん初の蝦夷論・東北論な気もして外せません。
文庫本の解説は赤坂憲雄さんですが、「『日本の深層』は疑いもなく、一個の衝撃だった。大胆不敵な、と称していい仮説の書、いや、あえていえば予言の書である。」と評していました。
この本が最初に世に出たのは1983年のことですが、「三内丸山遺跡」が発見されたのは1994年ですから、「序章・日本文化の源流を探る」の中で大胆にも「しかし、数年前から私は気づきはじめていた。東北はけっして歴史のはじめから、文化果つるところではなかったことを。縄文時代という時代、特に後期から晩期にかけて、東北はまさに日本文化の中心地であった。今日、日本のいたるところで数多くの縄文遺跡が見出され、古くから日本において、狩猟採集文化としては世界でも有数な高度の文化が栄えていることがわかりはじめてきた。」と、後の三内丸山遺跡の発見でも予感していたかのような部分に容易に出くわします。
今、読んでも色褪せていなさが新鮮で面白い書です。まぁ、「蝦夷」という表記漢字を全て「えぞ」と読ませて、「えみし」(蝦夷)と「えぞ」(蝦夷)の区別が曖昧で「えっ?これ大丈夫?」という粗削りの部分はありますが、それはまぁ1980年代初頭に出た作品ですから今よりは区別がアバウトだったのか梅原さんご自身が割と無頓着な性格だったような気がします。

限られた日程の中で北海道ツーリングを組むと、どうしても行きも帰りも東北自動車で一挙に駆け抜けてしまいがちです。それでは豊かな自然と文化と歴史のある東北を見落としてしまいます。
『日本の深層』は旅行記ですから学術書に比べれば親しみやすいですし、文庫の新版には会津と山形への旅が追加されています。(全集には紀州の「熊野」編も収録されています。熊野もまた僕にとっては大きな興味のひとつです)
興味深いテーマが満載ですから、バイク旅の刺激的な訪問先のヒントになります。

それにしても、35年くらい前に出た『日本の深層』は今、読んでも面白いよね。逆に当時から研究が進んで明らかになった事柄もありますしね。
ちょっと久しぶりに読み返してみようかな。
その目次を見ただけでも「何があるんだろう」とワクワクするはずです。

【目次】
序章 日本文化の源流を探る
1章 大和朝廷の前線基地、多賀城
2章 「大盗」もふれえなかった平泉文化の跡
3章 宮沢賢治の童話の語る日本人の隠された心の深層
4章 山人と神々の声のこだまする遠野
5章 強い自負と奔放な想像力をもつ東北の詩人たち
6章 洞窟の奥深く隠されたもの
7章 みちのくの果てに栄えた華麗な文化
8章 ディオニュソス的空想と熱狂の地、津軽
9章 「おしらさま」の意味するもの
10章 生霊、死霊の故郷、出羽三山
終章 新たな文化原理の発掘
会津魂の深層
山形紀行


この梅原猛著作集の表紙は僕の手垢で随分と汚れていて、今から20年くらい前だとは思いますが、かなり興味深く読んだ記憶があります。
同時期、講談社からは「日本の歴史」シリーズが刊行され、編集委員は網野義彦さんで、00巻の「『日本』とは何か」(2000年)も「戦後歴史学」を総括する意味で興味深く読んでいた気がします。テーマが「日本」とは何かという根源的な問いかけでもありましたしね。「孤立した島国日本」という従来までの虚像に鋭い批判も浴びせていました。その網野さんも2004年に他界されてしまいました。僕の所属(?)するオートバイ集団の族長殿からは「いいか、松岡正剛と網野善彦くらいは読んどけよ」と発破をかけられていた気がします。

『日本の深層』の詳しい解説は松岡正剛先生の下記のサイトにお任せしましょう。
“知の巨人”松岡正剛さんも「この本は梅原猛の数ある著作を画期する一冊で、かつ、いまこそ読まれるべき「日本=東北」の深層をあざやかに解く一冊である。ここには、石巻や仙台に隠された生をうけた梅原の、東北に寄せる深くて熱いまなざしが生きている。縄文と蝦夷、アイヌと日本人、仏教と修験道、柳田国男の目、啄木の詩、賢治の心、さらには太宰や徳一を通して、大胆な梅原日本学の入口が次々に示される。」と高く評価されていました。

そして2011年に東北を襲った未曾有の災害と原発事故の衝撃は、都市と地方の歪んだ関係、とりわけても明治から現代に至るまでの政府と東北と呼ばれる地域の関係を僕らに問い直すきっかけを与えてもくれた気がします。
それまで遠景でしかなかった東北が再び目前に迫ってきた思いです。
東北にはまだまだ僕の知らない豊かなものがいっぱい眠っている気がします。

八戸出身の小説家・木村友祐さんの『イサの氾濫』の爆発、山形出身の白崎映美さんのフォトエッセイ『鬼うたひ』、1stアルバム『まづろわぬ民』を引っ提げての「白崎映美&東北6県ろ~るショー!!」という凄いバンドの登場、演劇集団・風煉ダンスによる公演『まつろわぬ民』と、僕の東北熱は上昇する一方です。風煉ダンスのプレイベントで赤坂先生のお顔を拝んだ時には興奮したものです。

ブラッドベリの『華氏451度』じゃありませんが、やっぱり本は読まないといけないよね。この国もこのままではディストピアになっちゃいそうだからね。


▼松岡正剛の千夜千冊 1418夜『日本の深層』梅原猛著
https://1000ya.isis.ne.jp/1418.html


▼梅原猛著作集6『日本の深層』小学館
https://www.shogakukan.co.jp/books/09677106
    
〈 書籍の内容 〉
東北・アイヌ・熊野に日本文化の源流を発見した衝撃の日本古代史紀行集。
日本人とは何か、日本文化とは何かを考えるには、七、八世紀を中心とした梅原古代学だけでは不十分であり、日本文化の基層である縄文文化の研究が不可欠である。そこで、著者は縄文文化の名残りを色濃くとどめる東北、アイヌ、熊野の文化に注目する。そして一万年以上にわたって縄文文化の中心地であった東北各地や熊野を旅して、それらの地が日本文化の原郷であることを検証する。従来の日本古代史に大きな衝撃を与えた決定版歴史紀行集。現在の縄文文化再評価のきっかけになったこの作品の意義は大きく、梅原日本学の原点ともいうべき作品である。

▼『日本の深層 縄文・蝦夷文化を探る』梅原猛 集英社文庫
http://books.shueisha.co.jp/items/contents.html?isbn=4-08-748178-6
かつて東北は文化の先進地であり、高度で大規模な縄文文化が栄えていた―。東北各地を旅しながら、日本人の深層に眠る縄文の魂を探り、原日本文化論の新たな出発点をしるす。(解説・赤坂憲雄)

▼『東西/南北考―いくつもの日本へ』 (赤坂憲雄著/岩波新書/2000年)
https://www.iwanami.co.jp/book/b268519.html
▼『東と西の語る日本の歴史』(網野善彦著/講談社学術文庫/・1982年)
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000150944
▼「日本」とは何か 日本の歴史00 網野義彦著/講談社学術文庫
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000211380
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000199819


▼京都新聞 社説 2019年1月15日
社説:梅原猛さん死去 「知の探求」受け継ごう
https://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20190115000047

 梅原猛さんが亡くなった。
 戦後日本を代表する哲学者で、あくなき知的好奇心に満ちた「知の探求者」だった。通説に果敢に切り込み、独創的な学問を打ち立てた功績は計り知れない。
 京都の文化土壌を考えるとき、真っ先に顔が浮かぶのが梅原さんではないか。
 仙台市出身の梅原さんが京都に来たのは、西田幾多郎や田辺元ら京都学派の哲学者へのあこがれからだった。だが、西田哲学の正統な継承者にはならなかった。
 京都学派の流れでも、むしろ異端の人だったという。異端を包み込む京都の文化土壌の中で、京都学界を代表する存在となった。
 時に批判、黙殺されても、絶対的なものへの反骨、既成概念への疑いが学問を支えていた。若い頃に直面した戦争がその根源にあったことは間違いない。
 自分は生き延びたという後ろめたさがあり、死に対する不安を人間の本質と捉えたハイデッガーの哲学に引かれたという。
 「自国にしか通じない日本主義では駄目だ」とも語っている。そんな思いは国際日本文化研究センターの創設にもつながった。
 西洋に代表される近代文明の行き詰まりを打開し、人類を救済する哲学を日本から打ち立てたいと情熱を燃やし続けた。
 社会が複雑化し、多くの学問や研究が狭い専門領域に「たこつぼ化」していると言われる。そんな中で、古代史や文学、宗教などを大胆に横断する梅原さんの哲学は独特の輝きを放った。
 学問が本来持つ面白さを気づかせてくれたからではないか。
 書斎の人にとどまらない、実践的行動の人でもあった。社会問題に積極的に発言した姿も印象深い。「九条の会」の呼びかけ人や、東日本大震災復興構想会議の特別顧問も引き受けた。
 常に日本の未来を案じていればこそだろう。安保法制を問い、詭弁(きべん)がまかり通る政治に「戦前のようなきな臭さが漂う」と警鐘を鳴らすことも忘れなかった。
 訃報が伝わったのが成人の日だったのも不思議な巡り合わせだ。
 梅原さんが耕した文化の土壌をぜひ、若い人にも受け継いでほしい。もっとも、それは単純な継承ではないだろう。
 「日本の学界は根本的な懐疑の精神に欠けている」と語っていた梅原さんである。自分を含めた既成のものを突き破るような、勇気のある、面白い学問を何より期待しているはずだ。

▼東京新聞 社説 2019年1月16日付
【社説】梅原猛さん死去 「反戦の知」受け継いで
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019011602000176.html?ref=rank

哲学者の梅原猛さんが私たちにのこした大きなものの一つは「反戦の知」ではなかったか。歴史や文学、宗教などを統合して築いた「梅原日本学」の根底にあったのは、生きることを尊ぶことだ。
 十二日、肺炎のため亡くなった。九十三歳。
 戦時中、動員の工場で空襲に遭うなど強烈な戦争体験を持つ。戦後は西洋哲学を軸に研究生活に入るが「自分自身の生きるよすがにならない」と感じ、人に生きる希望を与える「笑いの哲学」の創造を発意。「ノートを手に演芸場に通う学者」として有名になった。
 法隆寺が聖徳太子の鎮魂を目的に建てられたとする「隠された十字架」など古代三部作で「梅原日本学」とされる学風を確立した。
 従来の学説を根本から否定する刺激的な論考。実証性が問われ、時に「神がかり」とも批判されたが「神がかりになる、すなわちインスピレーションに導かれて書かれないような作品はろくなものではない」と反論。本紙に四半世紀にわたり執筆した随筆「思うままに」の最終回(二〇一七年十二月)でも、独創的な哲学の確立を志す心境をつづった。
 同時代に向けて盛んに発言し、行動した。国際日本文化研究センターの創設や「ものつくり大学」の開学に貢献する一方、長良川河口堰(かこうぜき)の建設や名古屋・藤前干潟の埋め立て、諫早湾の潮受け堤防の閉め切りなど、自然環境に影響を及ぼす事業を厳しく批判。脳死に関しては、人間の死として認めない論陣を張るなど、伝統的な死生観に即した視座を保ち続けた。
 原発についても「思うままに」では一九九〇年代から「危険であるばかりか、その廃棄物は少なくとも今の科学の発展段階では、現在及び未来の人類の生存に対して脅威」と何度も廃止を説いた。
 特筆されるのは二〇〇四年、護憲の立場から「九条の会」設立の呼びかけ人になったこと。人や動物だけではなく、植物や鉱物にも仏性が宿るという思想を尊ぶ立場から、生命を問答無用で奪う戦争には終生を通じて反対した。
 「日本人のほとんど全部が戦争を始めることに賛成しても、最後まで反対する人間の一人が私であることは間違いない」(「思うままに」〇三年四月)
 他国の脅威を口実に「戦争のできる国づくり」が進む今、この知の巨人が身をもって訴え続けた反戦と生命尊重の思想を、次の時代へしっかり受け継ぎたい。


▼毎日新聞 社説 2019年
【社説】梅原猛さん死去 独創し続けた巨人を悼む
https://mainichi.jp/articles/20190116/ddm/005/070/067000c

 枠にとらわれない独創的な発想で、人間や文化の本質に迫る生涯だった。哲学者の梅原猛さんが93歳で死去した。
 梅原さんの名を広く知らしめた業績の一つが、古代史探求だ。聖徳太子や柿本人麻呂の死の意味を論考した「隠された十字架」や「水底の歌」といった代表的な著書は大きな反響を呼んだ。
 専門家からは批判されたが、疑いから大胆な仮説を試みる独自の手法は、既成概念にしばられた社会に一石を投じた。
 戦争の理不尽を体験したことも根底にあるのだろう。その哲学は、社会や権力者、文明批判にも切り込むことをいとわなかった。
 日本の文化の基礎は、人間と自然が共生した縄文文化であると説き、人間による自然の征服、自然破壊に警鐘を鳴らした。さらに、近代文明は人間中心の傲慢な文明との考えから、東日本大震災後には、福島第1原発事故を「科学技術文明の文明災」だと指弾した。
 60歳を超えて劇作家としての才も発揮し、三代目市川猿之助(現・二代目猿翁)のためのスーパー歌舞伎「ヤマトタケル」や能、狂言も書いた。そこでも描いたのは、戦争への懐疑や自然への畏敬(いけい)の念を忘れた人間の愚かさだった。
 日本文化を学際的に研究する機関として、「国際日本文化研究センター」(日文研)の設立に尽力したのも大きな功績だ。
 当時の中曽根康弘首相に直談判したことから批判もあったが、いまや実証的かつリベラルな学問の中心的存在だ。自由な気風の中で、磯田道史さん、倉本一宏さん、呉座(ござ)勇一さんといった人気の歴史家が研究者に名前を連ねる。
 現所長が妖怪学で知られる小松和彦さんというのもユニークさの表れだ。梅原さんが貫いた姿勢と精神が、息づいているのだろう。
 人工知能(AI)がさまざまな分野で人間を凌駕(りょうが)しようとしている。その中で人間にしかできないことは何か。科学的には説明がつかないが、そこを突き詰めるなかで、学問や人間の深い奥行きが立ち現れる。
 梅原さんが実践してみせた広い視野での「人文知」が生かされる時ではないか。

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