たまりば

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先日のライブ映像、第1弾出たぁ~!


先日のライブ映像、第1弾出たぁ~!



▼MR. JIMMY Led Zeppelin Revival Show....The Song Remains The Same 1977
https://www.youtube.com/watch?v=6hidT9YKXGc&start_radio=1&list=RD6hidT9YKXGc&t=32

六本木EXシアターでの圧巻の3時間半の新生「MR.JIMMY」の映像出ました♪
今更ながら、あの夜の興奮が甦るわい。
あ~、今年もジミー桜井さんの華麗なプレイが見られて良かったなり。




▼MR. JIMMYご本人による“ライナーノーツ” 2018年12月14日
https://www.tv-asahi.co.jp/reading/ex-theater/30267/

EXシアター六本木でMR. JIMMYとともにレッド・ツェッペリンの
素晴らしい音楽を分かち合うための、ご本人による“ライナーノーツ”

今回の演目である1977年6月21日のL.A.フォーラム公演は、ブートレッグでは『LISTEN TO THIS EDDIE』というタイトルで多くのコアなツェッぺリンファンが聴いたことのある音源だと思います。
(1977年ロサンゼルスで行われた全6公演の第一夜です)
LED ZEPPELINの魅力の真骨頂とも言えるライブパフォーマンスですが、
そこに至るまでの変遷について知ることで本公演への理解がさらに深まり、新たな魅力として感じていただけるのではと思い、少しご説明したいと思います。

レッド・ツェッペリンは1968年のバンドデビューから1973年まで、毎年欠かさずツアーを続けていました。当時のミュージックビジネスの成長と共に彼らを取り巻く状況もまた年々、巨大化していき、そしてそれは彼ら自身が創る音楽にも関わっていきました。ツアーを重ねるにつれてデビュー当時の主な会場であったクラブやシアターから、より多くのオーディエンスを収容出来るホールやスタジアムに変わり、それに合わせてバンドの演奏メソッドやステージパフォーマンスの形態も変わっていきました。多くのファンが感じられているように、1973年頃までとそれ以降の彼らのライブパフォーマンスに違いがあるのもそうした理由からと考察できます。

大成功を収め映画にもなった1973年のツアーを終えた翌年1974年のU.S.ツアーを計画するも、毎年の長いツアー生活に疲れ果てていたジョン・ポール・ジョーンズがバンドに脱退を表明し、それを熟慮した結果、’74年はツアーをせずレコーディングに専念、そして結果的にそれ以降は1975年と1977年の2回のみがアメリカでの公演となってしまいました。

1975年頃から蔓延していた音楽とドラッグの関係はこの1977年ツアー時は最悪ともいえる事態に陥っており、ステージ上の演奏はジミー・ペイジ、ジョン・ボーナム共にかなりラフさが目立ち、それを客観視したエディ・ヴァン・ヘイレンがペイジについて酷評したことに対しての回答的なライブが音源となって、本演目のタイトルでもある『LISTEN TO THIS EDDIE』(「聴いてみろよ、エディ!」)と名付けられたというわけです。

実際にこの日をはじめLA公演のテンションは特に高く、オープニングから凄まじいパフォーマンスとなりました。たしかにドラッグの影響で演奏面ではラフな部分もありますが、しかしそんな事は帳消しになるくらいステージ上での彼らのパフォーマンスは存在感に溢れ客席にエナジーを放っていました。そのエナジーこそがこの1977年に特徴的なツェッペリンのライブスタイルです。

ブルースを基調にじっくりと聴かせた初期のツェッペリンと、音楽市場の巨大化に則してオーディエンスに”見せる”ことを意識したエンターテインメントの世界を表現したツェッペリンとの大きな違いを感じていただけると思います。どちらも偉大なLED ZEPPELINなのです。当時の8ミリなどで撮られたブートレッグ映像でも、ステージアクションの大きさや圧倒的なカッコ良さでバンドがどれだけハイだったかを窺い観ることができます。同年7月24日まで繰り広げられたツアーの選曲も大筋同じ内容でしたが何曲か違いもあり、6月21日についても若干の差し替えがみられます。

今回、MR. JIMMYはこの1977年6月21日のハイテンションな演奏とセットリストを基本に演奏メソッドはあくまでも1977年当時の彼らのテクニックとエモーションを用いて、この大作ライブのリバイバルに挑みます。

機材も当時のセットに可能な限り近くセットアップします。ジョン・ポール・ジョーンズはこの年よりメインのベースをフェンダーのジャズベースからアレンビックに持ち替え、アンプもそれまでのトレードマークだったアコースティックからハイフリーケンシーなアンプに替えて、バンドのアンサンブルをそれまでよりブライトなものに変えました。ジョン・ボーナムのドラムセットはビスタライト・キットからステンレス・スティール製の大音量タイプに。

これら使用楽器の変遷も彼らの音楽的なアレンジや全体のアンサンブルをも変化させることに繋がりました。MR. JIMMYが日頃より同じ楽器を使うことが正しい演奏メソッドを教えてくれるというポリシーを貫くのもその事実をリスペクトしてこそです。正しい楽器を用いて正確な演奏メソッドを習得することがその音楽が持っていたエナジーを“蘇生”させるリバイバル・バンドの最初の一歩です。

ただ同じ音符をなぞってコピーするのではなく、何が本物なのか、音楽とは何か、パッション、エナジーとは…音符にならないその世界観を、いまここに生きる生身のミュージシャンの演奏によってパラレルワールドのごとく限りなく近い可能性を表現すること。それは決して勝手な自己解釈に基づくのではなく、MR. JIMMYメンバ−の絶え間ない検証と試行によって出来ることであり、今回アメリカからフランキー・バナリ、オーガスト・ヤングというツェッペリン愛に溢れた素晴らしいミュージシャンと日本で二十年以上僕と一緒にレッド・ツェッペリンを追求してきたジョンジー大塚とともに皆さんに披露する機会をいただいたことは、僕の音楽人生においてとても大きな事です。

そして、この1977年という機材やセットの再現においてツェッペリン史上でも特に難しい年代をリバイバルするため、音楽と同じ熱意を持ってステージセットの再現に取り組んでくれた会場は、世界広しといえどもここEXシアター六本木だけであるということを、ぜひ皆さんに知っていただきたいのです。

これは、僕がアメリカで活動して感じた紛れもない現実です。ここまで細部に亘るこだわりを持って、レッド・ツェッペリンの持っていた魅力を蘇生することに迫ろうとする熱意と技術は、おそらくアメリカだけでなく世界中どこを探しても現在無いと確信しています。当日来て下さった皆さんには、このステージがレッド・ツェッペリンという素晴らしい音楽が生んだ奇跡的なコラボレーションの集大成なのだとご理解いただいてライブショーを楽しんでいただけると嬉しいです。

そして皆さんにお願いです。このようなバンドのスキルとアティチュード、ステージセットがあっても、会場のお客様の反応と歓声がなければライブショーは完成しません。

当時のツェッペリンがそうだったように、会場の皆さんからのエナジーがライブのマジックを生むのです。どうかひととき、日常の比較的穏やかな日本人の慣習を忘れて、1977年のツェッペリンと同じく思いきりハイテンションに、感じるがままに声援をお送りいただけると、まさに今夜皆さんがいるEXシアター六本木が一つになって 1977年当時そのものの興奮をリバイバルできると信じております。

―― JIMMYが確信する、「レッド・ツェッペリンの音楽にはリバイバルする価値がある」ということを皆さんと分かち合えたら限りない幸せです。

2018年12月Jimmy SAKURAI


▼EX THEATER ROPPONGI PRESENTS
LED ZEPPELIN結成50周年特別企画公演 
MR. JIMMY『ロックショー・リバイバル』
Listen To This Eddie1977 The last US tour of LED ZEPPELIN
http://www.mandicompany.co.jp/MrJimmy.html

レッド・ツェッペリン 結成50周年記念公演
「プレゼンス」発売後に行われた最後のUSツアーの全貌がいま蘇る!

記念すべきレッド・ツェッペリン結成50周年の今年、現在ジェイソン・ボーナム[JBLZE]メンバーとして
ツアー中のジミー桜井が自身のリーダーシップ・バンド [MR. JIMMY]を率いて凱旋公演。
“レッド・ツェッペリン・リバイバル”をコンセプトに、1977年アルバム『プレゼンス』発売の翌年に行われた
ツェッペリン最後のUSツアーの名演[Listen To This Eddie]が、EXシアター六本木で眼前に甦る。

■メンバー:ジミー桜井(G)/フランキー・バナリ(Dr)/オーガスト・ヤング(Vo)/ジョンジー大塚(B&K

●2018年12月21日(金)
●EX THEATER ROPPONGI
http://www.ex-theater.com/
●開場18:00  開演19:00
●全席指定¥7.800(税込) ※入場時ドリンク代別途必要

▼MR.JIMMYオフィシャルサイト http://mrjimmy.jp
https://www.mrjimmyledzeppelinrevival.com/

▼『世界で一番ジミー・ペイジになろうとした男』
ジミー桜井(著)/田坂 圭(著)/リットーミュージック
https://www.rittor-music.co.jp/product/detail/3117313009/

▼Jimmy SAKURAI YouTubeチャンネル
https://www.youtube.com/user/mrjimmyjp2012





  • 袖触れ合うもなんとやらってヤツでありまして(笑)。


    袖触れ合うもなんとやらってヤツでありまして(笑)。

    12月1日の『まつろわぬ民2018』酒田公演観劇で前日に雪景色の月山道路を越えて山形県入りして、その足で酒田市役所隣の市民会館へチケットを求めに訪問した際に、たまたま出会ったのが「白ばら」代表の佐藤仁さんでした(笑)。その際の動画が・・・(笑)。これも何かの「縁」ってヤツでした応援応援♪

    ▼佐藤ひとしさんのFB  2018年11月30日付
    https://www.facebook.com/hitoto.sato/videos/10215023767042608/



    残り2日!
    『東北の地に残る昭和の大衆文化遺産を守る。「白ばら」再生物語 Season2』!

    57年の歴史に幕を下ろした昭和の大衆文化遺産「白ばら」を後世に残そうと、行政に頼らず立ち上がった地元の仲間たち。いま消防法の壁が立ちはだかり、「白ばら」は消滅の危機!消防設備整備のために皆様どうぞ力を貸してください。






    ▼東北の地に残る昭和の大衆文化遺産を守る。 「白ばら」再生物語 Season2
    https://www.youtube.com/watch?v=Ot99WlpCqqQ

    ▼東北の地に残る昭和の大衆文化遺産を守る。
    「白ばら」再生物語 Season2
    https://motion-gallery.net/projects/shirobara_reborn_season2/collectors#_=_

    ▼Save the 白ばら
    https://www.facebook.com/shirobarareborn/

    ▼佐藤ひとしさんのFB  2018年11月30日付
    https://www.facebook.com/hitoto.sato/videos/10215023767042608/


    ▼山形新聞 2015年12月23日
    キャバレー「白ばら」閉店へ・酒田 大人の社交場、消える昭和の残り香

     東北・北海道で唯一、営業を続けてきた酒田市のグランドキャバレー「ナイトスポット白ばら」が30日に閉店し、57年の歴史に幕を下ろす。水原弘や中尾ミエなど、昭和歌謡を彩った多くの歌手がステージに立ち、日本の高度成長と同じ曲線を描くように栄えた大人の社交場だった。大学生時代にアルバイトとして働き始め、現在は経営会社の取締役として白ばらの歴史とともに歩んできた本間邦夫店長(65)は「店を愛してくれるお客さんへの申し訳なさ、閉めることへの致し方なさで気持ちは半々です」。昭和の香りを残す空間が酒田の街から消える。

     創業は1958(昭和33)年。酒田の繁華街に店を構え、奥羽観光(同市)の斎藤友弥会長が営業を始めた。現在の建物は69(同44)年に建てられた鉄筋コンクリート3階建て。店舗はその1階にある。ステージを起点にして扇状に広がる27のボックス席には、110人が収容できる。約7メートルの高い天井、床面積約700平方メートルの大きなフロア…。昭和の流行語「大きいことはいいことだ」は、キャバレーの店づくりにも当てはまっていた。

     最盛期は昭和40~50年代。90人以上のホステスが在籍し、水原弘や中尾ミエ、渚ゆう子、千昌夫、山本リンダら数々の歌手がステージに登場した。昭和の大横綱大鵬、千代の富士が来店したこともあったという。音楽集団「上々台颱(シャンシャンタイフーン)」のボーカルとして知られる酒田市出身の歌手・白崎映美さんもステージに立ち、白ばらに魅了された一人だ。

     道路を挟んで向かいにある料亭(当時)「山王くらぶ」から「白ばら」に流れるのが夜の定番だった。企業関係者の接待などでにぎわい、フロアはいつも満席だったという。

     ともし続けたキャバレーの火は、景気低迷による企業接待の減少やエンターテイメントの多様化などで次第に小さくなっていった。昭和を知る世代が高齢になり、客層は広がらず、次第に経営を圧迫するようになった。現在は5人が従業員として働いている。

     日和山ホテル(酒田市)の佐藤仁社長(52)ら有志が大みそかの31日、白ばらへの感謝を込めたイベントを企画している。白崎さんやかつてステージに立ったバンドメンバーらが出演。午後3時から4時間にわたって多彩なショーを繰り広げる。入場料は2千円で、午後9~11時には楽屋などを巡るバックヤードツアー(500円)も。この日の売上金は全額、同店に贈る。問い合わせは日和山ホテル0234(22)0102。

    仲間の顔浮かぶ
     本紙でやまがたキャバレー時代を連載した作家高橋義夫さんの話 「白ばら」には入ったことがありませんが、閉店と聞き、かつての飲み仲間の顔が目に浮かびました。一つの文化が消えていく。仕方のないことですが、楽しい人も楽しい場所も、あの世の方に多くなった、というのは怖いことです。

    故郷酒田の誇り
     白崎映美さんの話 この地上から消える、オラが故郷酒田が誇るグランドキャバレー“白ばら”の灯よ。オラは悲しい、悔しい、苦しい、地団駄(じだんだ)踏んで泣きたい。マイケル・ジャクソン並みの人気がオラにあったならなあ。晴れの日も雨の日も嵐の日も、じっとじっと咲いていた“白ばら”よ永遠に。
    .


    ▼東北随一の美の殿堂、
    築59年の朽ちかけたキャバレー
    〈白ばら〉 救ったのは
    クラウドファンディングでした。2018年6月13日付
    https://colocal.jp/news/114357.html

    酒田の夜はこれからもにぎやかに! 
    山形県酒田市にある、〈Night Spot 白ばら〉。
    築59年、朽ちかけたキャバレーがクラウドファウンディングで
    華麗に復活したレンタルホールです。
    今どきの人だとちょっと想像しづらいかも知れません。
    ショーを見ながらお酒を飲む。
    例えば、赤坂のミカド……これも35年前になくなっているそうで、
    有楽町日劇……。ギリギリわかってもらえそうなのは宝塚のイメージでしょうか?
    東京でもかなり華やかな時代がありました。
    日劇でレビューを見た親御さんはまだいらっしゃるのではないかしら? 
    そんな華やかな世界が東北にもあったのです。

    「白ばら」は1958年(昭和33年)、山形県の日本海側、港町・酒田市に創業し、
    昭和文化円熟の時代に連日連夜満員御礼を記録したグランドキャバレーです。
    そんな「白ばら」も、著しい老朽化と遠のく客足に、とうとう閉店という
    苦しい選択を余儀なくされました。
    2年半前の12月……その悲報はYahooニュースのトップにも報じられたそうです。
    このころ、札幌のクラブが閉店してしまったために、
    この白ばらが日本最北の現役キャバレーとなっていたのに、です。

    閉店する2年前、現オーナーとなる佐藤仁さんと
    酒田市出身の上々颱風(しゃんしゃんたいふーん)ヴォーカル・白崎映美さんが
    朽ち果てた建物に潜入。どうなっているのか、ただの怖いもの見たさでした。
    眼前に広がっていたのは華やかな南国の世界。
    椰子の木が生い茂り、きらびやかな電飾に飾られたステージが目に飛び込んできて思わず息を飲み込みました。

    天井は高く、アールデコ調のシャンデリア。
    ソファーは滑らかなビロード張り、格を感じさせる重厚な空間。
    交通の便も悪い東北の地方都市だからこそ細々と存在し続けてきた、
    昭和の大衆文化遺産だったのです。
    すべてが昭和の艶めかしさを色濃く残し、様々な人生劇場が繰り広げられてきたのだろう、
    というここに1歩足を踏み入れた佐藤さんと白崎さんは、
    このオーラをまとった重厚な空間の虜になってしまったのです。
    しかし、この店がもうすぐ閉店するという話しもあり。
    どうにかして存続させよう、どうしたらいいだろう? 
    と悩む日々が続きました。

    佐藤さんは、白ばら未経験者を誘ってはファンを増やし育てる活動を始めました。
    白崎さんは地元新聞で担当していたコラムのコーナーで「白ばら」を
    守ることの大切さを執拗に(笑)宣伝したり、
    テレビでも紹介されたりといったメディアの協力もあり、
    ようやく「白ばら」の存在の希少性が地元山形で認知され始めました。
    彼女が熱演する伝説のキャバレーナイトショーも実現しました。
    が、そんな努力も虚しく経営難は解消されず閉店を迎えたのでした。
    それでも諦めないで残そうと考えぬき、レンタルホール、貸しライブ会場として
    どうにか維持費を捻出していこう、と佐藤さん達有志は進み始めました。

    レンタルホールなどで維持費のめどが立ったある日、
    またもや困難が立ちはだかりました。消防署から
    「自動火災報知器と煙探知機、誘導灯の新規設置」をするよう指導が入ったのです。
    その金額、なんと350万円。維持費で精いっぱいだった白ばら、
    ついに窮地に立たされたか? の状態になりました。
    そこで考えついたのがクラウドファンディングです。
    これまで行政にも支援をお願いしたことはなく、市民有志が関われる
    範囲で気持ちと資源を持ち寄ってここまで頑張ってきました。
    Save the 白ばらのジャンヌダルクとなる白崎映美さんは
    「白ばらキャバレーナイトショー」実現に向けて奔走します。
    くち果てそうな建物をクラウドファンディングという発想で
    よみがえらせるというのがなんとも凄い発想ではありませんか。
    人事は尽くしました。あとは天命を待つのみです!

    ▼Night Spot 白ばら
    https://www.facebook.com/Shirobara468/

    ▼白崎映美&白ばらボーイズ
    https://www.facebook.com/shirobaraboys/



    ▼白崎映美&白ばらボーイズ 2015/08/07~08
    https://www.youtube.com/watch?time_continue=307&v=w89ZBfQhmxc


    ▼河北新報 2017年12月10日
    酒田の夜「白ばら」再び 東北最後のキャバレー、飲食店に
    https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201712/20171210_53004.html